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平成くん、さようなら


物語の中の平成くんはいなくなってしまっても、現実に生きる私は私の好きな人と連絡を取れてしまう。

平成くんにシンパシーを感じてこの本を買った中学生の私はダサくて、希死念慮に満ち溢れていた。けどそのエネルギーはいつか、どこかで萎んでしまって、今は、「なんとなく生きるのが面倒臭いし、でも死ぬの怖いし、どうせならあのころからまともに生きてみて、とりあえずざっと手順だけでも学んでみるべきだったのだろうな」というふわふわした後悔をしている。

まあ、私が変わってしまっても(体力が落ちただけもしれないけれど、)本質的に好きなものは変わってなくて、相変わらず希死念慮と恋と運命と夏と、から始まる感傷的なお話が好きだし、切ない目をしている、同じようなことが好きな人を好きになってしまうのだ。


3年前くらいにこの本を買った時、私は平成くんみたいにさっさと死んじゃって、周りの人が悲しんでくれるんだって安心感を得るため本だと思っていた。
でも今は全然違うようにしか捉えられなくて、もしうっかり恋をしてしまって、もしその人がふらっと居なくなってしまったらどうすればいいか、うっすらとした不安を全部言語化させて突きつける本にしか思えなくなった。

もし、あの人がいなくなったらどうしようって考えて、不安がある日が私にもあって、それだけで、ほんとうに死んでしまいそうなくらい苦しい。悲しいのではなく苦しいって言うべきなんだとおもう。直感でそれがわかる。
別にその人の抱えてきた孤独とか、不遇な過去とかはどうでも良くて、ただただその人の存在がなくなってしまうことが理由もなくつらい。そしてその人の存在自体が光になっていることに気づく。そしてまた苦しくなる。

流行りの青春文庫(青くてキラキラしたイラストのついているライト文芸)は予め寿命が決まっていたり色々あって突然死んでしまったり出来ていて、自分で終わらせる必要がないから安心して恋の話に心を全て持っていくことができるのだけど、現実世界だとそんなに都合よくなんて死ねなくて、自分で終わりをつくらないといけない。

君のとなりで死ねる私になりたくて、でもなれなかった時の痛さ、苦しさに対する予防接種みたいな本だと思った。

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