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プロローグ 30歳を機に、「伝え生く」をカタチに

□回り続ける洗濯機のような日々

 この数ヶ月、まるで毎日が回り続けている洗濯機のような日々でした。そしてそれは今も続いています。排水できずに濁る水、回し続けて傷む服、そのうち洗濯機すら壊れてしまうのではないか――そんな毎日です。濁って見えなくなる行き先、傷んで使い物にならなくなる自分自身、そしてそんな自分が生きている今という世の中。

 「私」を流れるエネルギーや信念みたいなものが淀んでいくと、あらゆるものが手のひらからすり抜けていくような、自らが抜け殻になってしまうような不安が押し寄せてきます。でも、30年積み上げてきた自分をコロナなんかで落ち込ませてたまるか。そんな気力も、まだ残っていました。何もすることがないことなんてなくて、できることを見つけて、水を引き、そして流すように、インプットとアウトプットをする努力、傷ませないようにする努力、壊さないようにする努力をしなければと思いました。

□不安に煽られた30代の幕開け

 先日30歳になったんです。20代の最後も、30代の最初も、家をほとんど出られずに迎えた自粛生活の中にいました。私の家では、誕生日は母に感謝する日として大事にしてきたので、結婚して本拠地を宮城にしてからも、誕生日には東京の実家に行くようにしていました。しかし、生まれて初めて母と過ごせない誕生日という淋しさだけでなく、最もコロナの感染が広がる東京ということもあり、今後もう会えなくなるのではないかという恐怖を感じた誕生日でした。  

30歳のバースデー

 コロナ騒ぎがじわじわと広がり始めた頃は、正直自分の中でも「予防さえしていれば大丈夫」くらいに思っていました。でも、実際予防していたって感染する人は出てくるし、飲食店だけではなくて様々な業種が影響を受けて経済循環がおかしくなってしまうまでに深刻な状況になってしまいました。

 2019年に独立して会社を設立したばかりだったので、大事な2年目という時に予想だにしていない事が起き、それがさらに不安を煽りました。最初はそこまで影響がないと思っていたものの、徐々にあらゆる業種に影響が出ていくことで、会社の契約が減ったり機会を失ったりしていきました。「独立するタイミングを間違えたのだろうか」「この状況での乗り越え方が分からない自分にはまだまだ力が足りてなかったのではないか」「このままずっと仕事がなくなるのではないか」と悪い方向にばかり考えます。でも一方で、独立した時の自分には迷いもなかったし、後悔をしているかと言われれば全くないのです。答えの見つからない意味のない迷いがぐるぐるぐるぐるし続けてしまいました。

□駆け抜けた20代

 私は2011年の東日本大震災以降、主に南三陸町でのボランティア活動を通じて、そしてその後も広島、茨城、熊本、千葉などの被災地での活動を通じて、「防災」について深く関わるようになりました。当時早稲田の教育学部に通う学部生で、その後同大学院にも通い、専攻は国文学。なので、「ことば」の力、「記録」「文学」の力、そして「教育」の力について、広く深く考えるようになりました。

 最初は教員になることを目指していましたが、東京で生まれ育った自分が、災害をきっかけにではありつつもいざ様々な文化を持つ地方へ足を運ぶと、知らないことだらけで、でも、知るべきと思うことだらけで、教育現場に留まる教育者ではなく、自らの足で見つけ、この目で見て、この耳で聞いた物事を伝えられる「教育」を意識したいと思うようになりました。学部と大学院を経て、「教育」や「防災」、そして「地域の物語を紡ぐ」ための仕事をしたいと思い、ご縁があって、まちづくりの仕事に関わるようになりました。

 一言で「まちづくり」と言っても、十人十色なのと同様、まちひとつひとつ、地域ひとつひとつで課題もすべきことも思い描く未来も異なります。時に住民に怒られ、時に行政と議論がまとまらず、加えてまだまだ若く経験の浅い自分には辛く厳しいこともたくさんありました。ただ、自分が頑張れることはその地域と向き合うこと。通い、伝え続けることで、相手も心を通わせ、思いを伝えてくれ、最後は涙を流したり肩を組んで笑える関係にまで発展することもありました。私はそんな丁寧な関係性の構築と、共に紡ぎ出すプロセスを大事にしたくて、20代最後の年に独立をしました。そんな思いで駆け抜けた、勉強と挑戦の繰り返しの20代でした。

□「伝え生く」を忘れないで

 2012年に参加した、震災のことを伝えるとあるイベントで、震災で流れてしまった流木に好きな言葉を書いてくれるというブースがありました。「書いてあげるよ、何が良い?」と聞かれて、せっかくだから自分の中で大事にできる言葉が良いなと少し考え、ぱっと浮かんだのが「伝え生く」でした。造語ですが、「伝えていきたい」「伝えに行きたい」「伝えながら生きていきたい」という思いを込めています。そして、「伝えながら生きていく」ことで、「伝えて逝きたい」という思いもあります。私の人生の壮大かつシンプルなテーマが生まれた瞬間でした。

