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【小説】冬の魔術師と草原竜の秘宝 ㉘

第28話 残された人々

 咆哮が響き渡ると、仕事を終えた竜はその翼を広げて、広い、広い空へとゆっくりと飛翔した。まだ体に残っていた管やコードがばきばきと音を立てて剥がれ落ちて、地上に置き去りになった。空へと飛び立って、光となって消えていく。蓄えていたすべてを世界へ還元するように、光が散っていった。
 その眠りを妨げぬように、空はどこまでも続く灰色のベッドを作った。冷たい風がどこかから吹いてくる。
 誰もがその光景を見ていた。
 ぼんやりと見上げたその目に、ちらちらと白いものが落ちてくる。

「……なんだ、これ?」

 誰かが手に乗せて呟いた。
 それはひどく冷たくて、白銀の結晶を思わせた。手の体温ですぐに溶けてしまう、儚い結晶。
 雪だった。
 長い収穫祭が終わって、冬がやってきたのだった。

 それは、竜に取り残された塔の内部でも同じ事が起きていた。残された塔は半壊し、かつては一体なんの塔だったのかよくわからなくなっていた。竜の秘宝を覆っていた円形の足場は、いまや虚しく外気に晒されていた。感じた事のない寒さに、トウカは自分の腕を抱きしめた。どんなに寒い夜だって、これほどのものではなかった。

「……終わりだ、何もかも」

 フリードマンが呟いた。

「死の季節が来る。この雪は街も草原も何もかも覆い尽くすだろう」

 トウカはその視線を老いた駅長へと向ける。
 かける言葉が見つからなかった。無言で、少しだけ目をそらす。
 沈黙がその場を支配しはじめた所で、口を開いたのはウィルだった。

「おい、そこ。落ち込んでる場合じゃないだろ」

 二人の態度を一蹴する。

「まだ終わってねぇだろうが、お前らは」

 ウィルは二人に歩み寄ると、顎で下の階層を示した。
 すっかり身ぐるみ剥がされた塔は半分崩壊しかかっていたが、瓦礫の中からは小さな声が聞こえてくる。

「駅長! 駅長、ご無事ですか!」
「居たら、返事してくださーい!」

 駅員達がフリードマンを懸命に探す声がここまで届いてきていた。
 それに混じって、焦ったような子供の声がする。

「兄さん、兄さん!」
「……キラカ」
「返事をしてくれ、兄さん!」

 ウィルはまっすぐに二人を見つめた。

「お前らにはちゃんと責任があるし、まだ古いやり方も忘れられてない。仕事はたくさんある。ぼさっとしてる暇なんざ無ェだろ」
「ウィル……」
「なぁに。言い訳●●●の一つくらいは、くれてやるよ」

 二人の視線を一身に受けながら、ウィルはにやりと笑った。

 雪はそれから三日ほど降り積もり、街を白く覆い始めた。
 街も草原も腐れ谷も、何もかも平等に覆い隠していく。
 それが雪という名前であるとほとんどの人々が周知しはじめた頃、ドラゴニカ・エクスプレス新聞にこんな記事が載った。

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 魔法使いの真実

 文責/ヘイウッド・ペグ
 ドラゴニカ・エクスプレス発、十二月二十四日

 このところ読者諸君を湧かせた魔法使いの続報が入った。
 これは懸命なる読者諸氏だけでなく、他ならぬ我々にとっても、驚くべき事態へと繋がっていった事を先に告白しておく。
 連日報道が為されている、アンシー・ウーフェンから竜が飛び立ち眠りについた事件について、もはや知らぬ者はいないだろう。我々にとって非常に印象深い出来事であった。この世界を立ち去っていたはずの竜は、我々と共に在り、存在を秘匿されていたのだ。
 では、この事件において魔法使い氏は何をしたのか?
 この件で魔法使い氏は非常に悪辣なる振る舞いをしたと、このたび正式に発表された。二十三日、ドラゴニカ・エクスプレス社総責任者にしてオースグリフ駅長フリードマン・ドド氏と、『無銘なる黙示団』首領トウカ・ペチカ氏による共同声明が発表された。
 それによると、魔法使い氏はなんと、竜の秘宝を我が物とすべく、かねてよりこの国で秘密裏に暗躍していたというのだ。
 魔法使い氏は片や『無銘なる黙示団』を巧みに扇動して誘導し、片やドラゴニカ・エクスプレスにも取り入り、双方を激突させるべく入念に準備を進めていたというのだ。これは複数の証言により明らかとなった事実であり、信憑性は非常に高い。

 我々はこれまで、魔法使いに対して良いも悪いも当てはめた事はなかった。だがこの未曾有の大事件により、ドラゴニカ・エクスプレス社はもとより、『無銘なる黙示団』を率いた首領ともども、かの魔法使いに対して『悪』という概念を当てはめることとした。
 すなわち、このオースグリフに現れた魔法使いとは、冬を再来させた『悪い魔法使い』だったのである。

