見出し画像

言葉だらけも疲れちゃう

 イライラしているとき、疲れているとき、なんとなく調子が出ないとき。私は庭園沿いのその店でカフェオレとホットサンドを頼む。

 私はそこのカフェオレが好き。

 コーヒーと牛乳の分量が「五〇:五〇」であることを示す「オ・レ」。牛乳がコーヒーの余分な苦味と酸味を中和して、ホッとしながら飲むことのできるテイストが、私にとっておいしいと言えるカフェオレの条件でもある。

 ホットサンドとカフェオレを頼むと会計は一〇五〇円。

 ある日、いつものように「ご馳走様」と言ってお金を渡そうと財布を覗いたら、細かいお金の持ち合わせがなかった。「すいませんが、これで」と千円札を二枚出す。店主さんは「じゃあ、今回は」と言って千円札を一枚、私の手に戻した。「次に来たときに、ね」。

 この店の店主さんはいつもゆったりとしている穏やかなご主人。実は、私はご主人と多くの会話をしているわけではない。私は仕事関係のメールを打ち返しながらカフェオレを飲んでいるし、調子が出ないときは何も考えず一人でぼーっとするのが日課。

 でも私は、こういうコミュニケーションが好き。会話のキャッチボールも好きだけれど、疲れているときは自分の脳内をさまよって思考を探索したい。ぼんやりおいしいものを味わいながら、「何もしない」でもそこにいることが許される空間が好き。そして、喫茶店はそういう場を提供してくれる素敵な場所。

 暑い日には来店したタイミングでそっと空調を強くしてくれた。子どもを連れていったときには、娘が騒いでしまって頭を下げたところ「いいのいいの。気にしないで」と一言。そっとなされる気遣いに私はとても心地いいものを感じ、胸の内で感謝の言葉を告げている。

 千円札が私の手に戻った、そのタイミングに話を戻す。そう、お金を値切りたいわけじゃない。安くしてもらいたいわけじゃない。でも、「次に来たときにね」という一言に私はそれ以上の喜びを得た。ようするに「ツケにしとくよ」ってやつに。この興奮、どう言えば伝わるだろうか。

 少しだけ積み上がった信頼。関係性。そういうものの上にやりとりが成立したことが嬉しかった。交わした言葉は多くはないけれど、こういう関係にだって価値はあるだろうと思うのだ。だって私は嬉しくなったんだし。その日は嬉しくて六義園の周りをスキップして帰った。

 こういう社会情勢になって、お世話になった素敵な店が減っている。もちろんみんな大変なのも承知している。でもせめて、自分の目と手の届く範囲だけでも私が好きと言いたい人や物やサービスが長く続いていってほしいと思いながら(ある意味エゴではあるけれど)、今日も大通りの反対側から、その店の灯りが点いているかどうかを眺めています。


※あくまでもツケにすることは例外的な対応です。その日のうちにお支払いしました。


こまごめ通信vol.27(2021年6月号)に掲載していただきました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?