大切にしている言葉

 「伝え生く」のために、「現地へ行く」ということを大事にしてきました。そして、その場での経験を伝えることで、伝えた相手がまた「行く」ことや「伝える」のバトンを引き受けて広がっていくこと、「生きる」ための力になっていくこと、そして、自分自身にとっても「生きる」力になっていくことを大事にしてきました。人との触れ合いやある意味アナログを重視してきた私にとっては、このコロナの影響は大打撃でした。現地へは行ってはいけない、人とは会ってはいけない、大切にしていたことを禁止された時、冷静に考えれば大袈裟なのですが、まるで自分の価値観を否定されたような気持にすらなりました。

 世の中は、このコロナを機に、大きく変わってゆくのだろうと漠然と感じます。コロナが収束したところで、元に戻ることは難しいと思うし、仮に元に戻そうとしても、コロナで気付かされたことも多いはずだからです。テレワークの普及で見えたこれまでの「無駄」「曖昧さ」を改善しようとする動きや、離れていても楽しめるコスパの良いコンテンツが普及していくことが目に見えています。同時に、まだ30代に入ったばかりの自分は、この変化と思い切り向き合っていかなければならない世代なのではないかと感じています。だからといって何をすれば良いのかがまだ分からない、だからこそ不安でいっぱいにもなります。

 しかし、本当は嘆く必要なんてないはずなんです。私が信じた「伝え生く」に込められているものは、ゼロになることなんてない、手段や環境が変わっても、失われることはなく、必ず世の中をより良くすることに繋がっていくものであるはずなのです。現地に行けず、オンライン会議になろうが、触れ合うことができず離れた距離でのコミュニケーションになろうが、人である限り、このシンプルなテーマは、揺るがないテーマであるはずなのだと。むしろ、手書きからタイピングに変わることで、一層手書きの味が深まるように、会えない距離があるからこそ、会うことに価値が生まれるのだろうと、ポジティブに考えなければならないと自分に言い聞かせます。

□「書く」という表現とその場所

 10代は、mixiを使っていました。投稿も「日記」としてになっていたので、高校生活の何気ない日々や友人・彼氏とのプリクラ、友達限定公開にして閉じたコミュニティの中でのやりとりを楽しんでいました。読んでもらう文章を書くことなんて意識できていなくて、ただただ「聞いて欲しい」という欲を埋めている、あるいはリア充を自他共に見せるツールにしていたように思います。

 20代からTwitterやFacebookに変わりました。Twitterは大学生になってから大学の仲間とのやり取りが主で、Facebookは大学もそうですが、大学のOBOGとのやり取りや、ボランティア活動を通じて繋がった社会人と繋がるためのツールとして使ってきました。私はあまり「呟き」たいことがなかったのでTwitterの利用は見るだけに変わりましたが、Facebookは使い続けました。mixiの時と違い、自分より年上の方々や普段同じコミュニティにいない方々とも繋がるようになったため、10年間の時間をかけて、「読む人」を意識して書くようにもなりました。良く言えば、そういう文章を書けるようになりました。言い換えれば、「読まれる」ことを意識した文章しか書いていないような気もしました。

 この自粛期間、なかなか人と会えずコミュニケーションも取りづらいという自分の大事にしてきたことができない中で、「周りも大変だから我慢しよう」と思う自分と、「そうは分かっていてもモヤモヤが止まらない」と感情が溢れ出す自分がいました。ただ、この自分とちゃんと向き合って、今の自分がどう考え、どう乗り越えたかをしっかり記憶しておきたいという気持ちも芽生えました。生まれ育った東京の様子と、骨を埋める覚悟で嫁いだ南三陸町という小さな町の様子の狭間で、悩みもがいた自分も、いつか誰かに伝える時が来るかもしれない、と。

 そんな中、とある方とzoom飲みをした際に、「タイムラインに流してしまうのではなく、ちゃんと書き溜めてみたらどうか」という提案をいただきました。 これまでは、あまり「書こう」と思って書かず、その時その時を「書いておく」くらいで良かったので、SNSで十分だと思っていました。しかし、周りを意識していると抑えてしまいがちな自分の疑問や葛藤や感情をひっくるめて表現をしたい、書き溜めたい、と思っていた私には、このさりげなくかけていただいた提案に、「30歳を機に書き溜めるをしてみよう」と思えたのです。

□note、始めました

30代への夕日

 そうして、私は今日から「書き溜める」ことを始めました。これまでSNSに書いていた取り留めもないことも、あるいは誰にも見せずに自分の中でしたためていた思いも、「届けたい」「伝えたい」と思うことも、「書き流す」のではなく、30歳を機に「書き溜める」ようにしようと決意しました。これは、私という一人の人間と、私を形づくる出来事と、私の生きる地域の記録です。

 結局のところ初投稿は、20代の振り返りとnoteを始めた意気込みを書いただけの自己満足に終わってしまいました。私の「伝え生く」を生き続けるために、まだまだお付き合いいただけたら幸いです。

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