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キャッチボールと遠近感

その昔、戯れにボール遊びなどした時であった。
誰かが、「キャッチボールができない奴は信用できない」といったことを口走った。

わたしはキャッチボールが苦手である。

この日のことは、今でもたまに思い出すし、苦い気持ちにもなるので、結構悔しかったのだと思う。

キャッチボールが苦手なのにはわけがあって、わたしは生まれつきの弱視で、左目の視力が極端に弱かった。

人間は右目と左目の視点のズレから、対象と自分との距離を予測するのだけれど、ほぼ片目しか見えない自分にはそれができなかったのだ。

距離感がわからない。
だから飛んでくるボールがつかめない。

非常にシンプルな理由だ。

しかし自分でこの理屈に気づいたのは、ずいぶん大人になってからで、それまではただの運動神経の問題だと考えていた。

もちろん、もう少し早く気づいたところで、特に解決策はなかったのだけれど。

さて、この屈託は置いておくとして、
この「距離感がつかめない問題」が、わたしの創作に何か影響を与えることはなかったのか?と考えた。

人の身体的な問題あるいは特徴が、その作品に及ぼす影響は、多くの例が知られている。
特に目という器官に関しては直接的だ。
ゴッホの作品で月や星の周りに、光の輪が描かれるのは、緑内障の症状からきているといわれるし、モネの茫洋とした風景も視力の衰えと無関係ではない。
エル・グレコの引き伸ばされた人体に、乱視との関係を指摘する説もある。

なので、わたしの場合も何らかの影響のないわけはないと思うのだが、
よくよく考えると、3次元のものを、平面に移すということは、アカデミックな線的遠近法(パースペクティブ)の世界では、ざっくりいうと「片目で世界を観察する」ということなので、
ベーシックに自然空間を再現する絵を描いているうちは、特に問題にならなかったのかもしれない。
むしろ有利にはたらいたとすら考えられる。

いずれにせよ、きちんと距離感を感じられる、健常者の視覚をわたしが体験できない以上、この問題に明確な答えが出ることはないのだろう。

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