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エゴイズムと魔に魅入られし人々

さて、私は斎藤一人さんのことは尊敬しているし、氏の著書や動画からの言葉から、たくさんの教えと学びを頂いている一人ではあるけれど、だからと言って盲信的にすべてを鵜呑みにしている"信者"では決して無く、氏の言葉から"有益"で自分の心に響く言い回しや共感できる部分を見出しているに過ぎないのです。

彼の言う事が唯一無二のすべてでは無いと言うこと。それを理解しているって感じでしょうか。

して、氏の言う事が間違っているとも言わない。正しいとか間違っているとか、そのようなジャッジをする必要はないわけで、そういう問題でも無い。正しいから信じるとか正しくないから信じないとか…そのようなこととも違う。※たまに「ん…?」って思っちゃう内容も、ありますけどねっっ

そもそも、一人さんの言葉や教え(言い回しや悟し)が必要な人、あのような噛み砕いた説明で無いと、頭にも心にも入っていかない人が多いのだから、そのレベルの人向けに頑張って知識を伝えてくれている人の一人だというだけなのです。

はい。彼の言葉(諭し)を必要としている人はたくさんいるのです。あの言い方で無いと解らない人、日常生活に霊的な智慧を落とし込めない人がまだまだたくさんいるってことなんですね。

だから、それでいい。

一人さん以外にも霊的な世界の説明が上手な人はいますし、そのような知識を伝えている人はいるわけです。それぞれがそれぞれのやり方や言葉で、知識や教訓を伝えています。10人いれば10人の理解力があるわけで…論理的で合理的な説明でないと理解出来ない人もいますし、感覚的で抒情的なものの言い方でないとイメージが沸かない人もいます。感情に訴えかけてくる言い回しで無いと、共感できず、心が理解に追い付かない人もいるのです。

だから、同じ"教え"を言うにしても、受け取り、学ぶ人の理解力に差がある以上、たくさんのバリエーションがあった方がいいのです。

で、霊的知識や真理に関しては、以前にも、この3次元での物質的身体のレベル(ステージたる居場所)は一つしか無いのですが、サイキカル体とノエティカル体のレベルたる居場所はレベルが49あって、その成長は一人ひとり異なるわけなので(しかもサイキカル体とノエティカル体の成長は必ずしも同列ではない)…一口に霊的な知識や教義と言っても、その霊的成長度(霊性)の段階に合わせた、幾通りかの(最低でも7種類は)教え方あるいはテキストが必要になってくるのですね。

学校の勉強で言えば、幼稚園・保育児用、小学校低学年用、小学校高学年用、中学生用、高校生用、大学生用、大学院生用…などなど。

つまり、霊的な知識や心理の教え方にはバリエーションが豊富であって然りということ。小学生用のテキストと大学生用を比較して、その矛盾な内容の差異を突いても全く意味が無いと言うわけで。

さしづめ、私が学んだこと、教えていることは大学生以上って感じかな。教える時には高校生くらいにまでは落とし込んでいるつもりなんですが…

とにもかくにも、学ぶ側に立った時には、今の自分のレベルに一番合うと思われるもの…ようするに、今の自分に一番しっくり来て、理解しやすい説明(内容)、腑に落ちて咀嚼できるもの、疑問が晴れて納得出来るもの、心にフィットするもの…をセレクトするのがいいんだと思います。
人それぞれに必要な学びの内容は異なるわけですから。

今の「エソテリック・ティーチング」のテキスト
作り直しはしているけど、
過去のテキストや資料の使い回しなのは否めません
手抜きでゴメンナサイ
ちなみにいつでも受講生募集中です
リモートでもやりますよん

まぁ、ここまでは前置きでありまして。

同じように、一つのことを別々の人が見た時にやはり"物の見方"の差異と言うのは生まれてしまいます。視点(見る角度)や観点が異なっていたり、重要視している点や解釈が違ってきちゃうと言うのかな…
こういう場合も、どちらかが間違っているとか正しいとか、正確性だけでは批判や否定は出来ないのですね。

霊的な仕事の見方もそうです。
同じ霊的な仕事をしている者たちにしても、一人ひとり霊性のレベルが異なりますから、49段階なりのレベルからの意見や解釈が存在してしまうのは、しごく当たり前なんです。もちろん、個人としての経験値、性格や物の見方の違いといった個人差も、霊的な事柄への解釈に加味されますし。

