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迎合と忖度

協調することと相手に迎合することは、
うっかり取り違えるととんでもないよ。
協調というのはお互いに信頼し合って、
目指すものに足をそろえて、向かっていくようなもの。
でも迎合は相手を信頼してもいないのに、
その場しのぎで口を合わせておくこと。
迎合しても何にもいいものは生まれてこないと
よく覚えておきなさい。
(石川真理子)

こんばんは。wisteriaです。

現在進行形で、私自身の研究に関する書類を書いている。


私の研究は、大きく2つに分かれていて、融合している。

異なる2つのテーマを現在は別々に進めているが、
今後、融合させていく、
という意味である。


私の研究室には、3人の教員がいて、それぞれのグループが存在する。

私は、研究室配属当初から約2年間、
X教員が配属当初に私に下さったテーマに携わっていたが、
まとめられるところまで、データが揃ったので、
一旦、区切りをつけた。

その後、自分のやりたいことを考えた上で、
Y教員のテーマに付随する研究への挑戦を決め、現在に至る。

端的に言うと、私には指導教員が2人いる。

2人いて良いな、と思うかもしれないが、

私の研究室では、そう単純な話でなかったりする。


なぜなら、
現在進行の研究がY教員に関連することだとしても、
グループは、X教員の所に所属している。

私の研究室は、グループ意識が強い。

教員も、「この子は自分のグループ学生だ」という意識が強い。

グループ同士の衝突紛いの冷戦や牽制が何度あったことか。

それが余計に邪魔をする。


私は、主張は強い方だが、無用な衝突を好まない。

私は、X教員ともY教員とも仲良く、平等に接したいし、
X教員とY教員自身も仲良くしてほしい。

だから、忖度する。

忖度は、一時期、悪い意味で、一世風靡したが、
今回は、本来の意味である、"推し量る"と捉えてほしい。

八方美人にならないように、
X教員・Y教員両方と議論し、意見を聞き、研究を進めようと努めている。

だけど、どうしたらいいか分からない時がある。

それは、X教員とY教員の意見が食い違う時だ。

できるだけ、意見を聞いた上で、私の考えも含めて、両人に伝えるのだが、

片方が「それでもこちらの方が良い」

と言い始めた時が苦悩の始まりだ。

私は、その時の心身状態に依存するが、
強すぎる教員の言葉に、だいたい負けて、迎合してしまう。

私自身、迎合など本当はしたくないのだが、
波風立たないように、と思ってしまう。


また、平等に接しようと努めているからなのか、
(というか、だいたいの人と平等に接しようと努めているが)

結構、嫉妬に似た行為をされることがある。特に、X教員からは。

それも、うちのグループの学生だから、という意識からだろう。

その反面、現在の研究テーマは、専門外だから、と私に言う神経は、

本当にどうかしていると思う。


今書いている書類も、X教員とY教員両方に添削して頂いている。

今は、個別にコメントを頂き、個別に対応している。

結局、この行為は、忖度ではなく、迎合しているのと同じだと思った。

なぜなら、X教員とY教員と私が同席している場に、

私の研究が成立する訳であって、

分断された場には、成立しない。

なのに、私は、波風立てない様にと忖度、否、迎合して、

私が分断してしまっている。


他人を推し量り、思いやる気持ちは、本当に大切だし、必要だと思う。

だが、より良いものを追求したいのに、

本当にするべき衝突を避けてまで、得られるものは何か。

特に、研究は、納得する議論をしてこそ発展するのではないか。

そこに、迎合は不要なはずだ。


真に在るべき、組織とは何か、色々な意見があると思う。

だけど、(具体的ではないが)私は私の思う組織を作るために、

少しシフトチェンジしてみようと思う。


迎合による犠牲者を見てきた私自身が犠牲になっては、

ミイラ取りがミイラになっているだけである。

彼らのために、変わらねば。変えねば。

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