代行業社相模原さんの役回り

あらすじ


就活中の本柳凛音(男)はある会社の説明会で、美人社員の相模原由良と出会う。彼女に魅入っていたせいで詳細がまるで頭に入っていなかった凛音は、慌てて由良に説明会の概要を聞きにいく。しかし彼女は「演技だった」と言い「これが仕事だから」と去ってしまう。凛音は愕然とする。なぜなら彼は不遇な幼少期のせいで人の演技を見抜くことに長けていたからだ。唯一わからなかった由良の正体は、『相模原代行業』というエキストラを派遣する会社を運営しているらしい。由良に興味の湧いた凛音は半ば無理やり由良のもとに転がり込むのだが、由良の愛犬の世話を頼まれるも畑山権三郎(ゴン)はまったく懐かないし、派遣先では必ず事件が起きてしまう。前途多難な助手生活が始まる。短編連作。ライトミステリーお仕事小説。

序章 本柳凛音の転機

 これは僕が二十二歳、就職活動真っ只中に起きた実話である。
僕はこの日、とある大手企業の説明会に参加するために街中を走っていた。秋も深まり寒さが増してきたころで、冷たい風を切っていく。鼻や頬は赤く染まっていた。その会社が最後の砦のようなものだったのに、僕は危うく遅刻しそうになっていたのだ。
 ハアハアと肩で息をしながら縦にも横にも大きなビルに着いたとき、正面玄関先に一匹の犬がいることに気づいた。まだ若々しいスラリとした赤柴で、綱で端に繋がれて、ちょこんとおとなしく座っている。動物好きな僕は急いでいたにもかかわらず、ついそちらに足を向けて声をかけてしまった。
「君はひとりなの? ご主人さまは?」
 にこっと邪気のない笑みを向けたものの、緑の唐草模様の首輪をした柴犬はプイと顔を背けてしまう。
「お留守番えらいね。寒くない?」
 なおも声をかけ続ける僕のほうを、ようやくくだんの柴犬は見つめてくる。しかしその目は猜疑心に満ちており、とても心を開いてくれそうにない。何か食べものを持っていればよかったのだが、残念ながら鞄の中には説明会に必要な資料やノート、筆記用具ぐらいしか入っていなかった。それにこんなところで時間を取られている場合ではないことを思い出す。
「僕、説明会があるんだ。君も早く帰れるといいね」
 最後にそう言い残して、僕は会社のエントランスに向かった。途中で振り返ると、柴犬はこちらに興味をなくしたようでその場に伏せていた。社員の飼い犬だろうかと疑問がよぎったが、いまは頭を切り替えなくてはならない。
 入り口には仰々しくも両側に警備員が立っていて、ここが一流企業であることを改めて思い知らされる。
 小ぎれいな女性のいる受付で名前を書き、会議室の場所を教えてもらってエレベーターに乗り込んだ。五分遅れで到着したので、説明会はもう始まっている。あとから来ることで印象が悪くなることを恐れたが致し方ない。この会社に落とされたら、一流企業に入ってほしいという両親の期待を裏切ることになってしまうのだ。それだけは避けたかった。
 だからと言って、決して僕は両親にコンプレックスなどは抱いていない。しかし常に向上心を持たされてきたという複雑で窮屈な家庭環境で育ったことで、人の顔色をうかがうことが無意識のうちに得意になっていた。特にパフォーマンスには敏感で、その者の雰囲気や言葉遣いなどから演技を見抜くことができる。しかも確率は百発百中だ。
 そんな特技が、僕と相模原由良を結びつけることになるとは、このときは想像だにしていなかったのであった――。
 
