keiko & maika

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たかがワイン、されど日本酒。ワインの造り手を追いかけるのは、もっと旨いお酒を造ってもらいたいから。 自然派ワインの造り手を撮影し続けるkeiko & maikaの日本向け発信のページです。

マガジン

  • 素肌のワイン(へ)/ maika.fr

    ワインの造り手を撮り続けこのかた20年以上。 それだけ付き合えば、ちぃとは分かります。 神の雫、はたまた、悪魔の滴。 まぁ、お好きなように。

  • 十割日本!

最近の記事

板さんの寄り合い所 - ガブマル食堂

 高松に滞在している間に一番足を運んだお店、それは何と言ってもダントツで「ガブマル食堂」。毎日毎日、しげしげと通ったお店だ。名前からして行き易い、なんたって「食堂」だもの。おまけに寿司中川の並び、徒歩1分、さっさっさっさっさと歩いて行ける。が、初めてお店の前まで来た時、「うーん、これが食堂?」と、ストリート・アート並みに描(書)き込みされた木枠のガラスの引き戸に、もろ「平成」の違和感を感じる。少なくとも「昭和」の香りがそのまま「食堂」のイメージの私には、完全にはみ出した世界だ

    • 酒肴 天馬 – 天将 雅子

       天馬が見つからない。百間町を行ったり来たりするが、ない…。何度か通り過ぎた末に、「もしかして、ここ?」と、看板も何もない、ただ戸の開け放たれた入り口の中を覗いて見ると、「あっ、いた。」酒肴天馬の女将、馬渕雅子さんが、カウンターの中で何かゴソゴソやっている。「こんにちは。探しましたよ、もう。」「ええ、そうなんですよね、うちはのれんしかないから。」  なるほど、のれんか。確かに、かかっていなかった。まぁ、のれんは開店している時にかけるもの。閉まっている時は無用で、それで場所が分

      • ソムリエ・バッジのシェフ Cantonese 楓林

         長いヨーロッパ生活の中で、私は10年ほどパリに住んでいた。正確には、そのほとんどをパリから15mのところで、そして最後の3年を13区の中華街のすぐ横で、暮らした。13区に住んでいる時は、時間が不規則なコーディネイトの仕事のせいで、朝6時から真夜中過ぎまで開いている中華街が、とても重宝した。そして本場から来た人たち(と言っても華僑が多い)の同胞のために作る料理が美味しかった。  たまに日本へ戻ると、よく母と中華を食べに行った。母が中華が好きだったからだ。しばしばホテルや銀座の

        • じょかーれ!よかーれ!GIOCARE!

           昨年7月、スペインに高松CHAVALS(「高松若大将連」とでも言っておこうか)がやってきた時、中川さん以外は全員初対面だと思っていた。が、違った。以前、高松で入った高知料理の店が酷過ぎて、飲み直しならぬ食い直しに中川さんの店へ行った時、「おっ、外したな。うちに連チャンで来た人、初めてや」と笑いながら食べさせてくれた後、「一緒に飲みに行こう」と連れてこられたのが酒肴天馬、馬渕雅子さんの店だった。また別の機会に、「うちのイタリア料理の店へ来てや」と、中川さんの自宅一階にあるレス

        板さんの寄り合い所 - ガブマル食堂

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        • 素肌のワイン(へ)/ maika.fr
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          二刀流に憧れて - れんげ料理店

           大岡さんと別れた後、岡山で寄り道したせいで、高松へ戻るのが遅くなり、その日はお昼を食べずに終わった。しかも午後から雨になり、ちょっと憂鬱。夕食は八時半なのでまだ時間はあるが、雨は止みそうにない。今晩行くれんげ料理店は、ホテルからちょっと離れている。どうしよう。歩こうか、それとも、タクシーにしようか。  結局、八時を過ぎても雨が止まず、ホテルを出てすぐにタクシーを拾う。が、それがちょっと裏目に…。正確な住所を伝えると、タクシーはちゃんと裏道まで行ってくれたのに、レストランらし

          二刀流に憧れて - れんげ料理店

          うわぁー、O O O KA さん

           高松二日目、私たちは中川さんたちとドライブに出た。行き先は岡山。フランスで「Hirotake」の愛称で親しまれていた大岡さんが、突然日本に引き揚げ、岡山にワイナリーを開いて、すでに久しい。大岡さんとは、ある真夏の日、ローヌの井戸底の気温14度のカヴで、Tシャツ1枚、4時間も話し込んだ想い出がある。その大岡さんに会いに行く。  最初は、私たち二人で電車で行こうと思っていた。そのことを中川さんに告げると、一緒に行きたいと言う。おまけに、奥さんが運転する車で。勿論、問題はない。取

          うわぁー、O O O KA さん

          一生一代の衝撃、寿司中川

           小豆島を後に、さぁ、高松入りだ。高松と言えば、言わずと知れた寿司中川。もう何年になるだろう。ずいぶん前に、金毘羅山の麓にある酒蔵「悦び凱陣」を訪れた際、「美味い寿司屋があるから」と蔵元の丸尾忠興さんに連れられて来たのが、最初だった。その日丸尾さんは酒の仕込みの最中で、「中川さん、後はよろしく!」と私たちをおいてすぐに帰られた。今でも忘れられない出来事が起こったのは、その後だ。  先客がいるカウンターにつきボンヤリ眺めていると、中川大将がなにやらこしらえている。「ああ、軍艦巻