霊視・霊聴能力や霊能力の有無や、その強弱(優越)の差はこの場合あまり関係無くて、持っている知識や許容性、汎用性なんかに左右されると言った方が正しいのかも。やっぱ理解力と言うのかなあ。

とは言え、その人が学んできた基本知識(霊的教義)のバックボーンの違いが、一番大きく反映されるのかな。人は既存の知識からしか、物事を判断できないから。それを絶対と思ってしまうと、確証バイアスが働いて、新しい知識や他の人の意見や解釈を受け付けないところがありますし。

てなわけで、自分と同じものが「視える」理解し合えるところが多い人だからと言って、必ずしもまったく同じ意見、解釈ってわけでも無いと言う話。その能力や才能、職業的資質や技量など、互いに認め合うことが出来る人であったり、親しくしている人であったとしても、その意見をまるっきり受け入れたり、全肯定が出来るということもなく…同調・同意できないことも若干あるということ。

けれど、それが相手を非難・否定・批判するという事とイコールでは決して無いわけで、モノの見方は千差万別なんだから、それでいいんじゃん…なんですよね。それはもう多様性つてことでww

で… 上記のはるさんの動画を引き合いに出させてもらっちゃいますが。

芸能ネタみたいなの? グループレッスンの場や対面でお会いした時、そして身近な人なんかとは、この手の話題をすることはあるんですけど。
ネットで実名出しての話は、極力しないように気を付けてはいます。亡くなった人や海外の人のことは書いても、国内の人の場合はいちおう伏字にしていますが。遺族が目にする可能性を考えると、良心が問われるところでもあります。

ひとまず、伏字だから他人のことを勝手に言ってもいいのか…名前を出してうんちゃかかんちゃか言うことの、その是非は置いておいて。

そうですね。
はるさんの話、すべて同意はしないけど、頷くところもあります。

上記の話で言えば…確かに、亡くなった奥様は旦那さんのカルマの負債を肩代わりして命を取られてしまいましたよね。自分の身を犠牲にして、旦那さんを一時的に救ったって感じかなあ。ていうか、第一には子供たちの身に降りかかる、禍をその身に受けて命と引き換えにしたって感じかな。

そんな風に、誰か愛する人のカルマの負債(借金)を代わりに引き受けて、自らの命を犠牲としてしまう人はいますし、そういうことってあったりします。肩代わりをしてもらった方がそれで改心すればいいのですけど…ね。
子供たちは別として、果たしてそこまでの価値がある相手かどうか、否!

そうですね。歌舞伎は玉様(坂東玉三郎)が好きなので、観に行ったことは何度か。そんなんで共演者として出てらした「高野聖」も見ました。演出で僧侶役の彼が客席から舞台に出るというのがあったとき、ちょうど私と友人が座っている隣を通ったので間近で見ましたけれど…確かに顔だけは丹精な方です。うん。顔だけ。器は綺麗な方かもね。それ以外の光るものは何もないですよね。

お姉さんに関しては、「大丈夫なの?」。まあ、電波な方かなって。その旦那さんに関しては、奥さんの附属品な人かなあ(なんて失礼な言い方)。

芸能人とか政治家とか…タレントやシンガー、ミュージシャン、俳優さんなんかにしても、いわゆる有名人な方とかってのは…別に過去生で「良い行い」をした善人だったり、立派な人格者だから、華やかな脚光を浴びる世界に進んで、高収入を得たり、名声を得ているわけではないです。
霊性や霊格が高いかって言ったら、全然そんなことない。

むしろ、その逆の人の方が多いです。圧倒的にね。

例えばこの韓流の俳優さんとか
過去生で楽しみながら笑顔で大勢の人々を
残虐に殺していた人だったりする
見ると、背筋をものすごく寒くさせられる人です
皆さん、キャーキャー言ってますけど
確かに顔はお綺麗ですよね

