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満足の裏側。

2023年、明けましておめでとうございます。
とは言いつつ、年末から年始にかけて文字通り休みなく働いていたため、年末の名残惜しさもお正月のめでたさもあまり感じていないまま、明けましてコロナになりました。

幸先良いです。

発熱してからの24時間は38度から40度近くを行ったり来たりの繰り返しで、地獄だったのですが、それも2日目には引いてただ隔離期間が明けるのを待っています。

先にも申し上げた通り、年末から年始までクソほど働いていまして危うく19連勤となるところでした。
コロナのおかげと言いますか、14連勤でストップになったわけですが。

そして濃厚接触者である母も5日間の隔離期間中のため、珍しく我が家が賑わっています。

我が家、本当に家族それぞれがそれぞれに忙しく生活しているため、会話はおろか顔を合わせることもままならないような状態でした。
そのため家の片づけや家事も、必要最低限は済ませてあるという状態が長らく続いていました。
仕事、家、仕事、家の往復、全く自由な時間が無いというわけではありませんが、なんとなく、ふぅ、と一息ついて見渡す景色が暗いと気持ちもなんとなく暗くなるような気がするわけです。

日中にのんびりと家で過ごす。
長らく先延ばしにしていた部屋の片づけに着手する。
昔の日記を読み返してみたり、思い出の品に別れを告げたり。
ベランダで日向ぼっこをする。
レジャーシートに枕にブランケット、温かいコーヒーとクッキーを傍に置いて。
ずっと積読されていた本を読み、いつかやろうと思っていた勉強など。
机の裏で埃をかぶっていた数独通信を解き、日が落ちてきたら部屋に戻って映画を見る。

普段ながら見しているYouTubeですら、ながら見ではないと見るものが変わってきますね。
普段はポッドキャスト感覚で見られるものばかりなのですが、久しぶりに好きなアーティストのライブ映像を見たり、関連動画をディグディグしたり。
なんだか新鮮な気持ちになります。

久方ぶりの充実感を味わっていると同時に、この感覚の裏側に感じるなにかもぞもぞとしたもの、見えるようで見えなくて、わかるようでわからない暗い感情があります。

きっと「漠然とした不安」とか、「虚無感」と名付けられるようなものに近いんだと思います。

もしかしたら、手に入れた充実感を失うことへの恐怖なのかもしれません。

それかどっちも。

どちらにせよ、この感情が私にとって鞭になっているのか枷になっているのかはわかりませんが、少なくとも変わった景色が見えるということは自分が動いたということだと思うので、まあ良しということにしておこうと思います。

そして何より、「机の上が片付いている」というのは本当に本ッッッッ当に大事だと気付かされました。
机が片付いていなかったらnote書こうとも思わなかったでしょうし、というか、ただ机が片付いて使えるスペースが広がったというだけですべての物事に対するモチベーションが40ポイントくらい上がった。
「机の綺麗さと日々の充実は比例する」胸に刻みました。

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