見出し画像

現代社会に突き付けられた課題≪前編≫

 
人はどのような状況下で、理性や正義を沈黙させ、悪魔に魂を
売り渡してしまうのでしょうか? 21世紀の現在でもなお、人類には
克服しなければならない重大な課題が、数多く残されています。
いかなる哲学・政治・宗教・科学技術・芸術が、人類社会の発展と幸福に
貢献できたと言えるのでしょう? とりわけ悪夢のように、遠い過去から
人類社会にはびこってきた『奴隷制度』ならびに『人種差別』。


人類史の不条理な一面を紐解くたび
何よりも驚き、怒り、そして心を痛めずにはおれません。

 
どうにか生きていられるだけの飼料しか、奴隷には与えられず
家畜同然に鉄鎖をつけられ、血も涙も無い使い主の、激しい鞭打ちに
怯えさせられながら、強制労働へ駆り立てられる。 すべての奴隷の扱いは人間に対するものではなく、家畜以下の容赦なき扱いそのものでした。


『何か用事をしているか、そうでない時は眠っていなければならない』とか
『言葉を喋る道具』とか……、奴隷については
ことごとく無慈悲で、あからさまな表現が用いられていました。


居住の自由が無く、財産の所有、結婚、家族の形成すら許されなかった。
法と制度の名のもとに、全人格を否定され、生殺与奪の権を握られ
なべて奴隷は、酷使と売買と譲渡の対象でしか無かった。
主人に反抗すれば厳罰に処せられ、病気や怪我で働けなくなれば
殺され、ゴミとして捨てられる…。
 

これら驚愕の記述こそ、典型的に展開された古代ローマ奴隷制社会における奴隷の実態です。 “労働奴隷” をはじめ、闘技場で 人対人 または獣との
真剣勝負の殺し合いを強いられた “剣奴” や、“家内奴隷” 等、幾種もの奴隷が存在しました。それらを合計すれば、紀元前1世紀のローマでは
市民 250万人に対する奴隷が 150万人。或いはイタリア総人口 750万人のうち奴隷が 300万人。さらに紀元前5世紀のアテネでは、市民 12万人に対し
奴隷は8万~10万人と推定されています。

 
古代社会にあって奴隷は、ギリシャ・ローマのみならず、家父長制的奴隷や総体的奴隷としても、オリエント・インド・中国・日本など多くの地域で
数知れず存在していたのです。


古代ギリシャの哲人アリストテレスは『精神が肉体を統治するように
主人が奴隷を統治するのは当然であり奴隷制は正義に適っている』として
奴隷制を否定するどころか容認していました。これは当時のアテネ市民の
一般的な考え方を代表しているかのようでした。

 
近世もしくは近代を迎えて、『大航海時代』とともに始まったものが
神をも恐れぬ背徳行為。『大西洋奴隷貿易』と称される
ヨーロッパ人による、アフリカ人奴隷貿易が横行していました。


1000万とも 1500万とも 5000万人とも言われる、アフリカ人が
1550年頃から 1860年頃迄の間に、南北アメリカ大陸等へ運ばれ
冷酷粗野な終身の束縛と、過酷な労働を強要されたのです。
拉致され、100トン前後の奴隷船で
過密に押し込まれて輸送される、およそ5週間の航海。


それは拷問に等しく、乏しい食料と劣悪な衛生状態のため
到着以前に平均2割の奴隷が、死亡したと報告されています。
飲水を無くし、貨物損失の保険金目当てに、133人の奴隷を生きたまま
海に投げ捨てたとされる、1783年の残虐な事件もありました。

 
悪名高い奴隷貿易は、西欧社会に巨額の物質的豊かさを確実に
もたらしました。奴隷貿易の利益を蓄積しつつ、イギリスが世界に先駆けて達成できたのが、『産業革命』にほかなりません。
綿紡績工業の世界的中心地として知られた町、ランカシャーも
奴隷貿易により大発展を遂げました。


それとは裏腹に、アフリカ人には、悲しみと苦痛と絶望と恐怖以外に
何も与えなかったのです。 キリスト教世界にあるまじき
非人道的・非倫理的な行為に、同時代を生きた西欧社会の人々は
平気で看過できたのでしょうか? 
人を人とも思わず、平然と日々の生活を営めたのでしょうか?