彼らの音楽のファンです💛…ですが…彼らはSSだった人たちなんだよなあ。

して、その手の職業に就く人の特徴的なカルマについても、下記に書いてはあったりしますが。

前に某バンドの人たちに対して、ジプシーの旅芸人を嬲り殺しにして、楽器壊して~遊女のことを馬鹿にして見下してリンチしたくせに、その遊女の悲しみを謳にして金儲けの種にしやがって~なんて…その過去の罪のことをちいとも反省してないやないけ~!って、怒りをここにぶつけた書き込みをしたことありますが。

大勢の人に対して犯した、その罪を贖うために、大勢の人の心を癒したり、元気づけたり、人々に希望を与えたり、生き方の手本になるような…時代の先導者たる立場に尽かされる人ばかりなんですよ。実際のところね。
人類全体や大勢の同胞に対する、とてつもない大きな、数えきれないほどの大量な罪を一度に贖うためのビッグ・チャンスを与えられてるってこと。

そのための花道。

人徳があるから、物事が上手く行って、スターになれるわけではない。
やらなくてはいけないことが人一倍(一度の人生では払いきれないカルマの負債)があるからこそ、たくさんの人に感動や希望を与え、「何か」の問いかけをして、「気づき」をもたらすことをしなくてはいけないから、そうした目立つ場所に立たされていたりする。

実際のところは、それを勘違いしてしまっている人の方が多いのだけども。

そんなわけで汚れた魂の人、罪深くて、一度の人生ではとてもとても返しきれない、大量のカルマの負債を背負った人ばかりです。
もちろん、中にはとても美しい、綺麗な魂の人もいます。霊格や徳の高い人もそれなりにいます。数としては少ないけど。普通の平均的な人もね。

だから、そんな上に見て、憧れられるような人たちじゃないよって話。
歌や演技が上手いとか、見た目が整ってるとか、何かに秀でているからって、それが霊性や彼らの魂の美徳の証明になるわけではない。
有名人なのは…富と名声と脚光を浴びるチャンスを与えられているというのは、彼らが光り輝く魂を持っているからというわけでは決してなく、その場所に立つことでやらなくてはいけないことがたくさんあるし、プライベートを晒されていることで、人々の批判や 非難(断罪)を受ける立場に立たされてもいるってこと。

だから、ブラック企業的な業界で馬車馬のように働かされたり、人々から矢面に立たされるなどのリスクもあるわけですよ。だって、過去の罪は裁かれて無い人がほとんどだもん。今生で私生活をさらされ、パパラッチに追われるリスクを負っているのはそうした理由もあるかしら。

先の夜の帝王的な梨園の方も、その代表格ですよね。
今の人生ではしてないけど、過去の人生では随分と…ではある。今の人生で聞こえてくることは、彼のこれまで生きてきた人生、魂の遍歴の中では大したことがないんじゃないかな。悪魔に魂を売った人と言う表現はピッタリかなあ。それだけのことはしてきておられるんで。

確かに姿形は丹精だけれども。見た目には騙されてはいけないのです。それは骨の上に貼られた肉と皮でしかないから。

彼らの場合は、もともと西洋に生まれた時、教会で聖歌隊やってた仲間でご縁ですよね。その後、JとTはカストラートに。その他の人は神学校に進んだり…ちなみに私、GSの中で一番好きでしたよ~。年がバレるーww


まあ、テレビに出ている人たちの場合、実際にお会いしなくても画面で見るだけで色々と背負っているものがくっきりはっきりだから、とても解りやすいです<これまでの人生

んでもって、人気商売と言うのもあるから、色んなものにお便りになる人が多いですしね。宗教とか占いとか、ジンクスとか。
だからまあ、過去生の宿業や怨念とか生霊とか、そうした類のものだけで無くて、色んなものくっ憑けている人が多いなあって、ハイ。
途中からおかしくなる人もいますし。役者さんだと霊媒体質で憑依体質って人も実に多いですからね。そのせいとも言えるし、精神的に弱い人も多いのでしょう。芸能界が魑魅魍魎の巣窟ってのもありますし。周囲に染められてしまう人も少なくないのでしょう。
早く悪い因習が消えて、健全化されると良いのですが。

政治家さんも、「おぬしも悪よのう」って人、多いですよね。国会中継なんか見た日には、画面が真っ黒で何も見えないって感じww
皆さん、オーラがドス黒くて、気持ち悪いものをたくさん、くっ憑けていらっしゃる。

