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【私たちのまちの自慢人@宮城】『女性たちが胸張って生きられる環境を作りたい』宮城県議会議員 小畑きみ子さん

街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る『私たちのまちの自慢人』。

宮城県での私たちのまちの自慢人第2弾として、小畑きみ子さんをお迎えさせて頂きました。小畑さんは、約20年間看護師として勤続された後、2019年11月宮城県議会議員に転身。女性のライフステージの変化に寄り添う社会を実現すべく、4男4女の8人のお子さんを育てながら、日々尽力されています。

曇り一点なく清々しく潔いお話を伺い、メンバー一同「小畑さんのようなマインドを手にできたら何でも叶えられる気がする」と思えるようになるほどのエンパワーメント力をお持ちの小畑さん。Willを持って働き続けていらっしゃる小畑さんが、これまで歩まれてきた道のりに迫りました。

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小畑きみ子さん:1977年生まれ。埼玉県川口市出身。東京都立豊島看護専門学校(現在は、閉校)看護学科を卒業後、東京品川病院(旧東芝病院)に正看護師として就職。結婚を機に寿退社し、仙台に移住。医療法人松田会松田病院の正看護師として勤務。2007年4月からは、JCHO(ジェイコー)仙台病院(旧先代社会保険病院)に転職。仕事と家庭の両立でかなり肩身の狭い想いをした経験から、自分のようにもがき苦しみながら働くお母さんを笑顔に導きたいという気持ちが強くなり、2019年6月に退職。2019年11月宮城県議会議員に初当選。4男4女の母として、社会で働く母として、皆さんと一緒に誰もが幸せを感じることのできる世の中にしたいと活動中。

『親友の一言で出会った天職“看護師”』

WI大山:2019年11月から宮城県議会議員としてお仕事なさっている小畑さんは、前職は看護師だったと伺いました。看護師を目指すようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

小畑さん:小学校からバスケットをやっていて男勝りな性格でした。高校でも続けたいと思い、体育科のある公立高校に進学したかったのですが、受験に失敗。併願推薦で合格していた私立校に進学することとなり、桜丘女子高等学校(当時は女子校、現在は共学)に通っていました。

高校に落ちた時は人生終わりだと思っていましたが、あまり偏差値が高くない学校だったので、コツコツ勉強してみたら、上位成績でいることができて。推薦枠を含め、手にできる選択肢の幅が広がったんです。経済システム科(商業科)だったので、就職か進学か、どうしようか考えていたのですが、デスクワークしている自分がイメージできず…。

ある日、親友と電話していたら「動物が好きだから、動物の看護師になる」と親友が話していて、そこで「私は人間の看護師になる」とパッと閃き、高3の3者面談で報告したら、かなり驚かれました。

私立大学の医療系はかなりお金がかかるのと苦手な小論文が試験に含まれていて。受験費は3000円、入学金は2000円、授業料は年間5万円。埼玉よりも学費が安く、評定平均、作文と面接で合否が決まる東京都立豊島看護専門学校看護学科(現在は閉校)に進学しました。面接では、患者さんと関係性を構築し、死と向き合う看護師として働いていく上で、活かせる強みとして、団体競技(バスケ)をやっていてチームワークが得意なこと。体動かすことが好きで、体力に自信があるとお話したことを今でも覚えています。

当時は今みたいに、高校卒業後のメインルートがメインルートではなく、自分含めて専門学校や短大に進む友人が多かったですね。

『約20年間、向上心とともに走り抜けた看護師生活』

WI座間:看護学校卒業後は、どんな環境で働かれていたのでしょうか。

小畑さん:看護師になるには、卒後課程3年が整っている総合病院に勤め、下積みする必要があるんです。私が就職した頃は人形相手の実習だったので、直接患者さんに注射することもない。日々進歩する医学に対して、その都度求められているスキルを獲得できる場所に行かなければ、1人前になれないと考えていました。

個人病院やクリニックは経営重視で卒後教育がないので、夜勤なしで自由な働き方を欲している子育て期間に、第2、第3人生として選ぶ看護師が多いんです。総合病院の他に、大学病院で勤務する選択肢もあるのですが、研修会・勉強会が多い。大学病院に就職した先輩や友人は、お給料を使う時間すらなく、当時の平均勤務年数も1年ほど。そのような姿を見聞きしていたので、長く働き続けられて、スキルが身に付く環境で働くことに重きを置いていました。私は専門学校卒業後、実習でお世話になり、働いている方々や職場の雰囲気に惹かれた総合病院に就職しました。

