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どうやって乗り越えたの?波瀾万丈な日々の中で

「どうやって乗り越えてきたのですか?」

セラピストとして活動するようになり、プロフィールなどに自己開示するようになってから、たまに聞かれることがあります。


 産みの親には臍の緒のまだついた状態で置き去りにされ、戸籍も16歳まで無かったですし、どん底の生活の果てに、DV離婚もしています。

 タフなタイプではなく、内向型であり感受性も高いのに、過酷な環境の中で生きてきた期間が長いので、生い立ちなどを知った人から時折り質問されます。

 「どうやって、乗り越えてきたんですか?」と。

 私にとっては他の人生を知らないので、そこまで過酷だったとは知らず、誰もが似たり寄ったりの辛さはあるだろうと考え、普通に生きてきたつもりです。

 記憶もだいぶ薄れ…
というよりも、いつの頃からか(多分20代の頃に)過去の嫌な事を思い出さないよう思考をストップをさせることができるようになりました。悟り?
 たぶん…辛い気持ちに捉われるのが苦しすぎて、知らぬ間に辛いことは思い出せなくなってしまったのかなとも思います。心の防衛本能でしょうか。


改めて幼いころからを振り返ってみる


 小学校の低学年の頃の記憶は…空き地の長く伸びた草の間に秘密基地をつくっていて、そこから見上げていた空と雲や(昭和40年代の頃は空き地が多く草っ原がたくさんありました)の道端の草花や虫たちを観察している時のことが多いです。
 のほほんとしていそうな光景が浮かびますが、何処か悲しくて、理不尽に怒られた時とかに草っ原に潜んでいたような記憶もあります。

 あてもなく団地の中の道をお日様に照らされて歩いていたら、鳥が団地の壁に垂直にとまってびっくりした日の事を今でも鮮明に覚えてたりします。

 いろいろな形や色をしている石ころを見つけるのも好きで…水を入れたガラス瓶に詰めて飾ったり(乾いた色よりも雨に濡れた石の色に魅力を感じていました)
 ひとり時間も、それなりにのんびりと楽しんでいたようにも思います。

 今でもひとりの時間は嫌いではなく、庭の花を眺めたりメダカの泳ぐ姿を観察したりと楽しんでいます。今は昔のような報われないような孤独で冷たい、そんなカオスのような気持ちは抱えてはいないので、そこが大きな違いかもしれません。

 HSPという概念を知った今、あらためて考えると、やはり感受性が敏感なので自然を純粋に楽しむこともできていたのかなと思いますし、実はこの気質は『自然の恩恵を受けやすい素敵な性質でもあるのではないかな』と思っています。

 ささやかな喜びを感じやすいのですが、哀しみや不安の感情も然り
 状況によっては、胸が張り裂けんばかりの苦しみを感じることも多いかもしれません。

 例えば、私の場合は養母が怒りに任せて「捨て子の癖に」と罵り理不尽に怒られてた時も、その時には、ただ恐怖に慄き耐えていたようにも思いだされます。凄く嫌で苦しく辛い時間だったし、竹の枕で叩かれながらみた光景は脳裏に焼きついています。

 それでも、どこかで人生そんなものさと(産まれてから他の環境を知らないので)早いうちから諦め?悟りの境地もあったような気もします。

 あの頃は、これが私の宿命なんだという考え方に近かったかもしれません。耐え忍ぶ向こうに幸せがあるかもしれないって思っていたのかもしれませんね。世の中にはそんな物語が多かったから…。

 呑気に過ごす時間と同じくらいに、何かの出来事がきっかけとなり、悲しく辛い気持ちになって、ひとりでオイオイと泣いている時間も多かったですね。瞼なんて泣きすぎていつも腫れていたような時期があった覚えがあります。