ていうかー 最初は志高くって人でも、やはり途中で「魔」に魅入られてしまう人が少なくないのでしょう。

ちなみに「〇新の会」は過去生では人種差別や階級差別をしていた人ばかり。異端尋問や奴隷商人など、人をモノとして扱うアコギなお商売で、金儲けしてた人ばかり集まってますわ。

角栄さんは私、好きだし、尊敬していますけど
こんな政治家はもう出ないだろうなあ

悪魔に魂を売った人たちは、そんな感じでテレビつけた日にはたくさん、見かけることになりますよねっっ 見たくないけど、いるから仕方ない。

過去その人がどのような人であったか…どのようなことをしてきた人なのか…それを問題にしたらキリがありません。人はすべて罪を犯す生き物なので。ただ、イジメと同じで、加害者は忘れても被害者はいつまでも忘れないもの。して、カルマとは与えたり与えられたりするもの。色んな人がそれぞれの運命を網の目のように交差させて、緻密な運行ダイヤのごとく、おのおのの人生を生き、カルマのレッスンを生きている。

今の人格が過去を反省して、まっとうに生きようと努力しているのならば、なべてこともなし…なんですが。やっぱ、そうでない場合は、「赦せん!」的な困った正義感がムクムクと頭をもたげて、相手を糾弾したくなってしまうことも多々あったりしますのよね。それはエゴイズム的反応以外の何ものでもなかったり。

で、同時にテレビに出ている人たち…はレギオンたちに吞まれやすいし、その誘惑にも遭いやすいです。テレビ界や芸能界自体が魔の巣窟だってのもあるし。そうした波動で満ちてますからね。

心がデリケートで弱い人は、奴らの食い物にされてしまうし、自ら命を絶ってしまうところまで追いつめられてしまう人も多かったりする。いやさ、霊的なレベルの話以外で、実際に消されてしまう人もいるのですが。

さわり程度の話ですが、とりあえずここまでにしておきます。

芸能人だからと言って…歌手やミュージシャン、女優男優、モデルやスポーツマンや伝統芸能の人たちだからって、魂が特別なわけではない。人として立派なわけでも、霊性が秀でた、徳のある人たちってわけでもないのです。
だから、自分が彼らと同じように華やかなスポットライトを浴びていないからって、比較して相手を羨んだり、自らを格下に感じる必要もない。

彼らがチャンスや運に恵まれているのを妬む必要もない。
努力して自分を磨いて、人として素晴らしい才覚を持っているから、その立場に生まれた人も確かにいるけれど、そういう人は少数派で、ほとんどの人が重い十字架を背負っていたりする。たくさんのものを引き換えにして、今の場所、地位に就いてる。それは自分の人生や他人を犠牲にした結果でもあるし、人としての良心と引き換えに手に入れている人もいる。
自分が手に掛けた人たちの命の償いをするために、そのステージに立って、スポットライトを浴びている人もいる。

そして、無意識・無自覚にせよ、今生でそのポジションでやるべきことを果たせている人もいるし、自惚れと勘違いから過去の悪業をなぞるかのように、相変わらず悪の華を咲かせている人もいたりする。レギオンたちに利用されたり…悪霊や動物霊に憑依されて、身を滅ぼして自堕落になっている人もいる。彼らに心の隙間を狙われて、魔に魅入られてしまう人も。

そんな場所にいる人たちの何が羨ましいものか…
過去にいかほどの罪を犯したのかを知らずに…その罪の欠片さえ良心には未だ届いていず、天狗になって世界に自分たちの音楽を届けるなぞと嘯いている人たちの、その欺瞞的な歌声の何に価値があるものか…

まったくもって、人と言うのは才能や見た目がすべてではない。
そのようなものと霊格・霊性は比例しない。
悪魔から得られた才能ならなおさらのこと…
悪魔に魂を売って、彼らの手のものとして発揮している芸の道なぞ…誰の胸に響くものか。そんな誤魔化しが聴き、そうしたものに騙され、惑わされてしまう人の何と多いことか…でも、それが今の地球のレベルなのが真実。

てなわけで、今回ちょっと辛口です。

四凶たちは、人の醜く悪しき欲望を象徴
まさにグループ・エレメンタルです

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