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【私たちのまちの自慢人@山形】『“常に直感”をベースに、経験から次の展開をデザインする』合同会社Oriori代表/山形県立遊佐高校魅力化コーディネーター 藤川かん奈さん

街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る『私たちのまちの自慢人』。

昨年始まったオンラインコミュニティの拠点“東北”中心に、オンラインコミュニティメンバーが迫ってきました。

大和田(@山形)藤田(@宮城)の初企画で、山形編初回にお迎えさせて頂いたのは、山形放送アナウンサーの青山友紀さん

今回は第2弾として、織に特化したブランド合同会社Oriori代表とプランナー、お2人のライフストーリーを2回に渡ってお届けします!

<初回>写真左上
Oriori代表/山形県立遊佐高校魅力化コーディネーター 藤川かん奈さん

<2回目>写真左下
Oriori Planner/きてけろ商店街代表 阿部優美さん

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初回の今回は、Oriori代表の藤川かん奈さん。大学時代からバックパッカーとして途上国を旅した後、地元京都で地域の人が集まる拠点「笑学校」を開校。ビビビっと来た庄内に京都から移住し、その後地域起こし協力隊として活動。それからOrioriを立ち上げ、今に至るまで、“常に直感”をベースに、パワフルにアクションを起こされています。そんなかん奈さんのこれまでのライフストーリーとこれからの展望に迫りました!

かん奈さんヘッダー

藤川かん奈さん:1992年京都市生まれ。関西大学在学中、20か国を旅する中で地域コミュニティの大切さに気付く。2013年8月には、京都で0歳から100歳が通える地域の学校「笑学校」を創設。その後“先の見えない選択がしたい”と叫び、人口1万3千人の山形県遊佐町(ゆざまち)に移住。地域おこし協力隊として3年間町の生涯学習推進に関わり、現在は織に特化したブランドOrioriを運営する合同会社を立ち上げ、協力隊時に関わっていた遊佐高校のコーディネーター業も行う。

『Googleで「世界 仕事1番難しい」で検索し、ヒットした国連』

WI吉田:京都の「笑学校」や地域おこし協力隊を中心に、昨年(2019年)4月に織に特化したブランドOrioriを立ち上げ、お仕事されているかん奈さんに取材させて頂けること、ずっと楽しみにしていました!
ご自身の感性に正直な印象を抱いたのですが、高校生・大学生の頃は未来をどう未来を描かれていましたか?

かん奈さん:高校で所属していた陸上部では、棒高跳びを専門競技とし、死に物狂いで練習していました。全国出場の有無が決まる試合があり、3年間の過程を思い出して全部笑顔で飛ぼうと思ったんです。結果として勝つことができたのですが、負けたとしても納得していたし、結果ではなく、もうこれ以上できないという努力をし、そのプロセスを大切にできたのかが大事なんだと気付きました。

なので、大学では部活動を続けずに、違う目標に向けて頑張りたいと思い、当時まだあまり整っていなかったGoogleで「世界 仕事1番難しい」と検索してみました。そしたら、上から1つか2つ目くらいに出てきた仕事が国連だったんです(笑)。国連に入るためには、まず発展途上国の現状を知る必要があると考え、大学時代は20か国ほど巡りました。

特に衝撃を受け、今に繋がっていると感じるのはカンボジアでの経験です。電気や水道が通っておらず、決して生活レベルが高いとは言えない環境の中でも、楽しそうに生活される姿を目にしました。誰かが風邪を引いたら村中で助け合うような「人と人の繋がり」が、彼らのイキイキさを生み出しているのだと気付きました。

そのタイミングで自分の地元(京都)を振り返ってみたら、隣人の名前をかろうじて知っているぐらいで、コミュニティの希薄さを感じました。彼らのような密な関係性をここ京都で生み出したいという想いから、地域の人たちが先生になり、0歳〜100歳が通える「笑学校(しょうがっこう)」を2013年に開校しました。4年前(2016年)に山形の遊佐町へ移住してきてからは、3年間(2019年3月まで)地域おこし協力隊となり、地域での人と人の繋がりを創る活動をしてきました。

『恋して半月で移住を決めた山形と、イタリア旅行での原体験』

WI大和田:京都での活動に終止符を打ち、遊佐町へ移住し地域おこし協力隊として活動をし、昨年(2019年)4月にOrioriを立ち上げられたとご経歴を拝見しました。何か原体験があってのOrioriなのでしょうか?