          一生一代の衝撃、寿司中川

          島宿真里、「聞こえるかい、海の音」

           松山からは電車で高松まで行くことになった。そしてフェリーで小豆島へ。当初は時間に余裕をみて、池田港行きのフェリーに乗ろうと思っていたが、ATMを探しているうちにフェリー乗り場へ来てしまい、草壁港行きのフェリーにまだ間に合うと言うので、そのまま乗ってしまった。船上から電話を入れると、真渡寛君が迎えに来てくれると言う。  実は今回の一時帰国、高松へ行くことが大きな目的だった。と言うのも、昨年のH2O Vegetal試飲会(7月29日と30日)に、高松から6人のシェフがやって来て

          島宿真里、「聞こえるかい、海の音」

          連帯のグルメ、ん?「さかな工房 丸万」

           フランスにいる時は、結構YouTubeで日本のテレビ番組を観ている。中には当然グルメ番組もあり、「孤独のグルメ」もその一つだった。松重豊が演じる井之頭五郎のお話は、結構楽しく観ているけれど、それじゃ実際に「行ってみたい」と思う処は、意外とない。そんな中、松山にある「さかな工房 丸万」だけは、絶対に行きたかった。  その松山は広島の対岸。となれば、船で渡るしかないじゃん。広島からはスーパージェット(高速船)もあるが、高い。それじゃぁ、ゆっくり瀬戸内海を眺めながらとクルーズフ

          連帯のグルメ、ん?「さかな工房 丸万」

          さかもと屋市兵衛

          「大丈夫、一時間に一本バスがある。なにせうちはメインストリートに面しているから」と、ヒトミワイナリーの岸本代表が笑いながら言った一言が、忘れられない。これって凄いんだ。今まで車で40万キロ以上もヨーロッパのワイナリーを巡っていて、こんなこと、一度も考えたことがなかった。なにしろ、飲みすぎなければ、常に運転していたから。その点日本は、(特に東京での乗り換えのための早歩きや階段の登り降りを除けば)なんて楽なんだ。  バスの時間を気にしたのには、理由があった。その日の夕刻までに、広

          さかもと屋市兵衛

          信楽採酒使

           今回の一時帰国、私たちはほとんど地方で過ごすことになった。丸一日東京にいたのは、買い物で初めて豊洲市場を訪れた2月28日だけ。それにしても豊洲はなんと味気のないところか。築地という日本の文化が、また一つ葬り去られた。この事実は否めまい。何故、時の流れを止めずに、変わらぬ夢を流れに求めないのか。残念というよりも、悔しい。  反面、3月2日に訪れたヒトミワイナリーでは、そんな夢を見させてもらった気がする。信楽焼でのワイン造り、信楽茶壺仕込み、なかなか妙味な話だ。すでに十年も前か

          信楽採酒使

          寺田本家

           約三週間ぶりの投稿。久しぶりに、本当に久しぶりに、日本へ行っていた。四年半ぶりの一時帰国。その間フランス(ヨーロッパ)とはずっと音信不通のまま、だからFBもブログもみんなお休みして、「十割日本」を楽しんだ。そもそも、家を出たらナヴィ(+日本では駅探)以外、基本的にモニター(スマートフォンやノートブック)なんて見たくない。だってもったいないもの。小さな画面には収まりきらない、目の前で起こっている面白い色々なできごとを見逃すなんて。そのために、自由でいたいんですよ、自由で。囚わ

          粘土団子を知ってるかい?

           皆さんは、福岡正信先生の名をご存知だろうか。不耕起、無肥料、無農薬、無除草の自然農法を提唱された方だ。また、ギリシャやスペインを初めタイ、ケニア、ソマリア等、世界十数カ国で、様々な種を混ぜ込んだ「粘土団子」での砂漠緑化を実践されたことでも知られ、海外では非常に高名だ。が、日本ではあまり知られていない。実は当初私たちも、イタリアの造り手から話を聞くまで、先生の名すら知らずにいた。仮にも「自然」を口にする「日本人」として恥ずべきことだと思う。  残念なことに、私たちがお目にかか

          粘土団子を知ってるかい?

          バルベーラ

           初めて耳にする人の名に何故か懐かしさを覚えることがあるように、それまで聞いたことのなかったワインの名でも、最初から好みのワインのような気がすることがある。バルベーラがそうだった。ドルチェートよりも、またネビオーロよりも、その名を聞くだけで心が弾み、幸せになったような気がした。そして実際に飲んでみると、その通りだった。知りもせずにバルベーラが好きと言い、教えてもらったのが、このヴィリオーネだった。  約束の日、モンフォルテ ダルバの指定の場所へ着き電話を入れるとすぐに、白のサ

          バルベーラ

          フォトジェニック

           Triple Aの造り手の中で、アリアッナ オッキピンチと並んで出世頭と言ったら、ボルグ ドドンのデニス モンタナールかもしれない。当時から葡萄栽培(及び醸造)専門農家というよりも、葡萄以外に向日葵(油)等を作っていたが、今では小麦にトウモロコシ、大豆(なんと豆腐用!)等々、幅広い農作物を手がけている。  そのデニス、初めて会った時は、スキンヘッドのせいか、滅茶苦茶強烈な印象だった。視線が突き刺すように鋭い。おまけに、動作はとてもスマートとは言い難い無骨さがある。それ故に、

          フォトジェニック

          シチリアのさそり

           ステファノと同時期に、私たちの名が売れるきっかけとなったもう一枚の写真がある。以前、リーデル用の撮影でSBMのジェナーロにイタリアの生産者を紹介してもらった時、彼のリストにはアルジオラスの名があった。シチリアの有名な生産者だ。行こうと思って何度も計画を立てるが、いかんせんシチリアは遠い。その度に何処かで不都合が出て、行かずじまいになっていた。そうこうしている内にTriple Aの仕事が始まり、アルジオラスの名は消えた。代わりに登場したのがアリアッナ オッキピンティだった。

          シチリアのさそり