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帰りの飛行機でエドワードノートンに惚れ直しました。

深夜1:30発→朝8:30着なんだから眠ればいいのに、何度か睡眠を試みるも難しく、帰りも、映画を1本見ました。行きに続いて、また知らない映画を見ようと思い、『Motherless Brooklyn(マザーレス・ブルックリン)』をタイトルで選びました。

「Motherless Brooklyn」

ライオネルは幼い頃の虐待の影響からか、刺激が強かったり頭の中が混乱すると心に浮かんだことを、相手や場所を構わず叫んでしまう障害を持っている。母親を5歳で亡くした後は施設に預けられたのだが、障害のせいで周りからフリーク(化け物)呼ばわりされるなど、辛い幼少期を送っていた。

そんなライオネルを施設から引き取ってくれたのが、探偵のフランク。ライオネル以外にも3人の似たような境遇の兄貴分たちがおり、親代わりになって育て、探偵として生きていけるよう手解きをしてくれた。

物語はそんなライオネルたちが大人になり、探偵であるフランクの右腕や雑用、運転係として仕事をしているシーンから始まる。登場からライオネルは、突然叫びだしたり、顔をしかめたりと落ち着かない様子を見せていた。「こういう障害のある役をエドワード・ノートンがやるのか」と、演技への期待が膨らむ。

いくつもの謎を残して死んでいくフランク。

車の中でトニーと一緒にフランクを待ちながら、いつものように、意味不明な言葉を発してしまうライオネル。トニーは、「やめろ!フリークめ!」と口汚く制するが、実はライオネルの特殊な能力を認めているフランクは、「構わない、気にするな」と二人を落ち着かせる。

そしてライオネルに、「取引相手との会話を盗聴して記憶し、指示を待つように」と言う。実はライオネルは類稀なる記憶力の持ち主で、メモをとらずとも、会話の全容を正確に記憶できるのだ。ほとんどの人はライオネルをバカにしているが、フランクは彼を買っている。

そして取引が始まった。電話を盗聴し、両者の会話とフランクからの合図に集中するライオネルだが、このシーン、取引相手の正体もわからず、どちらの声なのかも判別しづらく、会話の文脈もわからないので、何の話をしているのか、さっぱりわからない。ただなんとなく、ここで出てきた一言一言を、これからライオネルが紐解いていくのだろうなという予感がじわっと生まれ、でワクワクした。

粘り強く交渉するも失敗に終わり、フランクは銃で撃たれ、出血多量で死んでしまう。病院の集中治療室で最期に立ち会ったライオネルは、フランクから暗号のような遺言を受け取る。

彼女が危ない。
秘密は帽子に。
フェルモサ…。

あいつらは誰なんだ、フランクは何を調べ、何を企んでいたんだ。どうして何も教えてくれなかったんだ。

ボスを失った4人の息子たち。

事務所のボスであり、自分たちを施設から救ってくれた親のような存在を失った、コニー、ダニー、トニー、そしてライオネルの4人。フランクが誰に殺されたのかを明らかにしたい者と、危ない橋は渡らず、長いものには巻かれ、儲かる仕事を確実にしていこうという者とで別れてしまう。

ボスの司令さえあれば、着実に仕事をこなし、結果を出せるダニー、コニーは、ボスを失ったことで行き先を見失ったように思う。誰でもいいから指示を出してくれる人を。それに従っていさえすれば、金をくれるような人を。たとえフランクの敵相手でも。

ライオネルは知りたいと思ったことに純粋に動く。フランクだったら何を調べるか。フランクだったら誰に話を聞きにいくか。その延長線上にフランクが求めたものがあるのなら、すべてがわかった時に、誰がフランクを殺したのかがわかる、と直感でわかっているようだった。

登場シーンで、意味不明なことを叫び、顔を歪め、周りに奇異なものを見る目で見られていたライオネルが、形見としてもらったフランクの帽子とコートを身に着けた瞬間に、スッと表情と佇まいが変わったのがとてもよかった。

