死ぬまで好奇心

90を過ぎた叔母から相談を受けた。

「持っている携帯をスマホにしたいの」 と。

今時90過ぎて携帯を持っていると言っても周りの人間は驚くことが多いというのに、スマホにしたいとは。

「電車に乗っていても若い人はみんなスマホを見ている。何がそんなに面白いんだろうといつも思っていた。でも使いこなせないんじゃないかと思って」

と言っていたので、スマホにした場合、どんなことが起こるかざっくり話をしてみた。文字は大きくなって見やすいこと。検索ができること。地図が見られること。情報が多すぎるかもしれないこと。入力にはコツがいること。すると、しばらく考えた後、

「やっぱり難しいわよね。もうあといくらも生きられるか分からないんだし。ちょっと考えるわね」

と言ったので、その時はあきらめたのかなと思った。

私としては諦めさせたくて話をしたわけではないが、スマートフォンというのは独特の感性の生き物だと思っている。いわば、直感的な操作の物体だ。4歳の息子にYouTubeを出してやれば、映像を選んで見る、という作業を何も言わなくてもマスターしてしまうのは、単に親のしぐさを真似ているだけではない要素があるからだと思っている。

これはなんとなく”戻る”とか、これが”止まる”とか、”やめる”とかそういった操作を「感性」に働きかける部分は、果たして90歳が感じることができて使いこなせるのかどうか分からない。

しかも高齢者は、子どもと同様「投げる」ことも多い。この投げる、は物理的なものではなく、もう分からん!やーめた!と存在を放り投げてしまうことだ。私はどうせこうなるんじゃないかなと危惧していた。


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しばらくすると連絡があり、やっぱりスマホに変えたいとのことだったので、私は某携帯ショップへと連れて行くことにした。

携帯ショップで簡単に事情を説明し、シニアが使いやすいものを教えてくださいと伝えると、店長と思しき男性があらわれ丁寧に接客してくれた。

こうこうこうで、なるべく分かりやすいシンプルなものが欲しいのですと伝えると、90歳という年齢に驚きながらもスマートに手続きをしてくれた。

だいたいの人はご存知の通り、携帯の手続きは長い。事務的な説明だけで軽く数時間を超えることもある。11時に入店したが、出たのは13時過ぎだった。

カウンターで最後に説明をしてくれたお姉さんが「これまでのご説明で、ご不明な点は何かございますか?」と聞いてくれたが、
「分からんことが分からんのよ」と笑い飛ばした叔母はさすがの90歳だと思ってみんなで笑った。

その後買ったばかりのスマホを持って、おなかすいたねとうどん屋へと行った。長い説明ばかりでちょっとくたびれた感じもあった叔母だったが、ピカピカのスマホをおそるおそる触りながらも、なんだか楽しそうな叔母の姿を見て、新しいものに対する姿勢っていうのは何歳になっても変わらないものなのかなぁとぼんやり思った。

補足しておくと叔母は学校の先生をしていて、勉強好き。茶道もするしゲートボールもする。80過ぎてパソコン教室に通いはじめ、バスと電車を乗り継いでおよそ1時間かけて演芸場にも通う。嫁とケンカすりゃ腹立ててデパートで着物を衝動買いなんかしちゃったりする、なんともパンチのあるお方なのだ。

おおまかな操作の仕方を教えて、分からなかったら聞けばいいよと伝えて祖母を家まで送った。印象的だったのは叔母が茶目っ気たっぷりに笑いながら、別れ際に言った言葉は、

「死ぬ前に一度スマホ触ってみたかったのよ、うふふ」

お友達にすすめられてずっと気になっていたという叔母は、これから幾年も生きられるかどうか分からないこの年になっても、やり残したことがないように生きているそうだ。激しい運動はともかく、自分の興味があることはなんでもやっておこう、そう思っていると言っていた。

死ぬまで好奇心、持てるなんてうらやましいなと素直に感じた。モノがあふれるこの時代、なんでもできそうだけど、きっとできることなんて本当にわずかなのかもしれない。好奇心こそ、長生きのヒントというけれど、きっとこういうことなんだろう。



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