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ミスコン挑戦者と見てる側の温度差

つくづくミスコンって挑戦する側と見ている側の間に温度差があるような気がします。

ミスコンに挑戦する側は本気で誇りをかけて戦っている。
夢を叶えるために戦っている。
その後の人生を一生懸命考えて戦っている。

それくらいの熱量があるものです。

けれども見てる側は「きれいなお姉さんの品評会」くらいにしか思っていない人が多いように思います。

もうミスコンとは距離を置いて、私がファイナリストだったことも過去のことになりますが、当時もその温度差は感じていたし、ミスコンを踏み台にしてやりたいことを仕事にしている今も感じます。

なぜそう感じるかというと、「ミスコンに出ている」というだけでチヤホヤしてくる男の人がやたらと多い。

チヤホヤしてくるだけでなく、軽々しく言い寄ってきたり、連絡先を聞き出そうとしたり。

こういうのって本人たちは無意識にやっているのでしょうけれど、ミスコンに挑戦している女性を軽く見て馬鹿にしてるんだと思います。

少なくとも私はこういう風に軽々しくチヤホヤしてくる男性に対してセクハラじみたものを感じていました。

出場者たちは本気で夢とか人生とか誇りとかを懸けて臨んでいるのに、それがイマイチ伝わっていないというか。

そもそもそういう女性の志を理解しようともしてない人が多いというか。

理解するだけの知性を備えている人が見ている側には少ないというか。

ミスコンに限らず、レースクイーンもモデルもアイドルにも「やってる側」と「見てる側」の温度差が激しい気がします。

そしてこういう温度差が、第三者から見て「女性蔑視だ!」と叫ばれる理由だと思います。



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