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里の風景から拡がった空想の世界

幼児のころ、両脚とお腹に大怪我を負い、長らく入院していた。
退院後も、しばらくは歩けなかったので、寝たきりだった。
両親は共働きだったので、母の実家に昼間は預けられていた。
毎朝、父の車で送ってもらい、夕方、父が迎えに来る。

伯父夫婦と祖父母も働いていたので、わたしの面倒をみてくれていたのは
曾祖母。
わたしの姪の娘ちゃんは、母のことを「ひいばあば」と可愛い呼び方をするけど、わたしは曾祖母のことを「ひばさん」とか「ひばあ」と呼んでいた、という記憶。

ひばさんは、あやとりや折り紙をおしえてくれた。
セーターを器用にほどいて毛糸玉をこしらえたり、買い物したら貰える
チップを台紙に貼ったりしていた。義理の伯母やうちの母、伯母もひばさんにチップの台紙貼りを頼んでいた。
歩けるようになって寝たきりではなくなってからは、わたしもその手伝いをしていた。

曾祖母の家では、コッコ(鶏)や七面鳥を飼っていた。
産みたての卵を食べさせてもらうのが楽しみだった。お店で買ってくる卵とは味が全然違うというのが、幼くても判った。
曾祖母は、家の周りのドクダミの葉を摘んで干し、お茶にしていた。
「じゅうやく」とその家で呼ばれていたお茶が美味しくて好きだった。
じゅうやくとは、十薬のことだったのだな、と大人になってから気がついた。

坂の途中にある大きな家で、崖には竹藪があって、外界と遮断されている
隠れ家のような幻想的で不気味な雰囲気があった。
そこでは、天の川がはっきり見えるほど、恐ろしいくらい星空がきれいに観える。
夜には、窓の向こうの藪で、魔物が蠢いているような気配も。
従兄たちが、「〇〇さんが亡くなった夜、坂道を歩いていて、火の玉を見たことがある」、という話を何度もしていた(火の玉については、亡き父も
目撃したことがあると言っていた)。

すぐ近くに、民家は一軒しかなく、その隣家は日本昔話に出てきそうな小さくて古い家で、おばあさんが一人で暮らしていて、時々、そこに遊びに行っていた。
曾祖母の家族がみんなお風呂に入った夜更け、お風呂のなかったその家のおばあさんは、お風呂をもらいに来ていた。昭和の頃はこうして助け合っていたのだ(お醤油を切らしているから、ちょっと分けて、と、お隣同士で助け合ったりも日常だった)。

曾祖母の家からさらに坂を登っていくと開けた丘があり、眼下に海が見える。そこからの景色が、今でも一番好きだ。
泣き止まないわたしを背負った祖母が、ゆっくり坂を登り、丘で立ち止まり、海を見せてくれたことがあった。海を見ると、心が落ち着いた。

アカウント名を夕なぎにしたのは、夕方の凪いだ海に、でっかい夕陽が海に溶けていくよう沈んでいくときが一番好きだったから。
最近、凪っている人多いので、どうしようかと悩んだけど、まあいっか、と。

                ーーー

みんなが出払った家で、曾祖母と過ごしていたある日、見知らぬ女の子が
お母さんと一緒に、見舞いに来てくれた。
わたしと同じ歳だという。とても大人っぽく落ち着いた雰囲気の子だった。
絵本を贈ってもらった。後に判ったことだけど、その子は、わたしと誕生日が同じで、中学生になって同じクラスになり、とても親しくなった。

別の記事にも書いたけど、「戦争や疫病は、人口削減のため、意図的に起こされてきた」と、世界のカラクリをおしえてくれたのは、その子だった。
今では、わたしの目覚めを促すために、必然的に出会った人だったのだろうと思っている。わたしは彼女より、ずいぶん遅れて、40代半ばで、ようやくそのことを理解できた。

インターネットもない昭和の時代、本屋がすぐ近くにないようなド田舎の
中学生が、なぜ、そんなことを知っていたのか、不思議だ。彼女はずっとずっと時代を先取りしている人だったから、周りの同級生たちと話が合わなかっただろう。芸能界とかテレビの話とか、流行っているものとかに、あんまり興味がなさそうだった。
家族でUFOを目撃したとか、家族で山を散策中、桃源郷みたいなところに迷い込んだことがある、とか、エイズは意図的に起こされた、とか、そんなような話をするのが好きみたいだった。
周りと話が合わないモヤモヤを今のわたしは抱えて生きているが、彼女も同じモヤモヤを抱えて過ごしていたのではないか?

小学生になって、時々、彼女の家に遊びに行くことがあった。
離れに小さな家があって、そこは趣味で油絵を描いている彼女のお母さんのアトリエになっていた。床一面に新聞紙が敷いてあり、油絵具がこびりついていた。イーゼルやカンヴァスが置いてあり、なんかカッコよくて、その場所で遊ばせてもらうのが好きだった。彼女も、とても絵が上手だった。市展では、いつも特撰を受賞していた。

ということで、わたしの小説には、よく、絵を描くのが好きな人物が登場する。母の里での暮らしと、海と、彼女との思い出がベースになっていて、
そこから空想が拡がっていき、ずっと物語を書いてきた。

でも、今はもう、書いていない。システム自体が、人々を、わたしを苦しめてきたことを知ったから。もう、何かに依存しなくても、システム自体を無視して生きればいいと気づいたから、空想物語を紡ぐ必要がなくなったから。

                ーーー

母の里で過ごしていたころから50年ぐらいの月日が流れ、静かな隠れ家だったあの家の周辺は、開発が進み、削られ、竹藪もなくなって、丸裸にされてしまった。風景が変わったことを寂しく思う。

でも、わたしの中にしっかりと、あの頃の記憶があるから。
それを形を変えて、書き残してあるから、大丈夫だ。