青色アクエリアスと小さなアルデバラン4

④僕と、生きるためのもの全て


(アクエリアスの場合)
僕はきっといつか箱舟を作るだろうな
それに乗るのは僕の家族、友達、恋人、それからよく知っている人たち
みな善人である
それからその箱舟を見やり
それに「愛」という名を付けて
一人で笑ってしまう。
僕には愛ってものがよくわからない
それは構造か
それとも欲求か
家でほそぼそとお婆ちゃんが編んでいるものか
僕の命はいつだって零れ落ちまいとして
手に力を込めるのだろう
愛、愛、愛
愛という名の舟は僕を受け入れる。
だってそれは僕の作ったものだから。
自然にうまれ出た営みは
未だ色付けられる前の鈍い色をしている
それは僕なりの色
そんなふうに単なる だから
子どもの頃の遊びとこれは変わりない。
美しいものと単なる作り物の区別がつかない。
人真似に続くか、?
いつかそれは 沈むのだろう
あきらめるのだろう
僕は、見捨てるのだろう
それにさえも気付かないのだろう
さんざん見てきた反吐が出そうな面構えは
いまや僕に似てきている。
だれか愛という言葉の意味を教えて
じんるい皆全員に注がれる無常のもの
ぼくと誰かを区別しないものを
そんなものありはしないだろうな。
うつくしい名前
それから、愛という幻想
それが、自分のためじゃないなんて
とうして言い切れる?
僕はある時こうも思う。「僕はまだ若い」
何もかもを欲しがる権利は誰にでもある
という究極のりくつは刹那的で
それでは孤独を乗り越えることが出来ない
僕はいつか箱舟と僕なりのやり方で馴れ合うようになる
僕の手で触れ
僕が紡いできたたったひとつの箱舟
理不尽な雨みたいに
僕が僕なりに居られるためだけの理屈
皆が後ろ指を指す僕
僕ははばたきもしないし
浮かばれもしないけど
頭だけはやけに冴えている。
箱舟はいまや愛とは関わりのない論理でうごく。
僕は何も知らない子どもたちを羨ましく思う。
浮かぶのは瞬間的なもので、あとはただ罰のように時間だけが間延びして続いていく
僕は大人になった。
夢見るものは手に入り、幻想を失う。
そうなることが目に見えて居たように世界の中で愛も夢も希望も頭打ちになる。
僕がするべきことはもっと、よりもっと上手く笑うことだけになる。
それを誤魔化すことのできる理屈なんて、もうここには無いみたいだ。



(アルデバランの場合)

大人になるともう分からなくなるもののなかに、ぬいぐるみを持ち、それを愛でることっていうのがある。
小さい頃はいつも誕生日とかクリスマスには必ずぬいぐるみをもらっていた。その時その時で必ず自分の気を引いて、愛するべきぬいぐるみが必ずあった。わたしはそれをもらってから、それに名前をつけたりとか、話しかけたりとかなんてしなかったんだけど、とにかく黙ってそれをあちこちに持ち歩いたりはした。
あの頃、母と父が用意した家に住んでいて、作ってもらった新しい部屋に住んで、なにもかも与えてもらって、でも記憶に根強く残ってるのが自分で本当に好きになったぬいぐるみのかたち、肌触りとか、性格、みたいなものだった。わたしはそれが好きで可愛がっていて、「わたし」っていうものが生まれ出ずるのとほとんど同時に、影形あるかたちを愛したと思う。「わたし」の生まれ方はそんなふうだった。目が細くて、眠っているような顔をした、亀みたいな平べったい犬のぬいぐるみ。それに、性格なんてものあるはずもなかった。自と他を投影するもの、いついかなる時も自分のいうことを聞くもの、それはむしろ、ここではわたしの方がそうだった。「愛するも無視するも殺すも自分の手で行われる」わたしはあまり姉のようにぬいぐるみをこころからは必要とすることができなくて、そんな友達は必要なかった。あとでその話を聞いた時は、簡単にそういう世界とアクセスできる、妖精みたいな純粋さをうらやましく思った。わたしはサンタもナイチンゲールも奇跡も信じていなかった。だから本当に寂しいわけじゃなかったんだと思う。かたわらにあるものをわたしはいつもうっすらとどこか鬱陶しく感じていて、うっとおしいことやものをすすんで避けてずうっとそれよりもただ一人の楽しい夢を見るようになる。なんてわがままなんだ!わたしは人形の着る服や化粧にはあこがれなかった。ぬいぐるみはいつもそこにあって、気が向いたらそれを撫ぜたり可愛がったりした。
もう、どこにあるのか分からないぬいぐるみだけど、何故あの時の自分はそうしなければならなくて、今ではまったく必要がなくなってしまったんだろうとたまに考えたりする。


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ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。