 また、この非常に稀にして最悪な事件が起きた十二月二十一日の出来事を、我々は忘れ去られた死の季節でもある『冬』に至った日を、『冬至』と呼ぶこととした。竜が再びかつてのように生まれ変わり、再来を願う日とするためである。

 *

 追伸:新規アルバイト募集予定
 ドラゴニカ・エクスプレスでは、今後の食糧産出の手段として農作物などの自給を予定しています。
 竜の秘宝無きいま、竜に頼らず、自らの手で食糧を育てて収穫する。これまで植物を育ててみた方や、家畜に触れてきた方、もちろん未経験も歓迎。我々は若い希望を応援します。
 優しい農家達があなたを待っています。

 勤務時間・日給などは追って掲載予定

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 駅の休憩所で新聞を読んでいたワトアは、あくびをかみ殺した。
 トカゲであるワトアにとって、この寒さは徐々に身に染みるようになってきた。自分たちトカゲはかつて『冬眠』と呼ばれる眠りの季節があったとは聞いていた。だが、これほどまでに負担がかかるものだったとは。トカゲの中には既に説明を受けて眠ってしまった人々もいるらしい。駅員のトカゲや駅長はまだ起きているらしいが、時間の問題だろうと言われている。
 そういうワトアだって、温かな室内にいればまだ少しはマシになっていたが、バイトとして入るには限界がきていた。そろそろ、冬眠に入ることを考えないといけない。

「おうい、でかいの通るぞお!」

 駅の中を、巨大な木片を担いで人間達が通過していく。
 かつてアンシー・ウーフェンで働いていた作業員たちだ。彼らは残された瓦礫を片付けたり、竜の最後の置き土産となった作物を仕分けしていた。

「こいつは種にもなるからこっちに寄越してくれ」
「イモは乾いた所でも出来るから、たくさん作った方がいいな」

 別のところに目を向ければ、かつて盗賊と呼ばれた人々が、今後の種を選別していた。他にも加工品にして冬のあいだ長持ちさせる方法を教えたり、作業員達に野菜スープを作って振る舞ったりしている。少し前だったら信じられないことだ。
 竜亡き世界の冬を乗り越えるのに、誰も彼もが協力している。
 魔法使いが悪い奴だったのは残念だったが、それでも生きていかねばならないのだ。
 冬が終わり、竜が戻ってくることを信じて。

「おうい、新人」
「あ、ウランさん」

 ワトアは近寄ってきた作業員に目を向けた。

「お前も眠たそうだなァ。この、ええと、冬、っていうあいだ眠っちまうなんて、トカゲってのは難儀なもんだぜ」
「あはは。眠るだけならへっちゃらだと思ってたんですけど、さすがに二、三ヶ月もってなると、ちょっと怖くて……」
「でも眠気で仕事にならなくても困るからな。いいところで切り上げた方がいい」

 ウランはそう言ってから、ワトアの肩を叩く。

「心配すんな。こっちは働き詰めで暑いくらいだ」
「はは……。ウランさんも、汗をかいたらちゃんと着替えてくださいね。ほら、冬の過ごし方をドラゴニカ・エクスプレスが号外新聞で出してくれたじゃないですか」
「おうよ。……俺も長く生きてるが、こんなに寒いと思ったのははじめてだ」

 この季節を経験してるのは、もはや駅長くらいのものだろう。
 その駅長も、この冬を越せるかどうかわからないとこぼしていたのを聞いたことがある。
 どうか、この厳しい季節を越してくれることを願うばかりだ。

「……僕、もし竜が戻ってきたら、畑のアルバイトに応募しようかなって思ってるんです」
「へえ、いいんじゃねぇの。アンシー・ウーフェンが無くなっちまったいま、食い物を作るのは大事な仕事になるからな」
「えへへ。実はプランターでトマトの種とか植えて育てるの、好きだったんですよ。こういうこと言うと変わってる、って言われてたんですけど」
「世の中、何が役に立つかわからんもんさ。昼間のバイト連中の中にも、羊だか牛だかを育ててみたいってやつもいるしな。もし正規の仕事になったら、美味いもんを作ってくれよ」
「はい! ウランさんたちに美味しい野菜を食べさせてみせますよ!」
「ははは、頼もしいな!」

 ウランはワトアの背中をばしんと叩いた。普通に痛かった。

「じゃあ、お前も早いとこ区切りをつけろよ」
「はい。ウランさんも冬の間、お気を付けて。おやすみなさい」

 ワトアはその背中を見送りながら、もう一度あくびをした。
 新聞を畳んで立ち上がろうとして、ふと思い出す。

 ――そういえば、リーヤ君はどうしたんだろう。
 ――彼もどこかで元気にやっているのかな。

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