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愛と忍耐が試される仕事

何度裏切られ、想いを踏みにじられても…
親切を反故にされ、助けた相手に罵詈雑言を投げつけられ
心を無下にされ、恩を仇で返され、唾を吐かれ
誤解されたあげく憎まれ、蔑まれ、貶められ
誹謗中傷を受けて、逆恨みから悪い噂を流されて
差し伸べた手を焼き切られるようなことをされても…
それでも‥‥
人を助けたいと思うか?

私自身に突き付けられた問いです。この人生での課題すなわちレッスン。
ちょっとハードモード過ぎて、さすがに辟易して疲れてきます。幾度となく、ギブアップ宣言もして、こんなノルマを架した自分自身を恨み、呪ったこともあるほど。そう決めたのは自分だと気づくまで、運命や神と言った対象に対して、腹を立てていましたけれど。

でも、自分で決めたことなら、致し方ない。いやさ、もう流石に勘弁して欲しいなあって…もういい加減打ち止めにしようよ、十分学んだよ。答えも出したし…と言いたい。しかし、一度創ったエレメンタルは死なないものなので、なかなかどうして、ストップもしにくい模様。
とにかく、この人生の始まりに戻って、こんなことを自らに架したその時の自分をぶん殴ってやりたいです。

そうですね。ご褒美でも頂けないことには、やってられないって感じですw

そうですね、デビッド・ボウイとか下さい!
いやさ故人やねん
生きてても英語わからんし、それ以前に相手にされないが
もしくは大金で手を打とう

それはさりとて。
私たちは生まれる前に、六次元でミーティング?と言いますか、転生に関しての最終打ち合わせをするのですが…
(よく子供が生まれる前に眩しい世界で、天使のような存在たちと「あの場所のあの家の、あの夫婦の元に生まれる」みたいな話をした的話をしたりするのは、この段階の、ここでの記憶ですね←転生直前)

※とは言うものの、来世計画と言うのは、実のところ、今生から始まっているのです。並行して計画が進んでいると言うのかな。今生が進行すると共に大枠が決められていっている感じです。もちろん必ずしも確定的なものではなく、おおよその枠決めです。最終調整のようなものは上記の段階なので。

三次元の身体(マテルアル体/肉体)を失い、四次元に移行して、四次元の身体(サイキカル体・幽体)を失った後で五次元に移行し、次に五次元の身体(ノエティカル体/霊体)を失くして、育成中のサイコノエティカル体でノエティック・ステートすなわち六次元へと帰還するわけですが…

(転生の間隔は平均すると10~20年位ですけど、数か月・数年で転生するケースもあるので、一概には言えないです。死の状態とサイコ・ノエティカル体の成長具合にもよるし、次の人生でやるべきこと、ノルマやカルマのレッスン次第で予定調和が起きますので。それと人類・地球全体の都合の方が何よりも優先されるので、大きな流れの前では個人個人の都合は、どうしても後回しになります)

ここで色々と大反省会が行われるわけです。あれやらんかった、これも出来んかった、失敗した、やらかした…だの…果たせなかったタスク(ノルマ)を鑑みて、創ってしまった余計なカルマを反省して、振り返りつつ、あれやこれや…カルマのマスターたちと話し合いをしたりして。もちろん自分自身の本体とも必然的にコンタクトを取りながらですし。

けれど、これは順調な人の場合(反省があったとしても、それでも)。

「ダメだ、こりゃ」な人は、以前も書きましたが「月の牢獄」などの独房に送り込まれる人もいます。いやさ、サイコノエティカル体の段階では、それはあまりないんですけどね。6次元にまで行って、独房に入れられる人は稀です。ウルトラ・レア・ケースと言える。独房に入れられるのは、その下の段階でですね。ほぼほぼそう。

そして、この6次元で反省して、「次こそは!」って誓うものの…皆さん、意気込まれるものの… サイコ・ノエティカル体がまだまだ未成熟なものだから、ほとんどの方が完全記憶を所有出来ず、転生するときれいさっぱり、自分が誓ったことなど忘れておしまいになられます。
(そうですね。起きる直前のほんの僅かな一瞬には夢を覚えていると言うのに、気が付くと起きて数分後には忘れてしまうなんて、日常のことでしょう? 思い出せたとしても部分的なもので、印象深いことだけです)

ええ、忘れてくれちゃうんですよ。それはもう、モノの見事に。

人生の計画は誰が与えたものでは無くて、その人自身が決めたこと。
計画通りに進められてないこと、計画から逸れているなって時には、周囲からの干渉が入ります。大体において、それをするのはカルマのマスターたちですけども。その予定や計画を知っている過去生のエレメンタル(ハイアーセルフと呼ばれるような類の)とか…本体とか…スピリチュアル・ガイドと呼ばれる存在たちが、道を起動修正しようと仕掛けを働きかけてきたりします。本人に気づかせるために、色々と。耳元で囁いたりもしてね。

でもね、聞かない人の方が多いですよね。気付かないといいますか。そして、人生の迷路に入り込んでしまう。それはまあ、仕方のないことです。攻略本片手にゲームして、楽しい人もいるかもですが、無いからこそ面白いというのが人生でもあり。

自分の前に道はなく、自分の後に道がある…

道草も迷い道も予定調和で、思うように、予定通りに行かないのが人生の醍醐味かも知れません。人生は一発撮りのアドリブOKな、いつだってリハーサル無しの本番というもので。場当たり的なハプニングも然りでしょう。

私自身も、自ら決めたことや自分がやるべきことに抵抗して、随分と時間を無駄に過ごしてしまいました。ジタバタ足掻きすぎて、気が付けば人生の半ばに。ようやっと、逃げることを止めて、正面から受け止められるようになりましたから、人のことは言えません。本当に回り道をしたもんです。

