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こうして繋がっていきました(2)

ついにパンドラの箱が開く

仕事で知り合ったチャネラーさんに、私のオーラの情報を読んでもらった時「今、オーラの状態はきれいで整ってます。でも、ハイヤーセルフは『あと1~2年で封印しているパンドラの箱を開けるよ』と言ってます」と言われたことがあった。

当時私は30代前半。いろんなことが願った通りに叶っていたときで「宇宙は私の味方だし、私は魔法使いのコツをつかんだのかもしれない♪」と、毎日ご機嫌で過ごしていた。

だから、その話も「ふ~ん…パンドラの箱って何?」と気に留めなかったが、1年後、確かに箱の蓋が開いた。

「花粉症が治るものなら治したい」と軽~い気持ちで始めたホメオパシーがきっかけで全身に酷い湿疹が出て治らなくなり、同時にものすごい怒りが噴き出してきたのだ。

ホメオパシーは好転反応があると言われているが、あまりにも酷く長引く場合は、ホメオパスが処方を間違えているケースが多いらしい。ホメオパシーのようなエネルギー療法は、セラピストの読み(診断)が肝心だが、これがかなり難しいようで、最初にエネルギー的な蓋を開けるレメディ①を使ってから、中の不要物を押し出すレメディ②を使うべきところを、いきなり②を服用したりすると心身ともに大変なことになるらしい。

そして、私の場合はその「大変なことになったケース」だった。

結局、ホメオパスはそれ以上の悪化を恐れて逃げてしまい、科学的な薬でより悪化する体質が変わってしまったために、鍼灸と漢方とエネルギー療法と温泉と森林浴で治したが、完治まで5年くらいかかったし、お金もかなーりかかった。新型のプリウスが1台買えるくらいは、かかったな。

話すと長くなるのでやめておくが、ホメオパシーはエネルギーを直接動かすセラピーとしては、かなりエネルギーの動かし方が粗く強引だ。遠隔治療でも不調が治るほど敏感な、私みたいなタイプはやってはいけない療法だったと思う。

関東全域なら焦土にできそう

話を戻そう。
ホメオパシーのレメディを摂りだしたところ、湿疹と共にもんのすごい怒りが噴き出してきた。それまでの私は結構「いい人」で「調整能力が高い人」でもあったと思う。だからこそ、面倒くさい人とチームを組む仕事も、それぞれに能力は高いけど仲が悪いクリエイターの間に立って、プロジェクトをまとめたりするのも得意だった。

ところが一転、もうぜんっぜん我慢というものが、できなくなってしまったのだ。

例えば、出張中の宿や食事や天候に文句ばかり言っていて(予算内で頑張って、かなり良いところを用意したのに!微妙な天気は誰のせいでもないのに!)、「天気がいまいちだから、いい絵が撮れない」とか言い出すパリ帰りのカメラマン。

今までなら相手の機嫌をとりながら、やる気を出してくれるように働きかけるのが常だったが、パンドラの箱・大開放中の私は「天候がいまいちなら工夫していい絵を撮るのがプロだろ。二言目にはパリでは……パリでは……言ってるけど、そのくらいの工夫さえできないから、ヨーロッパで需要が無くなって逃げ帰って来たんだろーが。そんなにパリが良くて日本が嫌なら、戻ってくんな。てか、天気に恵まれないバージョンのアイデアぐらい考えてこいや。資料送っただろ!」と、脳内の悪態が止まらない。

おまけにそれが態度に出てしまい、気づけば「チッ!」とか舌打ちしてるし、ぐずぐず言い続ける相手を超冷たい目で睨んでもいたようで、5歳以上年上のその男性は、企画の担当編集者に「あの人、怖いです。もう組みたくない」と言ったそうだ。
いいです、組まなくて。こっちからも願い下げです。

そして、インタビュアーとしてのお仕事も、インタビューする相手が「もともとヤンキーだった人」とか、今まさに「理不尽な事務所を蹴とばして独立しようとしているアイドル」、「お育ちが過酷だった芸能人」、「二枚目役者としての自分のイメージをひっくり返した人」など、基本的に怒りとハングリー精神をバネに生きてきた人ばかりに……。類は友を呼ぶ(笑)。

