見出し画像

捨てるときの心の痛みを引き受ける

「私だって捨てるときには心が痛むよ」
と言ったら、たいそう驚かれた。
なんのためらいも、葛藤もなく、
捨てることができると思われていたらしい。

確かに人より手放すことに抵抗はないけれど、
さすがに、「痛みゼロ」ってのはない。
使い切れずに捨てるものには
お金や資源を無駄にしたと思うし、
焼却処分が難しいものを捨てるときには
環境に負荷をかけたと思う。
後悔や罪悪感はどうしたって生じる。

それを「ゼロにする」は、
ありえないことだと思っている。
ありえないことを求めても仕方がないから、
「痛みがある」ことを
当然のこととして受け入れている。
それだけ。

そもそもモノを買うということは、
それを手放す未来がついて来るということ。
将来的に痛みが生じることはその時点で決定事項。
「心が痛む未来」を織り込んだうえで、
モノを迎え入れてもいる。

そうして痛みを引き受けることをちゃんとしていると、
「不必要な痛みを増やさない」ための
モノとの付き合い方が見えてくる。
どんなモノを、どんな風に手に入れたら、
どんな手放し方になって、
自分の心が決定的に痛むのかがわかるから、
自分に対してもモノに対しても誠実な
モノの迎え方ができるようになる。

これをやっていると不必要にモノが増えないから、
捨てるもの自体が減るし、
捨てるときの「痛み」も最小限ですむというだけ。
痛むは痛むけど、数が少ないから、平気でいられる。

だけど、
モノがあふれているけど捨てられないという人は、
「痛みゼロでものが捨てられるようになる日」
を夢見ていて、その方法を探して、さまよう。

はっきり言おう。
そんな日は来ない。
そんな虫のいい状況は無いと思った方がいい。

ときめきも愛情も感じない恋人でも、
「別れよう」と言うときは、心が痛む。
自分を必要としている相手を傷つけることへの罪悪感も、
いつか愛が再燃して後悔するかもという不安もよぎる。
それが嫌だからと、心が痛まない方法を探して、
相手から去って行ってくれないかな、
自然消滅にならないかなと願いながら、
好きじゃないけど、別れもしないでいると、
心は痛まないけど、澱んではいく。

「痛みゼロの日を待ち続けて現状維持する」というのは、
そういう中途半端な付き合いの相手を
100人、200人と増やしていくのと同じ。

もしこの人にいざ本命が現れて、
その相手と誠実にお付き合いしたいと願ったら、
100人、200人に一気にお別れをしなくちゃいけなくなって、
猛烈な痛みに耐えなくちゃいけなくなる。
まあ、それも、経験ではあるけれど、相当なダメージだ。
だからこそますます、手放せなくなる。

「捨てられる」ようになるということは、
「痛みを感じない」ようになることではなく、
「痛みを引き受けられる」自分になるということ。

捨てられないことに悩むなら、
まず捨てるべきは
「捨てる痛みゼロ」を目指す気持ちなのかもね。


これも「痛みを手放すお手伝い」かな。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?