見出し画像

明日の種をまく 117_20240110

捨て活から終活を考える

実家の母と義母は正反対である。
それは私と夫が正反対であるのと同じ。

今日の話は義母を中心に語られるが、義母は私が愛する夫の母なので、多少批判的なことを書いていたとしても、文句ではないということをご理解いただきたい。あくまでも分析である。

私たち夫婦には子どもがいない。
ということは、私たちは自分で自分の面倒を見れなくなったら、高齢者施設にお世話にならなければならないだろうと早々に想像している。
できるだけ自分のことを自分でできるように健康でいたいものだ。
私は夫とほぼ同じ歳なので、平均寿命からして私の方が長生きするかもしれない。
そうなると自分たちの後始末は私がしなければならないのか、と今から覚悟している。

仮に子どもがいたとしても、自分たちの後始末を最初から子どもに頼るのはどうか、と思ったりするのだが、私たちの場合は選択肢がないだけ傷ついたり悩んだりすることもない。

実家の両親は3人の子どもがいるにも関わらず、2人だけで暮らしている。
娘2人は嫁いでしまったし、息子も県外に住んでおり、奥さんが一人っ子のため我が家の跡継ぎ問題は曖昧なままである。
弟は自分が最終的に両親の面倒を見ると思っているらしいが、両親はなぜか長子である私にわずかな希望を持っている。

それでも実際のところ、遠方に嫁いだ私がしてあげられるのは、両親の死後の後始末かもしれず、それをほんのり実感している両親は、少しずつ家の整理を始めている。

「子ども3人に迷惑をかけるわけにはいかない。かけたくない」というのが、母の口癖である。
その言葉を証明するように、実際にいろいろ動いているな、と思うこともある。捨て活もその一つである。
母は一人っ子で婿取りだったので、責任感がとても強い。この家を守ろうと必死だ。両親から受け継いだ家を守ること、それが母の生きがいであり、人生の目的のようにも思える。
その願いをかなえてあげることが、娘としての役目だなとも思う。

一方、うちの義母は末っ子で小さいころから他人に依存することが慣れっこになっている。
私たち夫婦に面倒を見てもらうことを当然のこととし、自らの人生を自分で始末することを全く考えていないように見える。
うちの両親より5歳ぐらい若いということも関係するのかもしれないが、あれも欲しい、これも欲しいと、とにかく家に新しいものを入れたがる。

義母いわく「やっと私の時代がやってきた」そうだ。
96歳になる義祖母はまだ健在。
夏には同居することになっているため「我が家は祖母の家」であることは間違いない。
これまで義祖母に遠慮してできなかったことをこれからやろうとしている義母。
後始末どころか、これから始めよう!と息巻いている。

やれやれ・・・

嫁としての義母の立場や気持ちも理解できるため、何も言えない。
が、これから開始する新しいものたちは、もしかして全部私が片付けるはめになるのか?と思うと、いささかおもしろくはない。

せめて自分で後始末するから、自分でできる範囲でやってまーすという姿勢を見せてほしいものだ。

人と言うのはあまり頼られすぎると関わりたくない。却って頼られないぐらいの方が気にかかるものである。

最終的に、実家の両親も義母もなんとか面倒みるしかないし、そういう自分は自分でしか面倒見れないと思うと、多少、余力を残しておかなければなと思う今日この頃であった。

今から残りの50年をエンジン全開で頑張るぞ!と意気込む前にちょっとした弱音を吐くうぉんのすけでした。おしまい。

<1年前の”ほのぼの日記”> 
おーーー、あれからもう1年経ったか。
親友(幼馴染)との楽しいひと時。
2日にあった中学校の同窓会はどうだっただろうか。
連絡して聞いてみようっと。


タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?