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事なかれ主義

事なかれ主義というと、それがことさらに取り上げられるときはネガティブな意味合いで使われることが多い印象だ。それはなぜかというと、当然、事なかれを指向する者たちがいるとすれば、彼ら彼女らが自分から事なかれ主義であることを強く自己主張することはないからである。というのも、そのような強い自己出張事態が「事」、すなわち意見の異なる他人との衝突になる可能性を秘めているからだ。

事なかれ主義とは、言い換えれば、「揉め事を起こすな/広げるな」「波風を立てるな」「寝た子を起こすな」といった類の原則である。事なかれ主義には一定のメリットがある。なぜならば、事実として、例えば公正や自由や平等が達成されていようといまいと、とにかく誰かが強く反対したりテロを起こすほど不満やヘイトを溜めたりしていないのであれば、組織の秩序は保たれるし、そうした治安の良さによって全員が薄く広く享受できる安心感や利益もあるからである。

最近、アメリカの古典映画をみて思ったが、常にトラブルで大騒ぎし、口汚く罵り合っているのが〝これぞアメリカ!〟であると米国人自身も認識している節があるらしい(例えば映画「ナッシュビル」にそういうシーンがある。それでも、トランプ政権はあまりにもうるさすぎたというから、相当なものなのだろう)。しかし、その一方、多少のトラブルは隠されて無かったことになるシーンも数多くみた。

それは映画のつくり話のことだけでなく、現実もそうだろう。例えば都市に立ち並ぶマンション、集合住宅、タワーマンションの群れを眺めると、整然と並んでいて、ここにはほとんど日本人が同じようなライフスタイルで同じような人生のロールモデルの各段階をそれぞれの部屋で営んでいるのかな、と単純に想像してしまう。しかし、実際はきっとそうではないのだろう。日々さまざまなトラブルや軽犯罪やだらしのなさ、いざこざがあるけれども、それらを表面に出さないようにして、みんな仕事や学校では平気な顔をして振る舞っているのだろう。無数の人間が集中して暮らすというのはそういうことでしかあり得ない。なぜならば、もしそうでなかったとしたら、弁護士や警察、医師や裁判所はこれほど要らないだろうから。例えば悲惨な事件も示談になって我々の目からみえないまま、ニュースにならずに終わってしまっているのだろう。それでも警察統計上では犯罪件数は減っているから一応、秩序化や都市化は進んでいるし、金銭的に解決できる領域も増えているには違いない。映画や文学などが、綺麗なみかけの裏を独自の仕方で暴露するのも、よくあることである。

事なかれ主義を適用することによって、小さなトラブルは隠蔽されたり、当事者だけで小さく解決されたりする。それは少々不公平であるかもしれないが、事が大きくなって全員が損するよりはマシだからである。ただ、それはトラブルが十分に「小さい」場合であって、足切りしてもかまわないほど些細(ささい)な場合である。足切りラインは常に動いていて、足切りから上に何が出るかは個人の感受性や好き嫌い、政治思想にも大きく影響される。

例えば、地球の裏側で起きている出来事は「足切り」できるほど些細なことだろうか? 或る人にとってはそうかもしれない。なぜならばその人にとっては地球の裏側よりも自分の半径3メートル以内の人々を喜ばせたり安心させることの方が重要かもしれないから。一方、地球の裏側であったとしても、マスメディアから流れてくる悲惨なテロや紛争の映像をみて、このような深刻な事態には誰もが憤慨するはずだし、そうでなければならないと考える人もいるだろう。そのような人にとって、平穏に暮らすことを第一に考えている身の回りの人々は小心翼々とした偽善者にみえるかもしれない。どちらが正しい態度ということはできないし、またどちらの態度を否定してみたところで他人の態度を変えさせることなどは手に余ることでもあり、他人がそれができると思うのはかなり傲慢な部類に属することでもある。だから、お互いに「足切り」のラインをうまく表現して、何を重大な「事」だとみなし、何をそうみなさないのかをハッキリしておいた方が、きっとよいだろう。少なくとも、自分が「事」だと思っていることを全然そうは思わない人、自分が強く関心を寄せるものがぶっ刺さらない人たちがいることを認めなければならない。なぜならば、遠いつながりであれ、そういう人たちとも我々は互恵的な関係にあるのだから。

(1,834字、2024.04.03)

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