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SNSの「袋叩き」は誰のため?

みなさん、こんばんは。
昨日、久しぶりにnoteが更新できずに凹んでいる自称完璧主義です。

ここ最近は久しぶりに心身の調子がよろしくありませんでした。

進路の時期と行事の追い込みの時期が重なる等々の仕事の都合もあれば、子どもが発熱したと思ったら夫もダウンするという家庭の都合もあれば…。

複合的な要素が絡んで落ち込んでおりました。

その中で舞い込んできた2つのSNS炎上案件。
炎上の理由を探れば探るほどモヤモヤが止まらなくなってしまいました。

今日はそのモヤモヤを少し晴らせたらいいなと思います。

■某ドラマ脚本家問題について

検索に引っかかるのもちょっと怖いので敢えて固有名詞は伏せますが、某ドラマの脚本家さんと原作者さんの問題、かなり辛い展開になってしまいましたね。

「脚本家さんが悪い」という意見も分からなくありません。
タイムラインに流れてきたInstagramの投稿を見ると失礼な物言いだなとは私も実際に感じたし。

また、大好きなマンガが改変されることへの嫌悪感も分かります。

私の愛してやまない『モブサイコ100』もドラマ化されたこともありましたが、設定も違えば主人公の役柄も微妙に改変されてて、「同じ題名のちがう作品」になってて、心に大きな傷(大袈裟!)を負ったのも記憶に新しいですね。

しかし、Instagramの件も、原作改変の件も、誹謗中傷するほどの出来事なのでしょうか?

たくさんの人が批判して得たかった結果は何ですか?
原作を忠実に再現した映像作品ですか?
でもそれって、何も悪くない人の命を犠牲にしてまでも得なきゃならないものなのですか?

■某障害者夫婦の子育てについて

近頃、某Xの子育て界隈で炎上しているポストがあります。

それは、重度障害者同士の夫婦がどうしても子どもが欲しくて、周囲の反対を押し切って出産し、ボランティアが24時間付き添って育児をしているというもの。

かなりセンセーショナルな問題で、私もはっきりとした意見を申すことができません。
支援級の担任のくせに勉強不足です…。

子どもを産み育てることには、大きな責任を伴います。その責任は、もちろん保護者が担うべきでしょう。

ボランティアも無償で育児をしているそうで、そこは有償じゃないと報われないのでは?とも思います。

しかし、夫婦たちの人生やボランティアたちの人生にもいろいろなことがあったのではないでしょうか。
だから、子どもを産み育て、ボランティアも育児に参加するというスタイルが出来上がっているのではないでしょうか。

夫婦たちやボランティアの決断に「無責任」「子どもがかわいそう」と赤の他人が言う筋合いはあるのですか?

そこで生まれる正義は何ですか?

■2つの炎上から考えること

1つ目の脚本家問題について、原作者さんが心を痛めたのは、事実そのものではなく事実を公表したことによる周囲の反応でしょう。

2つ目の問題について、障害者夫婦のことを調べずに見知った情報だけでとやかく言うのは失礼ではないかという気がします。

学校の生活指導でもよくあるんです。

授業態度が悪いから注意したと思ったら思いの外反抗されて、その子の話を聞いてみたら、本人なりの言い分がしっかりあるってこと。

なので、SNSで炎上していることも、周囲が勝手に騒ぎ立てているだけで、本人たちの言い分を無視してるんじゃないかなと思うのです。

言い分を認められないから、本人たちが苦しんで時に最悪の決断をしてしまうのではないかなと。

SNSで当事者を袋叩きにしただけでは、何も解決しません。

大切なのは、ひとつの問題に対して情報を丁寧に精査して、じっくり考えることだと思います。

以上、今の心境の壁打ちでした…。

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