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我が望み叶えるは我が身なり

年に数回という、定期健診的なタイミングでいつもいらしてた、それなりに長い付き合いのとあるお客さん。これまで自分には不要かと思っていたけれど、やはり共に歩めるパートナーが欲しいと…一年半前くらいから、マジメに人生変えようとちょっと取り組んで下さっていました。

とても素直な方で、女性特有のドロドロした感情を貯めこまれてない方なので、(その持ち前の女性的魅力が故に、たまにエロ親父の亡霊だとかまだご存命中の親父等の、邪な想念をくっつけているという弊害以外には、特に大きな障害的想念もなく…)
チャクラのクリーニングもスムーズかつ順調で、望みのものを引き寄せるためのエレメンタルの書き換えも、元々クリエィティブなパワーをお持ちな方だったので、それもいい感じで。

そして、一週間後に、「こういう男性と出会いたい」と強く心に描き、
ビジュアライゼーションした条件通りの人との出逢いが
(それだけでなく、彼女のご先祖様にも橋渡しというか、サポートはお願いしましたけれども ※実際、ご先祖様の縁繋がりの人でした)

とはいうものの、何もかもが意気投合して相性抜群な、文句のない相手かというとそれは別問題。出逢いは引き寄せられ、「ご縁」はセッティングされました。しかし、その後をどうするかは本人の努力次第なのです。

だって、自分とバッチリ「合う」人というより、
自分が惚れる異性のタイプでの引き寄せですもの

相手が自分を「好き好き好き~!」と、ラブラブ光線で攻めてきてくれる人なら、これまでの彼女の人生には存在していたわけです。
けれど、彼女はそういう人にときめかなかった。欲したのは、自分が尊敬し、心から惹かれ愛することの出来る人。

そう、彼女が求めているのは愛されることでなく愛すること。
そして求めていることは必要なこと(学び)でもあったり…

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さて、一年経って、その方が言うには、
「一年前、アルマさんに『察してちゃんではダメよ』
 とアドバイスされたんですが、
 その意味が一年経った今、ようやく理解できました」…と。

「そして、ある日ハッと気づいたんです。
 なかなか、はっきり態度をさせない彼に業をにやして、
 だったらもういいって。
 もっときちんと、結婚を考えてくれる、
 別の人との出逢いを求めたり、
 願ったりもしたわけですが…
 私が相手に自分の気持ちを伝えるという、
 その学びを実践しない限り、
 相手が誰であっても同じことだと…
 彼との関係性において、それを実践してないから、
 だから今、この状況で彼と縁は切れず
 他の新しい出逢いもないのだと…
 まずここでクリアしないと先に進めないんですね」

はい。彼女は自ら答えに行き着きました。
自分で気づきをひとつ得ることが出来ました。

時間はとてもかかったけれど…

いつだって、その人自身で気づいて「答え」を捜して、見つけて、
自分の力で乗り越えるしかないんです。

その人の人生のレッスンを、するべきことを、
変わってあげることは誰にも出来ません。

そして、その課題を無視しておざなりにしたままで、
望む現実を手に入れられることもありません。

欲しいものを手に入れるためには、彼女には身に付けなければいけないスキルがあり、そのために逃げてはいけないことがあるんですね。

答えは自分で見つけるしかないんです。皆そうやって成長していきます。

他人はヒントを与えることしか出来ません。
「答え」はすでにその人がもっています。

自分が何に取り組むべきか気づいたなら、後は行動するだけです。やるべきこと、取り組むべきことから逃げてはいけません。自らの弱さ故に課題から逃げ回っている限り、その問題(課題)は永遠に付きまとうことになります。

いつだって、その人を救えるのはその人だけで、自分の問題を解決するのは自分自身で、自らの望みを叶えられるのも自分自身です。自分に欲しいものを与えられるかどうか、そのカギを握っているのも自分自身です。

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ですから、自分自身から逃げちゃダメです。自分の問題に取り組むことです。内省をして、内側を見つめて、自分の内面にある何が、自分の人生に障害をもたらし、問題を創り出しているのか…しっかりと見つめて、課題を見極めて、与えられた人生と対峙することです。

当人にとっての課題(カルマのレッスン)には、誰でもない当人自身が向き合わなければいけないことには、私のような第三者が介入できることではありません。それを取ったり解消したりする力は、他人にはないんです。誰にもその権限はありません。

私みたいな職業の人間が出来るのは、その「気づき」の工程へと導くサポートをするだけ。そちらに目を向けさせたり、促したり、レッスンへと向かわせる過程を早める手伝いだけ。自分の課題(己の問題)と対峙する力を取り戻させることだけ…それしか出来ません。

他者はホント無力です。
ヒーリングやリーディングなんかでは、大したことができるわけでないんです。ヒーリングなどのエネルギー的アプローチでは、攻撃的かつ霊的な想念を取り除いたり、氣を補充したり、整えるお手伝いができる程度で。   リーディングなどセラピーやカウンセリングなどでは、話を聞いて、それが何なのか因果関係を解析したり、その人の思考の整理整頓を助けたり、第三者的なアドバイスと指摘をして、自分と向き合う空間と場所を提供するだけです。

そこまでのことしか出来ません。
あとは時間とかタイミングとか、本人が視点を変えたり行動を起こす以外に
何かが解決することはありません。

私のようなワーカーが、誰かの問題を解決したり奇跡を起こしたり、何か特別なことをしているわけではないのです。

いつでも、その人の問題を解決するのは当人自身で、本人が気づくべきことに気づかないことには何も始まりません。変化は起きないのです。

誰も「神聖なる計画」に介入することは出来ません。
その計画を立てたのはその人自身なんですから。

そのためには自分自身を知ることです。
自らの欠点も長所も特徴も、冷静に振り返って、人生の棚卸をして、人生や自分自身の内部にある不要なものに気づくことです。

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さて、下記の記事(note)ですが、こちらもお客さんの書かれた記事で、うちでセッションを受けて下さったことも、ちらりと触れる程度ですが、書いて下さってます。

許可もらいましたので、自身が進むべき道や人生の方向性、何を成すべきかどう生きるべきか、仕事や将来について迷われている方は、是非読まれてみて下さい。


本当にそうです。

私みたいな仕事の人間が出来ることって、限られています。その人の人生に奇跡を起こすのは他人じゃありません。超常現象的な力でも運命でもありません。見えない世界の出来事も住人も、カルマでさえも、生きている人の意志の前には無力です。

その人の人生を切り開くのは、いつだってその人自身で、未来を創造しているのはその人自身の力です。その人が望まなければ何も始まらず。捜さなければ答えを見つけることも出来ません。

自分自身を知ろうとし、自分の本当の気持ちに気づき、宇宙で一人しかいない自分の個性や創造性を活かそうとし、素直に自分らしい人生を生きようとしたとき…

歯車はピタッとあうものです。

自らが自らを知り、自分と対話をし、いつわりの仮面を捨て、いつわりの人生を終わりにし、自分(心)を殺さず、生かそうとするとき、魂の声に従って生きようとしたときに…

本当の人生が始まります。

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