今週の一首~毎日お題より~

このたび深水英一郎さんからお声掛けいただき、Twitter(Xなんて言わない)上に ♯毎日お題 とタグをつけて投稿された短歌を独断と偏見でピックアップし、週一で評を書かせていただくことになりました。よろしくお願いいたします。

また、やはり深水さんが十一月に刊行する予定の書籍「歌集 短歌の秋~現代短歌アンソロジー~」にクソイラスト付きおもしろコラムも連載させていただくこととなっております。何卒よろしくおねがいいたします。斎藤君のコラムが読めるのは、短歌の秋だけ!(古い)


記念すべき第一回はぐりこさんの一首を取り上げさせていただきます。

図書室の世界の民話を読み終えて私に溜まる小さき神々 / ぐりこ

十月一日にお題「読書または本」に投稿された一首。秋に相応しいお題に応えるような暖かさと静謐さを湛える一首だと思います。図書「室」とあることから学校や公民館を想像しました。

この歌の鑑賞で注意が必要なのは、下句で「私に溜まる小さき神々」としているものの、読んでいるのが世界の神話ではなく世界の「民話」である点です。神話はそのまま神々の物語ですが、民話には必ずしも神は登場しません。というか説教的なもの以外殆ど登場しないのでは?児童文学に非常に疎い(ズッコケ三人組しか読んだことない)ので確かなことは言えませんが、、、。私が想像する世界の民話といえば「おおきなかぶ」、「ハーメルンの笛吹き男」、「スーホの白い馬」などです。これらに神は登場しないはずです。では民話を読むことで主体に溜まっていく神々とは何か。

私は太宰治の「正義と微笑」にその答えがあると思います。以下、少し長いですが引用です。
「日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事ではなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知ることだ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。」

心を広く持つという事、愛するという事を知ること、それはつまり人としての豊かさ・厚みなのではないでしょうか。そしてそれがこの歌の主体にとっての小さき神々であり、心の中に砂金のように少しずつ溜まってゆくのではないでしょうか。

仮にこの歌の二句目が「世界の神話」であっても、歌の意味は通ります。しかしその場合、おそらく私はそこまで感動しなかったでしょう。この歌は「世界の民話」であるからこそ、その真価を発揮するのです。実景かどうかはさておき、この歌の二句目を「世界の民話」としたぐりこさんの慧眼に舌を巻くばかりです。

と、こんな感じで毎週やっていきたいと思います。読んでいただき、とても嬉しいです。ありがとうございました。

追記
私は文化的想像力の欠如した労働者階級の出なので、図書館はおろか図書室もまともに利用したことがありません。あぁーーーーカルチベートされてえーーーーーごくごく(プロテインを嚥下する音)


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