ダークな自分
今日は子供達の習い事もなく、自分の仕事もなく、このバタバタと駆け抜けた数日で久しぶりのみんな休みの日。
朝はゆっくり子供達が寝ていてもまぁいいやと思い、念入りに風呂掃除。
犬の散歩にもみんなで行けて、気持ちのいい朝だなぁと思っていたのに。
なーんかとても疲れていたのでしょうね。
疲れが残っていたのでしょう。
今日はお昼までに実家に行く日だったのですが、いつもは聞ける、母の他愛もない話が、なんか聞く気になれずしんどい。
心の中で、
は?知らんし。そんなんどうでもいい。どっちでもいい。あー、自宅でゆっくり寝転びでもしながら好きなことしたい。愚痴や文句を聞く気力がない。めんどくさい。
と、ずーっと思ってしまっていました。
ご飯を食べさせてもらえるありがたさに、全然目を向けられませんでした。
そして、そんな自分にまた嫌気がさすのです。
お昼ご飯は外食させてくれ、夜ご飯はお鍋を作ってくれ、こんなありがたいことは無いのに。
でもそれと引き換えに、自分の自由な時間がないというか。常に気を使うというか。聞きたくもない話を聞かないといけないストレスと言ったら…
でも、話を聞くことの何が嫌なんやろう?
と、自分に問いかけます。
母はとにかく、ねばならないや、普通はこうという固定概念の塊。世間の目を気にするというか。
そういう環境で育ってきた私は、それが普通だと思っていたので、それはそれは自分を自分で勝手に苦しめる自己肯定感の低い心の持ち主でした。
でもそれが嫌で、本を読み漁り、考え方を変え、意識を変えてきました。
しかし、またそこに引き返される感覚というか…。浸かりたくないお湯につかりに行くというか…。とにかくストレスなのです。
でも、父がなくなって1年。母も寂しいのがわかるし、父の母親、つまり、姑と2人で住んでいる母の愚痴くらい聞いてあげたいとも思う自分もいるのです。
いつもは流せることも、疲れている今の自分は流すことが出来ずにいちいち引っかかる。引っ掛かるけれども、その自分の気持ちはどこかへ置いたまま、偽の顔で話を聞き続ける自分。
どうしたらいいとかも無いのでしょう。
どうしようも無いことです。
今日は一日、よく頑張ったと思います。
年末年始、楽しいことも沢山あるけれど、またこんなダークな気持ちが生まれてしまうのだろうかと思うと、ちょっと憂鬱です。
考えても仕方の無いことなので、今日は早く寝ようと思います。
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