 本が好きだったので(学校時代は休み時間を乗り越える為にも本は必需品でした)様々な書物を読んでは、影響されてました。

「少女パレアナ」を読んだ時には喜びの遊びを心掛け(日常の小さな幸せを数え感謝する)
 パレアナが孤児であることに親近感を勝手に感じてました。

 佐々木丸美さんの書籍に巡り会い、小説の中でやはり親のない子の生き方、感じ方に共感したり…
 『雪の断章』をはじめとしたシリーズをコツコツと揃えてましたが、結婚していた時に古本として売られてしまった悲しい出来事をふと思い出しました。

 さとうさとるさんのコロボックルシリーズも好きで、妖精さんなど見えない存在のことを真剣に考えたりもしていました。見えないだけできっといると・・・。

まぁ、なんて素直で可愛らしい(笑)
そんな夢見がちな子どもでした。

 SFファンタジーも好きであれこれ夢みたり。

 完全なる現実逃避ですね。
 中学の頃に"宇宙のはて"についてクラスの男子と意気投合して話した記憶があります。今も、孫と"宇宙の果て"や"地球のはじめ"についてとか、結構盛り上がりながら話していますので、私も基本的なところはあまり変わらないなぁと感じます。

 そして小学校の中学年以降の頃に「気持ち悪い」「汚い」とか「ブス」といじめられるようになると、『そっか、私は汚いしブスみたいだから、見た目も綺麗にならなきゃ』と、ティーン向けの本に載っていた方法を頑張って続けたり…(例えば階段はかかとをつけずにあがるとか、顔を洗うときは下から上へとか…今でも続けてたりします)

 今思えば、養母は泊りがけの仕事が多く、特に私を躾けることもなく放置状態だったし、養父もとび職で身体が疲れて帰ってくるので私のことをあれこれ気遣う人がいなかったのもあり、洋服とか清潔感が無かったのかもしれませんね。

 思春期の頃は『かっこいい30歳になる』ことを目指してました。
 仕事がバリバリできて見た目もスッキリみたいな。

 想像を絶するような嫌なことも実際多かったので、とっても辛い時には、頭の中をひたすら無にするようにしていましたね…20歳の頃に無にする方法をあみだしたような記憶があります。

 そうしないと、胸が苦し過ぎるから…喪失感のような感覚がとても強く、胸や胃のあたりに大きな穴があるかのようで、とても辛かったように思います。

 音楽はその頃から手離せませんでしたが、今は何も聴かなくても大丈夫だったりして不思議です。

 講座の中でも皆さんにお伝えする中、自分でもマインドフルネス呼吸瞑想や緩いヨガなど少しずつ生活の中に習慣づけてきた結果かも知れません。

 当時は、音楽を悲しい感情やグルグル巡る思考のストップに無意識に役立てていたのかなとも思います。思考が始まるのが怖くて家に帰るとすぐにテレビをつけていたりもしました。今はテレビ無し生活しているのが嘘のような昔のわたしです。

 結婚していた頃は、怒りっぽい旦那がいない時間は、子どもと公園に行って遊んだりゲームを一緒に遊んだり…子どもの友達も含め一緒にダンスダンスレボリューションを踊ったり…遠くまでお買い物がてらドライブしたりで、子どもたちとの時間は楽しく思い出します。(後で走行距離をチェックされ怒られてたな)

 離婚前後は…エアロビにハマってました。

 幼いころから離婚前後の頃迄は、全体的に現実逃避系な思考だったかもしれないですね。
 ほんとうの気持ちには向き合いたくない、ひたすら耐えればいつか報われると思っていたのかもしれません。

離婚を強く決意するキッカケとなった出来事


 理由は忘れてしまいましたが、何かのとばっちりで怒り出した夫に、顔を、それも目のあたりを小鍋で殴られた事があります。よく映画とかで表現される小岩さんみたいに目の位置がズレて見えるほど腫れてしまいました。

 子どもたちが私の顔をみると怖過ぎて笑っちゃうほどです。(人は怖過ぎても、緊張を緩和させようと笑っちゃうそうですね・心を守る防衛本能)