WI板倉:約20年間総合病院で看護師をされていたとのご経歴を拝見させて頂きました。どんなことをやり甲斐に感じ、その道1本で働き続けてこられたのでしょうか。

小畑さん:私自身元々は人見知りなのですが(笑)。対人として向き合って信頼関係を深め、心も体も委ねて頂き、仕事できることにやり甲斐を感じていました。入院患者さんの職業や家族構成は様々。人生の大先輩方でもある患者さんからお話を伺って学ばせて頂きましたが、私自身の悩み相談に乗って下さったこともありました。

看護師は、先生の治療方針を理解し、その治療方針を元に、看護をしていく。看護も、ただなんとなく看護するのではなく、根拠を元に行う仕事。看護学校生時代「あなたは昨日も身体拭いていたけど、今日はなんで拭くの?その根拠は?」と先生から何度も質問されました。次第にその思考が身について、行き当たりばったり、ただ何となくの看護ではなく、根拠を持って仕事できるようになりました。さらに「Aさんの点滴を30分落としてる間に、同室のBさんの身体を拭いて、拭き終わり退出するときに、Aさんの点滴を外す」など、上手く時間を使えるようになっていきました。究極、最後は心なので、マニュアルに載っていないことを含めて看護できるかという点を大事に働いていました。

『議員を志したのは、当事者目線で制度を変えたいという想いから』

WI磯崎:長く看護師として働かれてきた小畑さんが、議員にシフトしようと思った背景には、どんな出来事があったのでしょうか。

小畑さん:
いつも仕事の相談に乗ってくれる夫と話していたところ、市議会議員の友達がいるから、議員になるためにどうしたらいいか、話を聞いてみないかと。当時の私は、6人目を妊娠しており、更に5人の子育てに忙しく、政治に関心を持つ余裕すらなかったんです。自分が議員になって何ができるのかも分からず、議員になろうとは思えませんでした。とはいえ、話を聞いて以来、ポストインされる議員さんのチラシが目につくなり、年配の男性議員が多い印象を抱いていました。

自分の親世代は年金支給額が少ないものの、元気に働き続けている。そして子育て世代は、核家族で共働きというケースが多い。子育てと仕事の両立をしていくには、使い勝手の悪い制度や不足している制度は、当事者じゃないと分からないこともあると思うんです。今の議員さんは、男性が多く、年齢も高い。そのような現職議員世代と違って、子育てしながら、職場で肩身の狭い想いを抱いた私だからこそできることがあると思い、議員になりました。

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取材時近くにいらっしゃった4男、3女のお2人と小畑さん
(取材日:2021年8月22日)

WI磯崎:Twitterのプロフィールに「ママが胸を張って働ける環境を作りたい! 1人でも多く、産みたい人が産める環境を作りたい!」と書かれていたのですが、それは看護師時代の経験から生まれた想いなのでしょうか。

小畑さん:
看護師の給与は、資格を保有してからの経験年数ではなく、何年間何床以上の病院に勤めたら〇〇万円という仕組みになっているんです。100床にも満たないクリニックに10年勤続しても、総合病院に転職すると1年目扱い。それ自体が嫌だったので、子どもを産みながらも大きい病院で頑張って働こうと思いました。

適齢期の27歳以降に沢山子どもを産むと考えると、子どもができやすい35歳までに産休・育休を取得して復帰し、また半年後に休むの繰り返しになると、幽霊社員みたいになってしまう。社会的に働きにくく、妊娠しても誰も文句言えない最短の産後8週で仕事に復帰することで、自分自身の看護スキルも磨けて、産休中は、月給も出るので、賞与も100%支給され、8人生んでいても、看護経験は重ねていたので、年収も上がっていきました。医療の進歩は早いので、2ヶ月休むだけでも怖くて、それが1年だともっと私戻れなくなるなということも、早期に復帰するきっかけの1つになりました。

4人男の子を出産した時に、上司から「あなたばかり融通は効かせられないのよ。旦那さんにも協力してもらいなさい」と言われたんです。ただ看護婦長や管理職に就くママさん看護師は、親が傍にいて子どもをお世話してもらえる体制が整っていることが多い。でも私は親と離れて暮らしていて、夫のお父さんが闘病していたので、子どものお世話を頼めない状況。「子育てしながら働く環境が万全でない家庭は、子どもを産まないで」と言われている気がしました。

