(小説)海と山①

「そんな考え、初めて聞いた!ぼくたちは月からうまれて、月に見守られて育ってきた。月は僕たちの一部みたいだったから、過去のもの、みたいに考えるなんて」

シイの男の子は言った。

小さい頃から仕事が終わったあとに森の中に入り裸足のまま当てもなく歩き回り、まるで迷いこんでしまったかのようにふるまう遊びが好きだった。何も持たないわたしを、いつも唯一それだけが落ち着かせてくれた。
森の中にいると空気は冷たく澄んでいて、周りは音だけになり、自分はまっさらな、生まれたての絹になったような気分になれた。そうすることを何度も繰り返すうちに見つけたのがこの崖のある、森のはずれの場所だった。それから空いている時間を見つけてはそこを訪れるのが習慣になっていた。

そこに最近、シイの男の子が来るようになった。その子どもはまだ幼く、背丈もそれほどなかった。だから自分が話すときいつも話すときその子のつむじの曲がり具合が目に飛び込んでくるのだった。
その子どもは自分たちマントとはたくさんの違いを持っていた。見た目、それから背丈、声質。それは皆から聞き伝てで知ったものと違わなかったが、それからさらにいつも自分たちの違いを思い知らされることには、シイの話し方やそぶりすべてからいつも愛され、暖かく受け入れられている子どものよろこびのようなものが零れ落ちるように伺えることだった。いつもその小さな違いが、自分の見すぼらしい指先や、何も与えられてこなかった過去が、不意に涙を流させようとするような、シイというのはそういった生き物だった。

「マントの考えとシイの考えは根本から違うみたいだな。マントはいつもいうのは『ひとりで生きていける』そんなふうに聞こえる。たしかにそうなんだけど、でも僕たちは違うんだ。でも君は、マントっぽく見えない。まだ小さいからかな?」

「あなたの方が小さいでしょう」
マントがつぶやくようにいうのを聞いて、シイはわらった。

「なんで笑うの?」

「君の考えていることが分からないからだよ。たとえばだけど、僕がこうやって海を見ていておばあちゃんのお葬式を思い浮かべてる時に、君は小さい頃、家族と遊びに来たときのことを思い浮かべているのかもしれない。」

わたしは自分の「家族」を思い浮かべてみる。

「僕は君の考えていることを知らなかったんだ。これまでずっと。僕たちが仲良くなったら何かが変わる。こういう言い伝えがあるよ。シイとマントが仲良くなると、互いに互いが似てくるっていうこと。」

「ふうん。」

「君がいつもなにを見て、なにを感じて、それが君になにをもたらしているのか知ったら、僕の景色は変わるのかな。僕たちはマントのいない世界しか知らないんだ。」

わたしは、目の前にある景色を見る。海が波の音をたて、風が吹く、いつも通りの風景だった。

「君の世界の話を知りたいな。風、月、海、そういうものが、君の世界でどんな意味を持つのかをもっと知りたい。」

わたしは黙っていた。シイの目は小さくきょろきょろとよく動き、マントの話にひとつひとつ反応してはきらきらと光って見えた。その目は自分が考えていることや、息を吸ったことのすべての意味をつかみ、それからその奥にある、自分のもっともこわいと感じているもので覗いているような感じがした。そういったものに触れると自分が自分でなくなるような心地がした。

「そんなもの、何もない。意味なんて、何もない。風は風、月は月、そこにあるだけのもので、私たちはそれに何かを感じたり、話したりすることなんてしない。」
わたしは怒っていた。頭の先から、手のひら、つま先まで、怒りに満ちて話していた。
「私たちはあなたたちみたいに、のんきに歌ったりなんてしない。シイってなんて不愉快な生き物なのかしら。マントはシイが嫌いみたい。」
わたしは息を吸い込んで、気持ちを落ち着かせようとした。

「あなたくらいの子どもが、私に話しかけることだって、本当はいけないことだよ。私はそうした時にはいつも大人から打たれていたもの。」
もうすぐ日が沈む時間で、海面はオレンジ色の光をまぶしく反射させていた。シイの子どもは目を細めて海の方を見ていた。一方マントは次から次へと浮かんでくる気持ちに圧倒されていた。わたしは、こいつが嫌いだ、と口の中で呟いた。それは全く違った響きを持ってその中に残った。

