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アンソニー・ロブレス:片足でレスリングの頂点を目指して

片足のレスリング王者アンソニー・ロブレス。

片足(かたあし)しかない状態(じょうたい)で生まれる。

義足(ぎそく)装着(そうちゃく)拒否(きょひ)し、3才義足外(はず)す。彼は、失(うしな)った

のかわりに残った左足強化(きょうか)トレーニングをした。

他にも様々(さまざま)なトレーニングをして体全体強化した。

その結果(けっか)ロブレス小学6年生のときに学校生徒(せいと)の中で腕立て伏せ(うでたてふせ)最多記録(さいたきろく)達成(たっせい)した。

ロブレスは、中学2年生のときにレスリングを始めた。

年上(としうえ)のいとこのレスリングトレーニング参考(さんこう)にした。

高校1年生のときにロブレスは、ランキング最下位(さいかい)だった。

なぜなら、彼の階級(かいきゅう)では、4.5キログラム軽いからだ。

成績(せいせき)5勝8敗だった。

けれど、松葉杖(まつばづえ)の使用(しよう)により驚異的(きょういてき)な握力(あくりょく)を身(み)につけた。

ハードトレーニングのあとに異常(いじょう)重い重心(じゅうしん)を利用(りよう)して攻撃(こうげき)防御(ぼうぎょ)できることに気づいた。

自分で攻撃パターンを思いついた。

高校2年生のときにロブレスは、アリゾナ州(しゅう)でランキング6位メサ高校では、中学時代と高校時代をあわせて96対(たい)0で州レスリング選手権(せんしゅけん)で2度優勝した。

ロブレスは、シニアとして全米選手権(ぜんべいせんしゅけん)優勝し、129勝15敗の成績で高校レスリング選手としてキャリアを終(お)えた。

大学生になったロブレスは、2006年FILAジュニア世界選手権フリースタイルレスリング55キログラム級(きゅう)6位になった。

全米ランキング25勝11敗の成績で全米代表には、なれなかった。

大学2年生のときにロブレスは、全米栄誉賞(ぜんべいえいよしょう)を獲得(かくとく)し、その年を

29勝8敗で終え、56キログラム級でパシフィック-10カンファレンスのチャンピオンシップを獲得し、NCAAチャンピオンシップの56キログラム級で4位となった。トーナメント。

2009年から2010年にかけて、ロブレスは再び全米の栄誉獲得し、NCAA 125ポンド級で7位となり、シーズン32勝4敗で成績を収め、Pac-10 125ポンドレスリングチャンピオンを繰り返した。

ロブレスの出場資格最後の年(2010-11年)には無敗で年間36勝0敗を記録し 3度のPac-10チャンピオンとなった。そして決勝でオレゴン州立大学のジェイソン・ララに勝った。

125ポンドの前回のNCAAチャンピオンであるアイオワのマット・マクドノー7対1で勝ち、ロブレスは、トーナメントの最(もっと)も優(すぐ)れたレスラーに選(えら)ばれた。

ロブレスは、アリゾナ州立大学でのレスリング選手としてのキャリア122勝23敗の戦績(せんせき)で締(し)めくくった。

Pac-10 レスリング チャンピオンに 3 回、全米にも 3 回優勝した。ロブレスは最多試合勝利数で 8 位にランクされた。

以上のことからアンソニー・ロブレスは、重度の身体障害者だがとても強いレスリング選手だと言える。

最後に。

僕の記事がアンソニー・ロブレスについて興味がある人、格闘技に興味がある人、何かに挑戦したい人の参考になれば嬉しいです。最後まで読んでくれてありがとうございました。

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