 
「遅れました! すみません!」
 慌てて会議室に入ってきた僕に、室内にいる全員から一斉に批難の目が向けられる。その中でもひときわ目立つ、ここの社員であるらしい美人の女性に席につくよう促された。なぜ社員だと思ったのか、それはひとえに“相模原由良”と書かれたネームプレートを提げており、ほぼ満員の就職希望者の前に立っていたからにほかならない。
「全員がそろいましたところで、改めて説明会を始めさせていただきます」
 相模原さんの朗々とした声が室内に響き渡る。ホワイトボードの隣には部長とおぼしき恰幅のいい男性も控えていて、就活説明会はつつがなく行われた。
 しかし僕は終始相模原さんの声や顔、そして仕草に目を奪われてしまい、肝心の説明をまったく聞いていなかった。周囲が真剣にメモを取る中、相模原さんに魅入っていたのである。
 大きな瞳に長い睫毛を持つ二重の双眸、よく通った鼻筋、ぷっくりと赤く色づいた唇、落ち着いた声音から、おそらく二十代後半だろうと思われた。中肉中背ではあるが、すらりとした身長やくびれた腰、ふくよかな胸はスーツでは隠せていない。ときおり長い髪を耳にかきあげるところなど、恋愛経験のない僕でさえドキリとさせられた。
 こんな美人と一緒に働けるなら、ぜひこの会社に入りたい――のに、僕の資料にはメモひとつなく、ノートは白紙のままだ。
 部長が最後にひとこと述べてから説明会の終わりと解散が告げられ、就職希望者たちが会議室から出てそれぞれ帰っていく。その中に相模原さんの姿を認め、僕は慌てて彼女を追いかけた。
「あ、あの! すみません、僕、途中からきたにもかかわらず話を聞いていなくて……」
 その声に振り返った彼女に、僕は違和感を抱く。さっきまでのような威厳がなく、まるで普通の女性に思えたからだ。
「あ、あれ?」
「なんですか?」
 困惑する僕に、相模原さんは打って変わって不機嫌そうに聞いてくる。
 とりあえず僕はその違和感を拭い、絶望的な言葉を繰り返した。
「実はメモを取っていなかったんです。よろしかったらお持ちのその資料をもう一度拝見させていただきたいのですが」
「自業自得です」
 きっぱりと、それでいて嫌悪するように言われてしまい、愕然とする。
「それに私の仕事はもう終わったので関係ありません」
「えっ」
 驚く僕に、相模原さんは自身の持つ資料を見せてきた。
 そこにはなんと犬の落書きでびっしりと埋め尽くされており、ところどころに故人の名俳優“畑山権三郎”に関する考察や“ゴン”などの愛称が書かれている。どうやら彼女はこれであの厳格な説明会を行っていたらしい。就職希望者たちに不審がる者はいなかったので、察するに彼女は台詞を暗記して述べていたと思われる。
「ど、どういう……」
 いまだに状況が解せない僕に、相模原さんは一枚の名刺を差し出してきた。
 
『代行業社 社長 相模原由良』
 
「代行業者?」
 訝しげな顔を上げると、相模原さんはようやく微笑んでくれる。
「君は学生だから、いまなら二割引で請け負ってあげます」
 それだけ言って、相模原由良は背を向けて去っていってしまう。それも社内ではなく外に向かってだ。
 つまり彼女は“社員”の演技をしていたようだ。
「代行業って……存在するんだ」
 ぽつりとつぶやく僕に返事をする者は誰もいない。でも聞いたことはあった。どうしても人数がそろわない、探す時間がない、お願いしたい応援方法があるなど、早急に人材を派遣してもらう必要があるときに適切な会社が存在するという。その役目は多岐にわたり、ドラマや映画のエキストラから観客、客――もちろん説明会の出席代行まで行う。
 つまりあの相模原由良という人物は、社員の“演技”をしていたということになる。おそらくこの会社が相模原由良の説明会への代理出席を希望したに違いない。
 僕は愕然として、膝から崩れ落ちる思いがした。
「この僕が……人の演技を見抜けなかったなんて……」
 相模原由良と出会ったことで僕の大前提、存在意義が根底から覆されたような気がしてしまう。
「代行業者……すっげえ……!」
 気づけば僕は目を輝かせ、相模原さんのあとを追いかけていた。
 エントランスから外に出ると、入るときに見たあの柴犬がどこにもいない。まさかあの犬の絵と“ゴン”という名は――とひらめき、僕は急いで走った。
 くだんの柴犬の綱を引く相模原さんの背中を捉えたとき、僕はもう彼女と彼女の仕事にすっかり心を奪われていたのであった。

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