祈り弔い、それから歌うことはシイにとっては日常的な行いで、それは幼い頃から繰り返された遊びであり、また生活の大部分を占めているものでもあった。それによって自分たちは大地と一体であることを知ることができたし、家族や祖先との繋がりを日々確認するのだ。自分たちは生かされているだけで、それ以上のものは求めてはおらず、大地の意思によってもたらされた短い時間にただ見たり聞いたりしているだけなのだと。それを歌うのだ。いつだったか自分がまだ遊びまわるだけで儀式の重要性が身についていなかった頃、まちの生命線をになっている河川が崩壊してほら穴に閉じ込められたことがあった。何ヶ月も大地から遮断されたシイ達は歌うことも、弔うことも、儀式を行うこともできなくなり、シイの命ははじめてそのときにマントの深い暗闇を知ったのだった。それはまたその言い伝えや儀式、祈りの重要性をよりいっそう皆が信じるきっかけにもなった。

しかしこのシイの少年が命を授かってからいく年か経ち、いつものように皆が一斉に祈り歌っている中で、自分だけふと目を開けてまわりをみまわしていると、不思議になる瞬間もあった。なぜ、こんなことをしているのか。何も考えずに、与えられるがままに、ただ流されているだけで、自分の命はどこにあるのだろうと思うこともあった。変化のない毎日で、幸せの中にいることは、まるでぬるま湯の中でふやけていくような気分になるものだ。そういう目を一度身につけると次の日も、また次の日も、そういう瞬間はふとしたときに訪れた。そうして次第に、自分の心のなかには意地悪い気持ちが育ち始めているのに気がついた。

年長者の者と話すとそれは誰しも抱くことのあるものだ、という。それはしろい米粒の中に紛れ込んだ汚れた粒のようなもので、生まれるべくして生まれるものなのだと。いちいち気にするようなことではない。何もかもが通り過ぎるのだ、その器を持つべきときがお前にも来たのだと。しかしそれは違う、とシイ思った。そういった疑いの心をシイが持つことは珍しかったのかもしれない。
そうしてひととおり1日の祈りや儀式が終わり、最後のろうそくを消したあとにシイはいつも考えずにはいられなくなった。自分は過去や大地の伝統や思想を植え付けられそれをただ繰り返すためだけに生まれた器なのではなく、自分というはっきりもした意志を生まれ持ち、それがこんなふうに声を上げているのだと。ことあるごとに皆が、「月が見ている」と言う。あなたの疑いの心を、悪しき心を見ている、という。それは自分たちの命は大地と、空とつながっていて、今はただ、生かされているだけなのだという戒めの言葉なのだとシイは理解していた。そのことを否定するつもりはなかったが、またこうも思った。これが僕なんだと。それは月明かりのない夜にも自分の中から消えることはなく、そんなふうに寝床の中で一人でいると、いつもそのことを誰かに伝えたくてたまらなくなった。

シイが、マントと話していると感じるのは、まるで獣みたいだということだった。言葉少なに、こちらに対しても警戒心むき出しでいる様子なのに、それがひとつずつ、ガラン、ガランと音を立てるように自分に打ち付けてくるのだ。マントの生命の深さと、その燃えるような意思にシイは魅せられていた。自分の住む村にいるシイと話していると時々は要領をえない幼な子といるような、何もかも諦めた老婆といるような気分にさせられたものだったが、この目の前にいる、自分よりもずっと背の高いマントと話していると、いのちの在り方を目の前に突きつけられているような気分になった。

マントはいかなるときも生き生きとしてシイの目には映った。かつてシイとマントが共に暮らしていたときはこのようにお互いに響き合っていたのだろうか。

シイは海を見ていた。しかし心では隣にいるマントのことをずっと見ていた。変に気分が高揚し、家にいたときよりもずっと歌いだしたい気持ちになった。そしてそれが今はまだ、目の前にいるマントを怒らせるのだろうということも分かっていた。




読んでいただきありがとうございます。これはわたしが創作を始めて間もなく書いたもので、今から二、三年前(さだかではない…)に作ったものを気が向いた時に加筆修正を加えていたものです。まだ、続きます。
※3/14間違い訂正しました。


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ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。