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カウナスで日本を感じる日【欧州街角探訪㉓=リトアニア編=】

皆さんは東洋のシンドラーと呼ばれた男、杉原千畝(スギハラチウネ)さんのことを知っていますか??

2015年に唐沢寿明主演でその功績が映画化もされた方です。今日はリトアニアのカウナスにある、彼の記念館にいってきました。

どうも、日本食が恋しいケイトですー。

シャウレイからカウナスまではまたもバス移動。1時間半くらいだったかな。

まずはカウナスの街を散歩してみましょう。

街の中心には聖ミカエル教会がありました。中心といっても、あまり大きくない街…かつ着いた時は日曜日の夕方だったので人もまばら。

しかしどの街でも協会は立派ですよねー。さすがヨーロッパ。

カウナスに限った話ではないのですが、バルト三国の、特に首都ではない街では、今でも共産圏だったことを感じさせる建物が結構残っていて、老朽化も激しいようです。

EUから街の整備についてどうも補助金が出ているようで、至る所でインフラ整備や、住居の建て直し等工事が行われていたのが、バルト三国では強く印象に残っています。

中心地の南側に川が流れていて、夕暮れの空を映します。

そろそろ日も暮れてきて、どこかで夕飯でも…とうろうろしてみたものの、開いているお店がなかなか見つからず…。スーパーでなんか買って帰るかと思っていたところ、日本食レストランを発見!看板を見るとオーナーの方はどうも日本人の方のようで、これは期待できるな!とついつい入ってしまいました。アイルランドに渡航したのが3月。それから日本食はたまの贅沢だったので、ほんとうに久しぶりの日本食!


本当に偶然だったのですが、リトアニアでは首都のヴィリニュスを含め日本人の方が経営されている日本食レストランは、こちらKAMAKURAさん含めてたったの2軒でした!いやぁありがたい。閉店間際だったのですが、快く迎えていただきました。

頼んだメニューは担々麺(日本食か?という議論はここでは置いておきます。もはや日本食みたいなもんでしょ)この味!本当に3月以来かも!!スープまで全ておいしくいただきました。ありがとうございました!

担々麺は€5.5だったのですが、これは西欧諸国からしてみると破格の値段。多分アイルランドでこれ食べようと思ったら€13くらいはしそう。日本食レストランって総じて高級レストランの位置づけなんですよ。この価格で、しっかり美味しいラーメンだったので本当に驚きました。しかし、バルト三国の給与水準は、まだまだEU諸国の中では低く、これでも安い!とは言えない価格なんだそうです。

後述する杉原千畝さんのおかげで、リトアニアでは日本のイメージがかなり良いのだそう。是非日本食のおいしさも、現地の方々にいっぱい知っていただきたいですね。


さて、翌日は杉原千畝さんの記念館に向かいます。

そもそも、杉原千畝って誰??という方も多いと思うので簡単に紹介しますと、

杉原千畝さんは第二次大戦時に、ここリトアニアの日本領事館に勤めていた外交官です。ナチスドイツの東方侵略によって、住まいを追われたユダヤ人たちが、当時大量にリトアニアに流入していました。彼らの多くはオランダ国籍だったそうで、カリブ海のキュラソー島(オランダ領)への脱出を目指していました。
しかし、その為にはソ連のシベリア鉄道でユーラシア大陸東岸まで行き、日本を経由して、太平洋に出る必要がありました。ソ連は、日本通過のビザを持っていない者の入国を認めなかったので、連日、杉原千畝の元にユダヤ人たちがビザ発給を求めて詰めかけたそうです。
当時日本とドイツは共闘関係にあったわけで、当然、ユダヤ人を逃がすとなればドイツの政策に仇をなす訳です。杉原は外務省に掛け合いますが、返事はNO。しかし、杉原は自らの意思で、ユダヤ人たちを助けることを決め、寝る間も惜しんで、朝から晩までひたすら『命のビザ』を書き続けたのでした…

彼が生まれた地、岐阜にも記念館がありまして、そのHPにかなり詳しく、経緯が解説されているので是非読んでみて下さいな。

結果として、ユダヤ人約6000人の命を救ったとされる杉原千畝。ここ、カウナスにある彼の記念館は、当時の日本領事館をそのまま用いています。

記念館はちょっと街はずれにあるので分かり辛く…まずこの公園を通り抜けます。リトアニア独立のために戦った名もない兵士たちの慰霊碑がありました。

そして、奥にある階段を登ってしばらく歩くと…

見えてきましたね。リトアニア語、英語と一緒に日本語でもばっちり案内表示が。

当時の執務室がこちらです。日本、イスラエル、リトアニア、そして共に尽力したオランダの国旗がはためきます。

彼の使っていた机には、当時実際に使われていた万年筆や、タイプライター、そして手書きのビザと、彼の功績により命を救われた方々の名簿が。

館内は寄贈された資料や、写真パネルが掲示されており、当時の国勢や、歴史的な事実がわかりやすく解説されていました。日本語の記載もあるのがありがたい。

入館の際にチケットを買うのですが、領収書と一緒にこんな紙をもらいました。右下に捺されている印が、大日本帝国当時の実際のスタンプ。これがビザに押印されていることで、ソ連、日本への入国が可能だったんですね。


館内をうろついていると、15分くらいの映像があるから、見に来てくれとスタッフの方に声をかけられました。再現VTR(これも日本語でした)をゆっくりと拝見させてもらいました。


彼のしたことは、国家公務員たる外交官としては許されないことだったわけです。実際、帰国後には外務省を辞めることとなり、関係者からは酷い中傷に見舞われました。政府はそもそも「そんな人物は存在しない」とまで言っていました。彼の死後、2000年になり、当時の河野外務大臣によってようやく名誉回復が行われたくらい、長い間日本の歴史の表舞台には現れなかった方なんです。(僕はヨーロッパに来て初めて杉原千畝のことを知りました。日本の歴史授業には出てこない…ですよね??

しかし、自らの信念にのっとって、ただ目の前の人の命を救うという行動を起こした彼を心から尊敬するし、こんな先人がいたということを、同じ日本人として誇りに思いますね。

記念館を訪れて、彼の功績を知ることが出来てよかったなーと改めて思いました。遠いリトアニアの地で、日本を知る機会となりました。

私のしたことは、外交官として間違ったことだったかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。――杉原千畝

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前回記事はこちら! 次回はリトアニアの首都ヴィリニュスへ向かいます。

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