とはいえ、命がけで産み、お金をかけて育てるのは私と夫。毎回産休は8週間のみ取得し、常に税金を納めている状況にも関わらず、「なんでこんなに肩身の狭い想いをしないといけないのかな」と。悲しくて悲しくてしょうがなかった。
そんな時、ある方から「子どもは将来税金を納めて、国を支えてくれる人材であって、国に貢献しているから、素晴らしいよ」と言って頂けて。職場では申し訳なさを抱えているけれど、国からしたら良いことしていると都合のいい解釈をするようにしました。それから胸張って生きていこうと前向きに考えられるようになりましたね。後輩たちが1人目、2人目と産む時に、私のように辛い想いを抱えず、胸張って生きていいんだよと伝えていました。

WI横塚:いつも小畑さんの選択を応援されている旦那さんとの結婚の決め手を教えて下さい。

小畑さん:夫婦揃って直感型の人間なんです。友達の紹介で飲み会で出会い、将来的に結婚するならこの人だなと。だからこの人と付き合う時がきたら、結婚する時、という気持ちでいて、相手の家庭のことすらよく分からず結婚しました(笑)。付き合うまで、1〜2年ちょっと連絡取り合いながら、たまに会っていました。東京の病院で働き始めてから6年経ち、彼が宇都宮から仙台に戻るというので、遠距離恋愛を始めるのはお金がもったいないなと。付き合うというより、いつ結婚するか?という感じでした。決め手を一言で表すならば、やっぱり直感ですね。

『「明日死ぬかもしれない」と思って今を生きる』

WI板倉:常にバイタリティに溢れている印象を抱いたのですが、小畑さんの心に留めている言葉はありますか。常に目の前の人の生活をより良くしたいという想いが強いと思うのですが、原動力はどこから来ているのでしょうか。

小畑さん:どんなに真面目に生きていても、いきなり車に追突されて死ぬかもしれない。何があるか分からないので、「明日死ぬかもしれない」と思って生きています。5人目を出産した夜に『あした死ぬかもよ?人生最後の日に笑って死ねる27の質問 名言セラピー』を読んで以来、何事も先送りせず、1日1日を大事にすること。「絶対」というものはないことを意識して生きています。

食生活には気を付けているのですが、絶対病気にならないとは限らない。もし病気になったとしても食事を気を付けてきたからこそ、この程度で済んだというふうに思うかなと。東日本大震災以来、夫は「私や子どもたち1人1人が、帰宅できない日がきてしまうかもしれない」と、毎朝必ず抱きしめてタッチしたりしてから出勤するようになりました。どんなにひどい夫婦喧嘩をしていても、必ず触ってきます。私自身は看護師として多くの方の死に立ち会う機会が多かったのもあってか、原動力はお金ではなく、人の心や人の繋がりだと感じています。

WI大山:お子さん8人の子育てをされているとのことですが、子育てで大事にしていることを教えて頂きたいです。

小畑さん:子どもは、親の所有物ではなく、独立した個なんです。勝手に決めつけず、1人1人の個性を大事にしています。例えば、16歳の長男は、幼い頃から自分1人の時間を欲するタイプなのですが、夫は家族みんなで過ごそうよというタイプで。とはいえ、彼には彼の世界がある。子どもの傾向を理解した上で、個を大事にしようと意識しています。

もう1つは、親の期待を子どもの希望と重ねないこと。子どもには子どもの人生があるので、親としての「こうなってほしい」「こうあってほしい」を押し付けないようにしています。子どもがたくさんいて、1人1人にお金も、人手もかけてあげられない分、応援は一生懸命する!と話しています。

『譲れない私の軸「自分の幸せは自分でつかむ」』

WI座間:自分を生かす選択を描くために、日頃から大事にされていることは、ありますか。最後に、高校生・大学生に向けてメッセージを頂きたいです。

小畑さん:私はこれまで「自分の幸せは自分で掴む」という気持ちを大事に生きてきました。自分の幸せを他者に委ねるのではなく、自分自身が動く意識を常に持っているんです。もしご自身が思い描いている人生があるなら、諦めずに前に進んでほしい。この時代、多種多様な選択を手にできるので、自分の人生に希望を持って道を切り拓いてほしいです。応援しています!

WI大山:小畑さんの今を生きるという一貫した姿勢と、女性たちがライフステージの変化を罪悪感なく迎えられるように、日々尽力されていることに感銘を受けました。貴重なお話の数々、ありがとうございました!

(企画:大山友理|取材・書き起こし:磯崎颯恵、板倉由茉、大山友理、座間琴音横塚奈保子|編集:大山友理)








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