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子ども食堂が、したい


うまく説明できない。「でも、したい」

「子ども食堂がしたいんです」
そういうと、大抵の人が賛同してくれる。

賛同の後に続くのは大方、
「なんでやりたいの?」という質問。

この質問には、明確な答えを
持ち合わせていないのが今の筆者の現状である。

社会問題となっている
"子どもの貧困や孤食''をあげることもできる。

教育学部出身というキャリアを活かして、
子どもに関心があるんですと答えることもある。

でももっと、心の奥底にある気持ち。
人生の命題として取り組みたいという想い。

それを表現しきれない。
言葉にならない。
悔しいな、と思う。

曖昧な理由に対して、
「そんな不明確な動機では続かないよ。」
言ってくださる方もいる。

「それでも、したい。やりたいんです。」
と返すことしかできない。
悔しいし、申し訳ない。折角頂いた意見なのに。

もっと説明できる様になりたい。
その為に、このnoteを書くと決めた。


「やってみようよ」はお断りしてきた

「子ども食堂、興味あるんだよね。
 どう?一緒にやってみようよ。
とお誘いを頂く事があった。

本当にありがたい機会だと思った。それでも、
丁重にお断りをさせて頂いてきた。

「何だ、口先だけじゃないか」
と思われたかもしれない。
「折角のチャンスを逃すなんて」
と思われる方もいるかもいれない。

断る理由は色々ある。
その最たるは、
「とりあえず」で始めると必ず失敗する。
そう思っているから。

2021年には全国で6000ヵ所を超え、
あちこちで見られるようになった子ども食堂。

しかし現実は厳しく、
主に「ヒト、モノ、カネ」の問題を抱えて
続けていけない所も多い。

また、新型コロナウイルスにより
全国的に開催中止を余儀なくされる。
再開した後も、イートインではなく
テイクアウトで食べ物を渡さざるを得ないなど、
その在り方も大きく問い直されている。

人はどこから募るのか?
食材はどこから調達するのか?
資金はどこから得るのか?
協賛は得られるのか?助成金は?
地域住民の理解は?協力は得られるのか?

「とりあえず」の見切り発車ではなく、
しっかりした論理と戦略。
そして時間をかけた地道な支援要請。

それができる日まで、安易にスタートはしない。
そう決めている。


「子ども、きてるの?」素朴な疑問

前項でも述べたが、子ども食堂は
「ヒト、モノ、カネ」に問題を抱え、
諦めて辞めてしまう所も少なくない。
つまり「継続性」という部分に課題がある。

他には、どんな課題があるのだろうか。

筆者の住む広島県福山市でも、
子ども食堂の取り組みを
行なっている方々がいる。

所謂「みんなの食堂」という形で、
月に1回のペースで
食事代100円のカレーを提供されている
「福山だれでもどうぞ食堂」さん。

キッチンカーでの販売の傍らで、
"みらいチケット"という名前の
子どもが使える引換券を張り出して、
「青空子ども食堂」を開かれている
「Tsujinoカレー」さん。

大学生が運営する学生食堂の傍らで、
週に1度子ども食堂を開かれている
「学生食堂モナリザ」さん。

(無断記載申し訳ございません。
問題があればすぐに修正いたします。)


その他様々な方々が、多種多様な方法で
子ども食堂を運営されている。

きちんと面識がある方は少ないのだけれど、
子ども食堂を運営されている先輩方として、
誠に勝手ながら尊敬の念を抱かせて頂いている。

活動に対して敬意を払い、
また同じ志をもつ者だからこそ、
先輩方に問うてみたい質問がある。

「どのくらい、機能していますか?」

某日。
たまたま通った場所に、子ども食堂があった。
掲示されているポスターをみると、
子ども食堂の開店時間を少し過ぎていた。


近くに子どもの影はない。
中から声も聞こえない。

率直に思った。「子ども、きてるのかな?」


素朴に沸いたこの疑問は、
子ども食堂の核心であると思う。

届けたい所に届ける為にはどうしたらいいのか。
「機能性」が、
子ども食堂の最大のテーマになるだろう。


結局、カネなのか

ここまで、
「継続性」「機能性」を
子ども食堂の課題として挙げてきた。
あと一つ、課題をあげるとするならば。
「合理性」だと考えている。特に、カネ

子ども食堂を続けていかれない方々の多くは、
資金運営に苦しんだ上の
決断であると推測できる。

「やりたい」だけでは続かないのが現実。

続けていくための資金を、どう工面するか。
これが問題である。

結局、カネなのか。

筆者はシェアキッチンを間借りして、
1年間カフェを共同運営していた。
(このことについては後日noteに投稿予定である)

その経験で得たのは、
自分が金勘定が苦手であるという省察と、
夢の実現の為には
お金がやっぱり大事であるという現実だった。

どうしてもお金を貰う事を躊躇ってしまう。

そんな時カフェのお客様から頂いた、
「豊かでなければ 与える側にはなれない
 貰う事は悪ではない 同じだけ与えればいい」

という言葉。この言葉には本当に救われた。

数字にこだわる。何かしらで回収する。

自分が豊かになる。

そして、同じだけ与える=
子ども食堂を運営することで、
子ども達や地域社会を豊かにする。

カネであり、カネでない。
ここは、自分がまだまだ弱い部分である。
もっと噛み砕いて、咀嚼しなければならない。


「継続的」「機能的」「合理的」な
子ども食堂を目指して

「子ども食堂がしたいんです」
そういうと、大抵の人が賛同してくれる。
「もっとこうした方がいいよ」
「こういうのはどう?」
「言ってくれたらチカラを貸すよ」
「こういう所があるよ」…。

応援してくれる方々の想いを胸に。

「継続的」「機能的」「合理的」という
3つの観点で、長く愛される場所をつくりたい。

子ども食堂が、したい。


自身の生きがいや 人生の意味を含めて。
子どもの未来や 人生の豊かさを求めて。




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