以前の私だったら、怯むであろうタイプのオンパレードだったが、当時は私もめっちゃ怒っていたため、もう話が盛り上がる盛り上がる。また、堂々とメディアに向かって吠えまくる彼らの勢いというか、生きものとしての強さは新鮮で、勉強にもなった。

そう、それまでの私は、ケンカや対立がとても苦手な人だったのだ。
さらにネガティブな感情自体も苦手だった。

宇宙を味方につけた運のいい人で居続けるためには、ネガティブ感情を持ち続けちゃいけないことを、私は子供の頃から本能的に知っていたと思う。だから、基本姿勢がポジティブで、実際にうまくいっていたのだが、私はネガティブ感情を「手放す」のではなく、ただただ圧縮してしまい込んだ。無意識の箱の中に。

そして、その容量がいっぱいになった時、箱の蓋が開いて、溜め込んだネガティブな感情が噴き出してきたのだ。
あの頃、私は関東全域くらいなら、一晩で焦土にできそうなくらい怒っていた。

自分のスペースを取り戻すぞ

何にそんなに怒っていたかというと、あるあるだけど主に両親と、その背後にある「ニセモノの幸せの形」だ。

小学校卒業までの子供時代は不幸ではなかったが、中学に入ったくらいから、どういうわけか母は機嫌が悪いと「あんたなんか死んでしまえばいいのに」「あんたさえ、いなければ」「ここは私たちの家。あんたの家じゃない」と、私に悪態をつくようになった。

正直、今もそう言われた理由が分からない。祖父母の介護や母自身の入院などが続き、どちらかというと私は、文句言いながらもよく手伝う、気が回る子」だったと思うよ、はて?

ま、こんなのは序の口で、部活で疲れて土曜日に自室で寝ていれば「いつまで寝てるの!あんたがいるから片付かない」と蹴とばされるなど、私の側からすると、全てが因縁つけられてる感じで意味がわからん。

長じて私が家を出た後も、朝の7時に電話をかけてきて「宅急便が届いたのにお礼の電話もしてこないなんて、あんたは人間のクズだ(←不在表さえまだ見てないし、荷物が来ることも知らされてうない)」と怒鳴るような人だったので、母はちょっとおかしいというか、おそらく病気だと思う。

いや、悪霊でも憑いてたのかもしれない、マジで。
避けているのに、わざわざぶつかって来て難癖をつける当たり屋的行動パターンがデフォルトだったから。

母のこうした態度は私と二人きりのときにだけ現れ、父や親戚の前では別人だった。だから、なかなか信じてもらえなかったのだが、私の言っていることが真実だと分かってもなお、父は「我慢しろ」と言い、母方の親戚は母の肩を持った。なぜなら、母は嘘をつく人で、母と彼女らは親密だったからだ。母方の親戚の中では「冷たい娘」と「娘思いなのに可哀想なお母さん」というストーリーができあがっていたらしい。

母のこうしたクレイジーさは、彼女の生い立ちを知ると納得がいき、同情する部分も無くはないけど、娘としてはひたすら迷惑。

ていうか父よ、あなたは何なの。
どちらかというと、私を盾にして自分を守ってるよね!?役割が逆でしょ!!!

と、パンドラの箱が開いた私は堪忍袋の緒が切れて、父と全親戚に「家族脱退宣言」をした――この怒りまくっていた最中に。

浸食されまくっていた自分の領域から、家族を含めた他の人たちを追い出し、私は物理的にもエネルギー的にも、自分のスペースを確保して整える必要があった。自分の人生を築き直すために、それは絶対に必要なことだったのだ。

その後の数年間は、ものすごく心細くも、味わったことのない自由な日々だったなー。

そして、怒り始めてからすっかり途絶えていた『上の人』からのメッセージが、再び予期せぬときにやってくるようになった。

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