 
ポルトガル・スペインを端緒に
オランダ・イギリス・フランス・スウェーデン・デンマーク
ブランデンブルク=プロイセンなども、奴隷貿易に手を染めました。
インド洋交易圏でも、ムスリム商人たちが、オマーン支配下の
ザンジバルを中心に、各地で奴隷貿易を盛んに行ってきた歴史があります。
 

1660年の王政復古と共に即位した、イギリスのチャールズ2世は
以下のように述べています。『奴隷貿易こそは、かくも多くの労働力を
持ち込み、わが王国を富ませる有益な貿易である』と。
東・西インド会社を設立し、ブルボン朝ルイ14世の財務総督を長年務めた
重商主義者コルベールも『奴隷貿易ほど利益の多い商業は、世界中に
二つとあるまい』…と、こんな言葉を残しました。

 
有名な讃美歌『アメージング・グレース』を作詞した
米国の ジョン・ニュートン牧師は、後に改心して人生の後半を
信仰に捧げましたが、元は奴隷商人であり奴隷貿易船の船長でした。


米国独立宣言を起草した、トマス・ジェファーソンや
ワシントン初代大統領をはじめ、建国初期の米国大統領の方々も
ご自身の農園にて、多数の奴隷を所有していました。
逃亡した奴隷を探すための報酬付き新聞広告を
臆面もなく印刷させるほどの ご時世。 時代背景のいかなる空気が
人々の理性と正義を、かくも容易に沈黙させてしまうのでしょうか?

 
1776年の米国独立宣言書には、その冒頭に
『すべての人々は平等に造られており、譲る事のできない
生命・自由・そして幸福の追求を権利として与えられている』—と
堂々と記してあります。


しかし宣言文の『すべての人々』の中に、黒人奴隷は含まれていません。
奴隷は私有財産扱いでした。 1787年に制定された、“合衆国憲法” にも
黒人奴隷の解放や、権利は規定されておらず
大多数の奴隷は、人間として、”露ほども” 認められていなかったのです。

 
イギリスでは産業革命の進展で、次第に『植民地政策』のもたらす
利益のほうが、危険で野蛮な黒人奴隷貿易よりも上回るようになりました。ウィルバーフォース下院議員の尽力も相俟って、1807年に奴隷貿易が禁止。更に 1832年第一回選挙法改正により、議会に自由主義勢力が増えたことで
グレイ内閣政権下の 1833年をもって、奴隷制度が廃止されました。

 
フランスでは 1794年に『国民公会』が植民地奴隷制度廃止宣言を
出したものの、クーデター後のナポレオンによって、あえなく無効。
しかし 1848年の二月革命による第二共和制の成立に伴い、植民地であった
アンティル諸島その他も含めて、奴隷制度の全面廃止となりました。

 
アメリカでは、1861年から 1865年に渡る『南北戦争』の過程で
リンカーン大統領により、数回の奴隷解放宣言が行われました。


元々は南部諸州の、分離独立を阻止するための戦いでしたが
南軍有利で戦局が進行する中での、大転換を意図して宣言がなされた
と言うのが真実。 その結果、国際世論や西部農民の支持を得て
北軍勝利へと導けたのです。 1865年の合衆国憲法・修正第13条により
アメリカ国内での黒人奴隷の解放が、ひとまず実現しました。


それは他国にも波及し 1886年のキューバや、遅れをとったブラジルでも
1888年に奴隷解放の波が押し寄せました。

 
引き続きアメリカでは、1868年施行の憲法修正第14条で初めて
黒人を含む全アメリカ市民へ平等に市民権が与えられ、解放された奴隷の
生活支援のため、解放奴隷黒人事務局が設立。
1870年の憲法修正第15条では、黒人投票権が認められ
黒人が議員になる事も可能となりました。 しかしながら、それによって
現実的で完全な平等が実現したわけでは、なかったのです。