この世はまさにラビリンス 人生と言う名の迷宮の森

さて。
私は以前、グループレッスンをしていたわけですが…
霊的知識を教えるようになったのも、それも私のお役目の一つだからです。任務って言うと、大袈裟なんですけれど。

学びに来られた方たちは、6次元で…
「(3次元に)生まれかわっても、引き続き霊的知識を勉強する」と誓われた方たちだったんですね。そして、ほとんどの方たち(ほぼ全員)が、私と縁がある方たちでした。主に、私に対して借りがある方たち。私からすると貸しがあると言いますか…「赦す」ことをしないといけない人たち。
ちゃんと勉強して、知って、自分のしたことを理解して、成長してくれて、二度と過ちを繰り返さない人になってくれるなら、いいよん…みたいな。
なんかこう書くと軽いんですけどっっ

いずれにしても、双方にとって「愛」の学びです。

気づいた(思い出した)人もいるけど、ほとんどの人は私とのことに関しては思い出してはいないのですね。それはそれで、いいのだけども。

やっぱり、キツイですよ。
今でこそ大丈夫なことも増えましたけれど。
はい。私に対してだけではなくて、他の人に対しても…その人が色々としたことを知ったり、視させられたりしても、もう個人的感情が動くことは無くなり、相手を糾弾・断罪するような気持ちや目線は無くなりましたが(仕事の場に限って)。

この仕事を始めて当初は、全然そこがクリア出来てなかったんです。超えられない壁の一つでもあった。

その人がそのような目に遭ったこと…ならまだしも。

今生では無く、過去生と言う立証できない事象ではあるものの…他人に対して、非道なことをしたとか、残虐な行為をしていた…って言うそのような光景を見るのは、やはり相手に対して生理的嫌悪感を覚えてしまうことも少なくなかったです。触るものも対面するのも、恐ろしかった人もいる。
「反吐が出る」「恐怖で旋律してしまう」なんてこともね、しばしば。

平気そうな顔でポーカーフェイス気取ろうとするものの、上手く出来なくて、態度や表情に出てしまうこともありました。その人には本当に申し訳ないことをしてしまったのですが。

過去生とは言え…1VS1ならまだしも、自分や自分の大事な人々を殺した人たち全員を目の前にして、その光景を見てしまった日には…背筋も寒くなると言うものです。トイレに駆け込んで嘔吐して、フラッシュバックと戦わないといけなかった。憎悪や嫌悪感、憤怒の念とか…何よりも恐怖と慟哭がもうね、重くてしんどかったですのよ。

こういうのは、今の人生での犯罪被害者の人たちが経験していることですよね。そういう人たちなら、きっと解って下さる感覚。たぶんそのような人たちにしか、解ってもらえない心情。

姿形、性別が変わってはいても、あの日のあの人が目の前にいたら??って。そして、今は善を心に育てて、まっとうな人生を生きてくれているならまだしも、相変わらず自己中な考え方で自分のしたことの罪の意識の欠片もお持ちではない…なんてのを目の当たりにして、怒りを抑えられるのか…です。

そして、やっぱり本質的にはなかなか変われないんだなあ、人は…って思います。学ぶことを選択し、謙虚に反省して、懺悔の心を持ってくれたかと思ったものの…変われたのは、変わろうと努力してくれたのはほんの一部の人たちだけでしたかね。

今にして思えば、それも予定調和だったのでしょう。

私にとっても「愛」と「忍耐」を学ぶレッスン相手であったのですから。
色々と試された16年でありました。カルマと言うのは与えたり与えられることで成り立っている。そのことを身に染みて感じたりみします。

でも、そのような人たちがいたからこそ…私も研修医的な年月をこの仕事を通して過ごすことが出来、自分自身の弱さを克服するための機会をもらって、鍛えられたなあってつくづく思います。その意味では練習相手?スパーリングの相手になってくれて、ありがとう…というところなのです。

でも今までは修練で、本番はきっとこれからなのかも知れません。
いやさ、もう人生の残りも僅か…とまで行かないにせよ、残された時間はさほど多くはありませんのでした。のんびりしている場合ではないです。

とは言うものの、人を「赦す」ことは本当に難しいなあと思います。

自分を酷い目に遭わせた人、妻や子…恋人や身内を残虐にいたぶって殺してくれた人たち、人として数々のありえないことをしてきた人たちを目の当たりにして、平気でいられる人はそうそういないと思います。覚えていない人は本当に幸いで、その人が過去にその手を血の色で染めていたことがあったことを…視ることが出来ない人は、祝福されている人たちなのでしょう。

輪廻転生を幾度となく繰り返し、あまたの人生を送っているほとんどの人で、誰一人として罪を犯したことの無いものなどいない…わけですけれども。

過去あれだけのことをしておいて、また今生では「裏切って」くれるのか。後ろ足で砂をかけるようなことをして去っていくのか。
…みたいな、がっかり感は否めないですね。

え゛っー? その態度の何処に反省があるの? ちゃんと勉強して、変わるって言ってたくせに、結局は逃げ出すんかい? なーんてね。

けれども、こうなることもきっと想定内。
それがカルマのレッスンを与えられたり、与えたりってことですから。
はい、最初から「なぜ、他では無く、ここに導かれたのか」という事について、種明かしをしては意味が無いですからね。そもそも自分で思い出してくれないことにはね。私から言うと、それは単なる恨み言になっちゃうから。

いやはや、本当に世の中には様々な「縁(えにし)」と言うものがあるもので、その中で人の「本性」と言うものは赤裸々に明らかになっていくものだと、改めて思ったりする今日この頃なのでした。

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