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二世帯住宅が完成しない #7 仁義

思春期の頃、父と並んで街を歩くなんて、恥ずかしくてできなかった。

父は、仕事で毎晩遅く、休日しか一緒に食事をしない。もとから口下手で、会話も盛り上がらない。家にいても、くしゃみがうるさく、風呂上りは全裸で闊歩する父を、思春期に入った私が嫌悪感を抱くのに時間はかからなかった。

時代は学歴社会。兄と私の反抗期に屈さず、父は国公立大学を目指すよう発破をかけてきた。中学受験のときは、父に厳しく勉強を見られた。

大学受験では、頭のいい兄は飄々と偏差値の高い大学に合格した。私も兄に続きたかったが、センターでずっこけた。センターとは、前田敦子的なものでなく、今でいう共通テストのことだ。

センター試験の結果を伝えると、父は突き放すような大きなため息をつく。私なりに努力をした結果だったので、悲しかった。

偏差値は高くない大学だが私もなんとか合格した。それ以降は父と話す話題が、完全になくなってしまった。

やがて就職すると、私は社会人の厳しさ知る。責任を伴い、時には叱責される。1日中時間に追われ、平日を駆け抜ける。花金と土曜日は心の余裕があるも、日曜日は翌週の戦いに備えて精神統一。それをずっと繰り返す。

当たり前のことだが、これを何十年も続けていた父がすごいと思った。白髪が多い父を、ただ「老けたな」と思っていたが、今は勲章のように見える。

父は血眼で働きながら、わが子を気にかけていた。なのに私たちはずっと反抗期の延長線だった。父の敷いたレールのおかげで、大学に入り、比較的ホワイトな会社への就職につながったにも関わらず。

でも、今更どう親孝行したらよいのかわからなかった。何もできず、私は結婚して、家を出ることになった。

間もなくして、母から連絡があった。結婚予定の兄が、故祖母(母方)の空き家を「リノベして住みたい」と言ってきたと。空き家をどうするか悩んでいた母は嬉しそうだった。

家の耐震診断などして、順調に進めているようだった。しかし、しばらくすると、仮住まいしていた社宅が気に入ったとのことで、兄はリノベ計画を取りやめた。

空き家が片付くという期待が外れた親は、私たちに空き家の活用を持ち掛けた。思ってもみなかった話だった。

私たちは「一生賃貸派」だったし、空き家は私の職場から少し遠い。耐震補強案も見たが、築60年の戸建てだ。ちょっと手当してもすぐボロがでる。

「建て替えていいなら、前向きに検討します。」メリデメを想定し、そう言うと、親の返事はOKだった。相続問題に発展する話なので、念のため兄にも仁義を切ると、兄もOKしてくれた。

一生賃貸派だった私たちも、土地代が浮くのであれば話は変わる。マイホームへの夢が膨らんだ。具体的に話を進める。

そんな浮かれる私たちに、ある日母がひとこと言った。
「なんかあったときは、お母さんが住めるように1室作っといてね。」

Jアラートのような、けたたましい警戒音が私の脳内を支配した。

母の言う「なんか」とは独り身になったときのこと。実家は賃貸なので、「なんかあったとき」は、こちらに転がり込む可能性は高い。

申し訳ないが、私でさえ親との同居は、気が進まずゴメンだ。夫なんてトップ オブ ゴメンだろう。この話は「土地代の代わりに、将来親の面倒を見ることになっても文句を言うな」という条件だった。

前向きだった話が180°回転した。夢のマイホーム計画が夢で終わる。二人三脚の夫と踵を返そうとしたとき、私は1つの案が浮かんだ。

「夫くん、完全分離型の二世帯住宅はどう?」

両親は定年間近だが、実家の家賃は高い。兄と私も巣立ったし、3LDKの広さも不要。二世帯なら、将来親が高齢になっても、様子が見に行きやすい。我々の子育ても支援してもらえる。こちらに転がり込むリスクもない。

多少せまくなるが、プライベートがしっかり分断されていたら、まだ住み心地は悪くない。夫はOKしてくれた。

両親にこの話をもちかけると、喜んでくれた。親との同居回避の目的もあるが、やっと親孝行ができるとも思い、私も嬉しくなった。ちょうどその頃、私の妊娠もわかり、3世代で仲良く暮らせたら…とも思った。

夢のマイホームに向けて、一旦360°回転したが、また前に進むことになった。私は2年の歳月を経て、妊娠・出産・育児の傍ら、怒涛のマイホーム構想の下っ端職員として汗をかくことになる。

しかし、これまでに書いてきたように、二世帯住宅は建ったが、悲しいことに、両親は住んでいない。両親が住まない間は、兄家族が住むことになった。

一緒に住み始めたが、きょうだい間の折り合いはよくない。

兄の仮住まいは、しばらくの辛抱だと思っていたが、父は自分たちの没後は親スペースを兄家族に譲ると言い出した。

兄を差し置いて、祖母が残した土地を、両親と私だけが活用することは、仁義に反すると思ったのか。

ただ、これでは、兄は家を所有することのリスクは負わず、老後の住居がタダで保障される美味しすぎる話だ。私と兄の仁義天秤が釣り合っていない…。

思えば、父にとって頭のいい兄は優秀作品だった。私が仁義をもって、親孝行の象徴として建てた二世帯住宅は、もはや父が兄を甘やかす道具となっていた。

しかも私は親からの子育て支援はない。私は親の介護要員なのだろうか…。これでは、二世帯住宅の醍醐味であるギブ&テイクも成り立たない。テイク&テイクではないか。

これを苦言すると、両親は介護されるときのことを想像できないようで、気分を害していた。

もちろん、両親は私のことも愛している(はず)。でも、なんだか話の通じない両親。

家づくりの過程を振り返れば、これは今に始まったことではなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございました!これは二世帯住宅を通じて、「家族」について考える連載エッセイです。スキをいただけたら、連載を続けようと思います。応援よろしくお願いします!

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