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ヌードデッサンあれこれ(2)

昭和の時代はまだまだいろいろなことに無自覚で、(女性の)ヌードデッサンみたいなことも、しばしば下世話なエロ話として語られることがままあった。

初めてヌードデッサンに挑む高校生男子は、先輩からからかい半分に、様々な忠告だか警告だかをうけて、ガチガチに緊張して当日を迎えたものである。
しかしながら、いざその場にたつと、拍子抜けするほど何もなく
(いや、まあ何かがあるわけもないのだが)淡々と、普段描いているリンゴやビール瓶のごとく、ただただ即物的に、目の前の肉体を描写していくのだ。

一方モデルさんもそのあたりのことは感じるようで、例えば何十人の制作者に囲まれてポーズしていても、なかにひとりでも部外者がいると視線でわかるのだという。
わたしも、なぜかいつもと違う視線を感じるのに、教室にいるのは学生だけで、何だろうと思ったら、アトリエの窓外、隣家の屋根で作業していた職人の視線だった、という話を、当のモデルさんから聞いたことがある。

まあ当時は、例えば亡くなった某大歌手の、「若い頃に学費稼ぎのヌードモデルをやっていて、画家の先生に求められて応じた」みたいな話が普通に流布していた時代であったから、一般人的には性的なイメージも強かっただろう。
それにもちろん、よからぬ思いでモデルを見ていた人間が皆無だというつもりもないし、それは何人かはいただろうけれど
とにかく画学生にとって、ヌードモデルをつかった課題は、あまり下世話な気持ちが入り込む余地はない世界であったように思う。

それだけに、高校生のころの自分が、教室でふと美術研究所でヌードデッサンをやったという話をしたときに、周りに人垣ができるほど、同級生たちに質問ぜめにされたことは、懐かしい思い出である。

ネットになんでも落ちている時代、今の高校生はあんな反応はしないだろうな。

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