1950年代のニューヨーク、都市開発と少数民族居住地。ジャズ。

調べると、原作の時代設定は1999年だったが、エドワード・ノートンは1957年に変えて脚本を練ったそうだ。どの程度の変更を行なったのかはわからないが、いくつかの殺人と、探偵フランクが探り当てた秘密と、そうした事件が起きる背景や事情は、1999年より1957年の方がふさわしい。現在では考えられないことが起きていたのが当時の価値観で、でも本当にそうだろうか、とも思う。あの頃の問題は、すっかりなくなってしまったのではなく、今も確実に続いている。だから、発端である1950年代に設定を変えたのかもしれない。

ジャズに関係するところで、印象的なシーンがあった。
障害のせいで、頭の中にある言葉が無意識に出てしまうライオネル。彼の表現では「脳が混乱している、壊れている。自分でも制御できない」
それを聞いたトランペット奏者(マイケル・ケネス・ウィリアムズ)は、「オレも同じだ」と言う。
音楽を演っている時は、自分で自分がわからない状態になっていて、常になにかに追われているような感覚だが、それが斬新で美しい響きになる。演奏している時はいいが、それ以外は苦しくてたまらない、というようなことを言っていた。
それはライオネルの奇声と同じだと。俺は天才奏者と言われているが、お前と同じなんだ、と。

美しく清潔で整備された都市。発展する都市のシンボルのような、近代的な高層ビルと、人々の憩いの場である、緑豊かで広大な公園。
けれどそれは、昔からその地に暮らす貧しい人々の生活を根こそぎ奪い、平にして作り直したもの。古いひび割れた建物に、道端にゴミや壊れたモノが打ち捨てられた町並みは、気持ちの良い風景ではないけれど、それらを一掃して作られた街というのは、ある意味でとてもグロテスクだ。

真逆のものを対比しながら見ると、どちらが正でとちらが悪なのかわからなくなる。

フランクはどうしたかったのだろう。

ライオネルは、地道に執拗に調査を重ね、ついにフランクが探り当てた秘密にたどり着く。新しい欠片を拾うと、電話で盗聴していたフランクと奴らの会話や、フランクの最期の言葉、なぜ死にそうになっている時に「オレの帽子を拾え」と厳しく要求していたのか…という、過去の記憶が蘇り、「この欠片はどこにはめればいいのか」がわかる感じだ。この謎解きの進め方はとても良かった。徐々に周りがライオネルの能力(記憶力)と資質(正義感)に気づき始める。だが、実はライオネルの本質は変わっていない。周りがやっと気づいただけだ。

全編見終わって、最初のセリフの断片を思い出していると、フランクが果たしていいヤツだったのか、金儲けのために人を脅迫する悪いヤツなのか、そこがモヤモヤしている。リーバーマンというギャングの依頼でモーゼスのことを調べてたところ、思いがけない大スキャンダルが見つかったので、リーバーマンに渡さずに、それをネタに一緒にモーゼスを脅迫しようとしたが、リーバーマンから拒否され、ネタの在り処を巡って揉めて殺された、ということらしいが、なんだか解せない。

モーゼスに権力が集中していることを面白く思っていない新しい市長が、モーゼスの手下であるリーバーマンを使ってモーゼスを失脚させることを企みんだ。リーバーマンは、何か脅迫できそうなネタを探るようにフランクに依頼し、スキャンダルを見つける。しかし、そのスキャンダルの背景には虐げられてきいた貧しい黒人女性がいて、モーゼスの失脚、つまりスキャンダルの公表は、その黒人女性の未来をもつぶしてしまう。

フランクは、そんな未来を望まなかったのではないか。だから、リーバーマンにネタを渡さず、ネタを隠し続けることで、スキャンダル相手の「今」を守ろうとしたのでは?

私としては、この方がしっくりくるが、果たしてどうか。

どちらが正しいのか。

何かを変えようとする時、熱狂は多くの人を突き動かす。
コミュニティを守ろうと演説をする女性活動家のホロウィッツは、人々を熱狂に巻き込んでいく。しかし彼女は、本当に純粋に生活を奪われる貧困街の市民に寄り添っているのだろうか。
市民にから尊敬され、崇め奉られるごとに、さらなる名声を求め、拍手喝采と歓声を求め、敵をやり込める瞬間に突き動かされてやしないだろうか。

不適切な場面で、頭の中の隠すべきことを言ってしまうライオネルと、言いたいことを胸のうちにしまい、自分の利になる話を最適な言い方で発言することに長けた私たち。グロテスクなのは、どちらだろうか。


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