令和最初のお正月(メモ)

正月が終わった。
実際には、年末から元日まで旅行に行っていたので、いよいよお正月を迎えました感はあまり大きくないのだが、2日以降、しばらく姉家族が実家に帰省しており、家族団らんのひと時を過ごした。

2人姉妹だが普段は離れた距離に住んでいるので、こういった機会でもないと過去のことやこれからのこと、親のことを話す機会があまりない。さらに周りに子どもがいると気軽に口にすることもできないのだが、今回は子どもたちが成長し、従妹同士で寝たい!と早々に布団に行ったのではからずも親子揃って家族でいろいろと話すことができた。

いくら元気な人間でも、人間誰でもいつかは死ぬ。死んでからでは本人の意志は誰にも分からないので、終活という名前に代表されるように生きているうちに諸々の確認をしておかねばならない。姉と私のスタンスとしては、基本的には可能な限り親の希望は叶えてやりたい、というものだった。老後は便利なところへ引っ越したいなら越せばよいし、葬式を派手にやりたいならやってあげたい。しかし大事なのは本人がどうしたいか、ということをどれだけ考えているかなのだ。

酒の勢いにまかせながらも、いったいキミタチはどうしたいんだい?と詰める姉妹。言葉を濁す親。濁すというか、はっきり分かったのは何も考えていないな…という感じだった。まもなく70代になろうという二人は、なーんも考えていなさそうだった。「なんとかなる」という雰囲気で話をしているが、いつまで自分たちが元気でいられると思っているのだろう。

しかし具体的に親と老後の話を詰めていくということは、間接的で目には見えなくても、親の死と向き合うということでなかなかしんどい感じではあった。まだ本人たちは元気なのだが、「いつか元気ではなくなる状況」や「死ぬこと」が必ず来ることを真っ向から受け止めて考えるというのは子どもの立場であるからか、胸に重く響くものがあった。

いつかは「さよなら」を言うという前提は、分かっていても簡単には受け入れられないのだなと思った。親に向かってなるべく希望をかなえたいと思っていて、準備もしておきたいからと訴えるうちにだんだん悲しくなってきて涙が出てきてしまった。
「なんで泣いてんの」と父親の表情は驚きと半ばあきれ顔であったが、どんな形であれ「死」することと対峙するのはエネルギーがいるのだ。特に親、そして家族は、自分が育ってきたバックグラウンドでもある。一つのコミュニティとして属し、自分自身を形作ってきたもののどこかが欠けるというのは、一抹の不安に他ならない。

結局今回の家族会議は時間も夜遅くなったこともあり、何の方向性も決まらぬままお開きとなったのだが、元気なうちにもっと会話するべきだなと思った。そして親だけではなく、自分自身とも常に対話すべきだと思った。年を重ねるということは自分というものをいかに掘り下げて理解できるかどうかという話をどこかで見かけたが、本当にその通りだと思う。一つ目標のできた正月を迎え、今年も駆け抜けていきたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?