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タルコフスキー映画が教えてくれたこと

タルコフスキーの映画にはじめて触れた、その翌朝。バイト先へ向かいながら、わたしは、街中の光景を貪るように見つめていた。
暑いが、しかしカラッとした夏の日だった。
澄み切った青空、水色に反射するビルの窓、新緑にかおる木々、道路脇を彩る花々、銀色に煌めく川、暗く静かな高架下・・・。目の前を次々に過ぎていく、見慣れたはずの景色は、明らかに昨日までとその粧いを異にしていた。それは不思議な体験だった。わたしの脳裏にはそのとき、昨晩見た映画の映像が残っていた。感動に導かれ、わたしはタルコフスキーの見たように、世界を見ようとしていたのだ。


人が死にたくなるときはどんなときだろう。恋人に振られたとき? 仕事で取り返しのつかないミスをしたとき? 大切な人が亡くなってしまったとき? 
——笑う能力がなくなったとき
わたしの場合、それだった。

何もない夜中に突然、頭の底で波のように揺れる倦怠感に襲われると、好きなはずのお笑い動画も、大喜利動画も、ユーモアに溢れるつぶやきも、猫の動画も、大好きな犬の動画さえも、まるでどうでも良くなってしまう。どんよりとした、重みのある憂鬱な気分に見舞われ、自分には今、口角を上げる力すらも無いことがわかる。すると突然、知らない人が、「死にたい死にたい死にたい死にたい」と頭の中で呟き出すのだ。延々に、延々に。こわい! もちろんわたしは、痛いことも苦しいことも大嫌いだから、何か行動を起こすことはない。だから倦怠が眠気に変わるまで、ベッドの上でじっと身を縮こめるのだ。眠くなったらこっちの勝ち。ほんとうに、死んだように眠る。だって笑うこともできないのに、起きている意味なんてないから。

小説や音楽が、わたしはずっと好きだった。生涯を通して愛情を注ぎたいと思える、作家、作品に、幸運にも出会ってきた経験がある。大袈裟に言えば、それらがわたしの生きる意味みたいなものを、自ずから、ぼんやりと、形成していった。しかし「死にたい」以外に言葉を禁じてくるような強烈な倦怠感は、読む能力も、聞く能力もわたしから奪っていく。小説は、ある程度こちらの心身が充実していないと、むこうのほうから拒絶してくるということに、そのとき気づいた。音楽は、放っておいても勝手に耳に入ってくるものだけれど、ときにそれはあまりに現実から乖離していて、ロマンの世界への幻滅をさらに強化してしまう。
そうしてあるとき、大学四年生の春頃だったと思う、恐ろしい静寂が、恐ろしい無感動が訪れた。すべての物事が、わたしの前で、怖気付いたように萎縮した。街中の看板も、本棚の背表紙も、ネット上のコンテンツも、すべて、うしろめたさに色褪せていったのだ。

タルコフスキーの映画と出逢ったのは、そんなときだった。Youtubeのおすすめ動画の欄に、偶然、『鏡』のシーンを集めた動画が載っていたのだ。弱々しい木の柵に、金髪の女性が背を向けて腰掛けていて、奥には、夕暮れ時の草原が一面に広がっている——そのサムネが、タルコフスキーとの最初の出会いだった。ほとんど無意識のうちに、わたしはその動画をタップしていた。鬱々とした、しかし確かな再生への予感に息づく映像が、バロックの悲しげなアリアとともに、静かに流れ出した。火、水、自然、そして人。すべてがわたしに語りかけきた。わたしはただただ呆然として、5分にも満たないその映像を追いかけた。見続けた。それ以外のものは何一つ必要なかった。意味も、注釈も、説教も、お金も、ダイアモンドも、何もかも。


タルコフスキーの映画と出逢って、決定的に変わったことがある。それは、下を向いて歩かなくなったこと。比喩ではなく、文字通りの意味でそうなのだ。「タルコフスキーの映画みたいだ!!」と誰かに伝えたくなるような光景を求めて、わたしは街を、そして自然を、それから人を眺めるようになった。
外を歩くとき、それまでは、今考えてみれば、わたしは自分の足元しか見ていなかった。そして何かから身を守るように、意識を自分の頭の中に閉じ込め、そこで延々と会話をし続けるのだ。意識が外に向かわないように、向かわないようにと、わたしはもう一人の自分と会話をし続ける。意味のない会話をしていれば、そのほかの事を考えなくて済むから。外の世界との接触は全て否定的なもの、わたしを傷つけるものだと思って、わたしは、自分の殻に閉じこもろうと必死だった。

不思議なことが起きた。
近くのレンタル屋で、『サクリファイス』を借りてきて、観た、あの夜を境にして。外の光も、人の眼差しも、以前ほど怖くなくなったのだ。

こんな年になって初めて、季節というものを知った気がした。歩道橋から、夏の日差しに煌めく川を眺めた。辺りの柳の葉が、秋になって色づき、冬の嵐に散っていくのを見たーーとっても悲しかった! そしてつい最近、暖気に雪が溶け、朝日が土煙を浮かばせるのを見た。
すべて美しかった、そしてなにより、嬉しかった。自然と心から関わることができたことが。花の名前、木の名前、山の名前、鳥の名前、この1年間で、わたしは多くの新しい言葉を覚えた。
そしてあるとき気づいた。困難を感じることなく、自分が人前で自然な笑みを浮かべていることに。


生きる意味の探求——タルコフスキーは間違いなく、生涯を通してそのテーマを徹底的に考究した映画監督の一人だろう。その作品は晩年になるにつれ、観念性を強めていったし、今となっては「難解映画」の筆頭として名前を挙げられるようになってしまった。だから、タルコフスキーを好きだと宣言することは、少し勇気がいることなのだ。
けれども、タルコフスキーがわたしに教えてくれたことは、とてもシンプルなことだった。生きることは喜びに満ちていること、世界はわたしを歓迎しているということ、ただそれだけのことだった。意味というもの、解釈というもの——つまり、どこかに行き止まりがあるもの——そういうものを、タルコフスキーの映像の強度は自ら否定しているように、わたしには思われる。「芸術的イメージは絶対に向かって進んでいく」と、タルコフスキーは言った。言葉や意味に行き止まりはあっても、イメージには行き止まりはないのだ。その言葉を信頼して、わたしは今日も、そして明日も、玄関の戸を開けイメージの世界に飛び込んでいく。生きる意味を悟るため、でなく、生きる喜びを肌で感じるために。

#映画にまつわる思い出

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