 それまでは、嫌な所もあるけれど、きっと私が我慢すれば変わるのではないかとか微かな希望ももってはいたのですが、鍋で殴るなんて、流石にこれは無いなと感じ、『もう我慢したくないな』『もっと自由に生きたい』のような軽い決意が私の中にうまれたのだと思います。腫れがやや引いた頃に、ふと思い立って美容院に行くことにしました。
 当時は本当に自由がなく、美容院に行くのも我慢していたので長い髪を三つ編みにして片方の肩に流していました。

 瞼がまだ紫のアイシャドーを引いたみたいな色で少し気が引けましたが、駅前にあったお洒落な美容室に予約なしでしたが入ってみました。若い男性の美容師さんが、何も聞かずに「似合うような素敵な髪型にしましょうね」といって、本当に魔法のように似合う髪型にしてもらい、感動したことを今でも覚えています。気持ちのスイッチが切り替わったのか、妙に勢いづき、美容院を出たその足でスポーツジムに会員登録し内緒で通い始めました。

 エアロビは初めてでしたが、身体を動かすとグルグルとした思考をストップでき(身体の動きに集中するので)かなり助けられたような気がします。

 エアロバイクでも最初は心拍数などが年配の人並みでしたが、続けるうちに20代後半と同等くらいに進化していました。

 夢中になって3時間くらい踊ったりしていたので、あっという間にナイスバディになりすぎジム通いがバレるという結末。
 そして、旦那が一緒に通い始めるという嫌な展開を招き、複雑な思いでした。運動はもともと苦手意識があったのですが、この辺りから筋肉がいい感じに育つように?なり同時に、心も強くなっていったようにも感じます。
 筋肉はやはり心も守ってくれる事を実感してます。

 その頃、中学生だった息子に、このまま一緒にいて年取っておばあちゃんになってから離婚できたとしても仕事もなくなっちゃうよって背中を押され、離婚を決意し、家を出ることが出来たのですが、簡単に離婚を承諾する相手ではなく苦労しました。

 36歳から38歳にかけ、旦那から逃げながら裁判離婚し…DV法が途中で出来たので…確か私の住んでいた市でDV法を利用しての離婚は第一号だったはず。

昼も夜も夢中で働き…

40歳過ぎてから

誠実な人との遠距離恋愛(43歳から50歳迄)や穏やかな理系君&理工学系君達に囲まれた職場で男性恐怖症も若干克服され…(今でもガタイの良い威圧的な俺様タイプはちょっと怖いなと感じます)

 また生活も心も安定してきた頃に、ようやく心の余裕ができ心理学を学ぶ中、50歳目前とした頃に、たまたまHSPという概念を知りました。
 更に11年ほど前からHSPの皆さんと関わる活動をはじめるようになったことで、本当の共感と受容の場を知り…心が解放されてきて楽になった感じです。

辿り着きたい場所や、ありたい自分の姿をイメージしながら、地道にコツコツと

いろんな方法を試して合うものを自分なりにアレンジして習慣化してきたような感じでしょうか。
まとめてみると・・・
⚫︎グルグル思考は自分でストップさせる癖付け(何度でもストップさせる・お掃除したりダンスしたりカラオケでもなんでも良いので他に集中し考えてもどうにもならない事は考えない)
⚫︎改善できる事は実際に小さなことから取り組んでみる
⚫︎たくさん本を読む(自己啓発本よりも案外、想像力の膨らむ物語の方がよいかも)
⚫︎身体をできる範囲で良いので鍛える
⚫︎自然や四季を感じ楽しむ時間を大切にする
⚫︎泣きたい時には思い切り泣く
⚫︎落ち込むのは当たり前と悲劇のヒロインになりきってもOK


わたしはわたし
『他のものになれるわけではないし、仕方ないよね』
そんな諦めに似た思いと

『人はなりたいものになれるんじゃないか』
という根拠なき希望のようなもの

そんな気持ちを行き来しながら生きています。

相変わらず…なんかよくわからない文章ですが思いつくままかいてみました。

当時書いたものはこちら

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