 
奴隷解放によって、国内 400万人の黒人奴隷、すなわちアメリカ経済の
一翼を担ってきた労働力を一挙に失う事となります。その打開策として
アメリカ公安当局は、黒人一般市民への取締りを意図的に強化しました。
従来なら逮捕されない軽犯罪や無実の罪で、罪人を増やし強引に収監せしめ服役させることで、労働力不足の穴埋めにしようと画策したのです。

 
連邦軍による南北戦争以来の駐留が 1877年に終了し
合衆国に復帰した南部諸州では、財産や識字能力が低い事などを理由に
『黒人取締法』または、『ブラックコード』と呼ばれる
差別的な諸法律を <州法> として制定させていきました。


その主な内容は、選挙権の剥奪、土地所有の制限、人種間の結婚禁止
武器の所有や夜間外出の禁止、陪審員にさせない等…。
これらの黒人差別を認めた南部諸州の様々な州法は、最高裁判所の
合法判決を得ていたこともあり、1964年の『公民権法』制定に基づく
廃止に追い込まれるまで、存続していました。

 
アメリカ社会において、そもそも黒人には、経済的自立の着実な基盤が
与えられなかったため、現在に至るまで貧困の状態が続き
白人による黒人への差別は、なおも執拗に続きます。


1950年代に公民権運動の高まりが見られ、1963年にはキング牧師の
呼びかけにより、20万人の『ワシントン大行進』が行われました。
それを受けての『公民権法』(1964年) の成立でしたが、それでもなお
白人至上主義の秘密結社である ”K・K・K” の暗躍など、まさに現在まで
黒人市民への根深い差別意識は、完全には解消されていません。

(次回、後編へ続く……)



≪建礼門葵の戦争反対に関する文書一覧≫

🔶1/19投稿 【戦争のない世界へ向けての宣言】
【戦争のない世界へ向けての宣言】|建礼門 葵 (note.com)

🔶1/19投稿 【はるかな夢を追いかけて】
はるかな夢を追いかけて|建礼門 葵 (note.com)

🔶1/19投稿 【虹色の未来】
虹 色 の 未 来|建礼門 葵 (note.com)

🔶1/19投稿 【熱いまぶたに浮かぶWorld Peace】
熱いまぶたに浮かぶ“World Peace”|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/01投稿 【戦争が奪ったクリスマス】
戦争が奪ったクリスマス|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/02投稿 【かけがえのない命について】
かけがえのない命について…|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/11投稿 【私を待つ者】
私 を 待 つ 者|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/17投稿 【何十万回も思い描いた夢】
何十万回も思い描いた夢|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/22投稿 【現代社会に突き付けられた課題≪前編≫】
現代社会に突き付けられた課題≪前編≫|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/23投稿 【現代社会に突き付けられた課題≪後編≫】
現代社会に突き付けられた課題≪後編≫|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/24投稿 【ウクライナからのロシア軍即時撤退と国連安保理の抜本的
       改革への訴え】
ウクライナからのロシア軍即時撤退と 国連安保理の抜本的改革への訴え|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/25投稿 【ウクライナ戦争の和平交渉に向けて】
“ウクライナ戦争”の和平交渉に向けて|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/26投稿 【21世紀の国際秩序構築のために】
21世紀の国際秩序構築のために|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/27投稿 【公正な報道とは?】
公 正 な 報 道 と は ? ~マスコミ各社に望むこと~|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/28投稿 【FIFA対応について感じたこと】
『FIFA』の対応について感じたこと|建礼門 葵 (note.com)

🔶2/29投稿 【ロシア軍およびロシア政府の行動】
ロシア軍およびロシア政府の行動 |建礼門 葵 (note.com)

🔶3/01投稿 【戦争による民間人の被害状況】
戦争よる民間人の被害状況|建礼門 葵 (note.com)

🔶3/06投稿 【反戦歌&命の尊さを訴えた歌】
♬反戦歌&命の尊さを訴えた歌♬|建礼門 葵 (note.com)
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?