かん奈さん:庄内を訪れる機会があり、半月で庄内へ移住を決め、遊佐町で地域おこし協力隊として活動を始めました。

昨年4月に起ち上げたOrioriの原点は、イタリアへの旅でした。
「現地で知り合った、あるイタリア人のカメラマンから撮影に協力してほしいと言われ、「着物を着てシチリアの海に飛び込んでくれないか?」と頼まれてしまって…(笑)。その後帰国してからも近況報告している中で、相手の本気さに触れ、急遽遊佐から着付けの先生とイタリアへ撮影しに向かいました。イタリア滞在中、あるパーティで私が着ていた振袖に注目が集まり、会場にいた方々が褒めて下さいました。

当時の私は次のキャリアに悩んでいたこともあって、今このタイミングを逃すときっと巡り合わせはないなという気持ちも大きくて。そのパーティでの体験から「私がやりたいことはこれだ!」とピンと来て、織に特化したブランドOrioriを立ち上げました。

Orioriは、古くから眠っていたヴィンテージの着物地を使用した、ものづくりブランドです。呉服店の蔵や家庭で残っている着物を処分するのではなく、日常にワンポイントでも良いので取り入れてもらえるように活動しています。

『新鮮に感じてもらえて、かつチャレンジしやすい山形』

WI吉田:直感を信じ、京都から庄内への移住を決意したかん奈さんが見つけた「山形・東北ならでは」の魅力を教えて頂きたいです!

かん奈さん:庄内のことをよく知らないまま移住し、2年目に「日替わり店長のお店」を起ち上げたところ、山形の方々から「なんて斬新なアイディア!」と褒められたことがあって。「日替わり店長のお店」は東京や大阪ではよくある企画ですが、何をしても新鮮と捉えてもらえることは魅力の1つかな。

それから人口が少ない分、人との繋がりが濃い。キーパーソンとの繋がりや、プロジェクトの進行が速く、チャレンジしやすい街なのも魅力ですね。例えば京都でOrioriをやっていたらこうやって取材して頂ける機会は少ないだろうし、若い方がチャレンジするのに優しい環境だと感じています。

『ジャニーズを作ったジャニーさんのようになりたい』

WI大和田:チャレンジする土壌がある山形で描きたいビジョンや、今後挑戦したいと計画されていることはありますか?

かん奈さん:ジャニーズを作ったジャニーさんのようになりたいんです (笑)。
最近、優美ちゃんが “山形の名品を売るネットショップ”「きてけろ商店街」を始めて、最初のリリースをOrioriでライブ配信したんです。コロナが重なりながらも頑張っている姿に感動し、ずっと見ていたいという気持ちと、遊佐高校の生徒さんから「かん奈さんみたいになりたい」と言ってもらえて、若い方の挑戦に寄り添ってサポートしたいという気持ちが芽生えてきました。
以前は私が前に出てやりたいと思っていたので、フォローをするのは得意じゃなくて…(笑)。今は私が突っ走っている姿を見せる形ですが、本人たちのやりたいことに寄り添えるように、プロデュース業を勉強しています(笑)。

『ロールモデルは、おじいちゃんとマザーテレサ』

WI大和田:猛進するエネルギー量と直感力が強い気がするのですが、かん奈さんにとってのロールモデルは、どなたかいらっしゃいますか?

かん奈さん:ご質問頂いて、2人ロールモデルが思い浮かびました。
1人目は、「マザーテレサ」。国連で働くことを夢見ていたこともあって旅していた18歳の時に、「これだ!」と思い、マザーテレサが建設したインドのコルカタにある施設に学生時代に通いながら、彼女の思想やマインドから多くの学びを得ました。

