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母の日。入院中の母に、フォトレターを届け続けたコロナ禍の、あの日々

今日は母の日でしたね。
2021年の10月21日に病名不明のまま旅立った母。
その年のお正月明けから急に強い頭痛がすると言いはじめ、1月半ば過ぎに緊急入院して以来、ずっと病院での生活が続きました。

時はコロナ禍。
面会制限もあり、なかなか会えない中、3日か4日に一度、母にフォトレターを届ける日々でした。

その2021年の母の日の翌日に届けたフォトレター。
Facebookにアップしていた投稿が、3年前の「思い出」として浮上してきましたので、少しリライトしてここにアップします。



昨日は、入院している母との2週間ぶりのガラス越し面会日。

母の日のプレゼントとして母に見てもらいたい昔の写真、それをこんなふうに色画用紙に貼って、キャプションを付けて、クリアファイルに入れて持って行きました。

2週間ぶりの母の様子はどうなっているのだろうか?

やせて衰えて、悲しくなるような様相になっていたらつらいなと、会えることは嬉しいのに、会う前の、会いに行く道すがらの苦悶というか、不安というか、もう胸がいっぱいになるんですよね。

幸い、2週間前に会った時の母と変わらず、覚醒もしていて、顔色もよく、ホッと胸をなでおろしました。

しかしながら、ガラス越し面会で対話できるのは5分ほど。

しかもパーキンソン様症状が発現している母は(しかしパーキンソン病という診断は出ていませんでした)、体を動かすことも、感情をあらわすことも急激にできなくなり、写真を見て具体的にどう感じているか、はっきりとは伝わってこないのは、哀しくももどかしい、それが正直なところです。

付き添いのスタッフの方が、私の手紙や写真を母が見やすいように、目の前に掲げてくれている時、確かに目で追って手紙を読んでいるし、写真を見て、あーっ! という顔に。

私が、「ママー、だいしゅきーって、ほっぺにチュとやってた頃の写真を持って来たよ。1歳の頃だから、私の記憶にはないけど、お母さんが、懐かしい思い出だって、ママ、だいしゅきーって言ってた頃のこと、嬉しそうに、よく話してくれたよね」と言うと、じっーと写真を見つめていました。

それだけでも嬉しいですが、できれば何事もなかったかのようにシャキーンと復活してくれないかと、そんな奇跡が起きないかと、真面目に思っているのも正直な気持ち。

転院に関しても難航していて、私の精神的な疲労も大丈夫だろうかと、ここのところの日々。

うん、受け止めて、前進するしかない。


以上、2021年の母の日だった5月9日の翌日、10日に母との面会が叶った時の一幕です。

3年前の今頃は、そんな日々で、3年後の今は、15年前に母も患った乳がんと私自身が闘っているという事実、運命。

父が患って旅立ち、母も患って旅立ち、そんな長期入院、転院、また転院、見送り、その後の法要と、すべて長女として、ほぼ一人で対応してきて(離れて住んでいる弟家族は何も・・・)、そして自分も大病を課せられ、そんな、考えてみれば、けっこう過酷な年月を過ごしてきているんだなぁ私、なんてことを、最近、時々考えます。

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