ただ活動自体はあまり響かなくて、今はおじいちゃんみたいになりたいと思っています。私のおじいちゃんは、公立高校の先生で、公立高校のサッカー部で初めて全国優勝を決めたチームの監督でもありました。そういうもんかと思っていたけれど、この2年でおじいちゃんを恩師と慕う教え子さんたちが自伝を作成し始めたり、「藤川先生のお孫さんですか?」と聞かれ、「藤川先生は生徒に対しても敬語を使っていて、おごり高ぶることも荒ぶることもなく、優しくて冷静な先生だった」と言われて。
私に対しては「健康第一」と基本的なことしか言ってこなかったんですけどね(笑)。
人生の盛りが終わった後も、関わった人たちの中で盛っているおじいちゃんの人生そのものに憧れを抱くようになりました。人のために何かをしようと思っていた訳ではないと思いますが、自分の人生を楽しみながら、沢山の人に影響を与えたおじいちゃんのようになりたいという想いで今を生きています。

そんなおじいちゃんに近づくために2つ意識していることがあります。
1つ目は、おじいちゃんからいつも言われている「慢心するな」という言葉。私は割と調子に乗ってしまうタイプなので、この言葉を自分に言い聞かせています。
2つ目は、感謝すること。日常の全てにありがとうという気持ちを持って、伝えるようにしています。常に一緒にいる優美ちゃんの前で、取材を受け、こういうことを共有するのはなんか照れくさいね(笑)。

優美さん:かん奈さんは、毎日必ず「今日もありがとう」と仰って下さるのですが、それは尊敬しているおじいちゃんと繋がっているんですね!

WI大和田:「すみません」というよりも、「ありがとう」と言えることの大切さを改めて感じました。ウーマンズでも月2回メンバーに「ありがとう報告」と題して、メンバー1人1人に感謝を伝えるフォームを書くことが習慣になっているのですが、それが完全に習慣になっているかん奈さんは素敵だなと思いました!

『選択の鍵は「その活動を生涯自分の作品だと思えるか」』

WI吉田:かん奈さんは選択を迫られた時、何を判断基準にされていますか?

かん奈さん:私が選択に迷った時に大切にしている言葉は、「生涯自分の作品だと思える活動であるかどうか」ということです。
どれだけお金を頂ける仕事であっても、胸を張って自分が時間をかけてきたモノだと言えなければ、時間と労力がもったいない。自分の心が踊ってやりたいと思えたら作品になるけれど、「こうしておいた方が良いかも」という観点で決めたことに関しては、自分の作品にはならない気がするんです。仕方なく選択しなければいけない場合であっても、それが自分の作品になるかどうかと問いかけることは大切だと思います。

WI大和田:ありがとうございます。行動されてきたかん奈さんの言葉には説得力があり、その行動力に引っ張られて周りの人たちと前進されている気がしました。

かん奈さん:1人旅に行く前や移住する前、イタリアの海に飛び込む前の気持ちを思い返していたのですが、「今このタイミングを逃すときっともう巡り合わせはない」と思うようになっていて。ありきたりですけど、やらない後悔よりやった後悔の方が良くて、やった後は絶対に後悔にはならないし、次へのステップになるんです。私自身就活をしたことがなく、社会人1年目の4月1日に自分がやっていることで生きていこうとバイトやお手伝いも辞めた時に、手元に入ってきた金額を見て、「ガビーン・・・。」となったけれど、そこからが楽しくって(笑)。不確実なところに飛び込んできた、これまでの経験が皆さんへのアドバイスになれたらいいなと思います。

WI大和田:最後に「自分を生かす選択をするため」にアドバイスを頂けたら嬉しいです!

かん奈さん:大学卒業前に笑学校だけを生業にしようと決断した時、遊佐町への移住前、Oriori立ち上げ前も、怖かったけれど、全てを手放したことで余白と新しいチャレンジが舞い込んできたんです。精神面と物理的なもの全てリリースすることは怖いかもしれないけれど、私自身はその経験を経て、入ってくるものがあると感じました。

「自分が作品と思えるものだけ仕事にしろ」とアドバイスをくれた方が「かん奈、起ち上げても継続だけが全てじゃないぞ。かん奈がいなくなって終わってしまうことは、それこそお前の価値だ。その価値を辞めて知ればいい」と言ってくれたんです。今は、後任を立てることが全てじゃなく、辞めてもいいんじゃないって思います。

WI大和田:「何かを手放さないと手に入らないし、気付けない」が刺さりました。貴重なお話とお時間をありがとうございました!

(企画:大和田日向子| 取材・文:大和田日向子、吉田響| 構成・編集:大山友理)


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