(小説)海と山②


シイたちは言葉をもたなかった。その代わりに呻くような鈍いおと、それは獣のような、あるいはただの風の呻きのような音で意思疎通をした。これを聞いた多くのマント達はそれを笑うのだった。マントは理路整然と明瞭に話す声を持っていたからだ。マントとシイが一緒にいたころ、マント達が昼間から自分達の子を従えて作った唯一の祭壇である焚き火を囲んで議論に没頭している傍で、シイ達は暗闇に溶けたままで昼間見た情景を思い出し、ひそひそと歌うのだった。

シイ達は嬉しいことや楽しいこと、また弔いのような悲しいことがあるときは決まって歌を歌った。声にならない響きだけのその歌はシイたちの体をゆらゆらと揺らし、自分がシイであったことも、一つの混じり合わない生を持っていることを忘れさせてくれた。ことあるごとに開かれる儀式の複雑すぎるほどの段取りの大まかな部分はマントが担っていたが、もはや意味さえも失った細かい手順や装飾はシイでなくてはできなかった。その中に埋没することは、シイの持たない言葉の代わりとなって物事を未来へと運ぶようだった。儀式がはじまると、何人ものシイもマントでさえもがぽたぽたと涙を流した。そうして自分の中にあった半身のようなものと別れを告げるのだ。それを終えるとまたひとつ新しい日々が訪れることを知っていたから、それは喜ばしいことなのだと皆が知っていた。そのような風と自身を一体化させる遊び、のようなものをシイ達は数多く知っていた。

シイの母親は子供達をそのあたたかでやわらかな体で受けとめた。痛みを癒す方法は彼らの母親からまた受け継がれてきたものだった。それをしらないで自由気ままにふるまうようなシイも中にはいたが、また年長のシイがそれを教える役目を担う。その理も代々受け継がれてきたものだった。シイ達は自分達のいのちはひとつではなく、それぞれが繋がっていることを理解していた。そうして夜が深まり、闇が自分たちを包み、道しるべがただひとつ空に浮かび上がった月だけになると耳をすませてそのくぐもったこえで子供達に伝えるのだった。あの月は私たちをずっと見てくれていて、私たちの罪をも数えているのだと。

そのころマント達は何層にも分かれた階級ごと夜宴を開いていた。シイ達と行った儀式の名残だろうか、単純な作りの焚き火をかこってマント達が甲高いこえで話す。そうしてそこにいる一番偉いマントが皆のものにいうのだった。

「あの月は俺たちがまだ幸せだったころの象徴だ。あそこに俺たちの未来、取り戻すべき過去、幸せが詰まっているのだ」

シイと別れた後、マントが一人で森の中を歩いていると夕立が降り始めた。突然の雨がばたばたと騒がしく森の葉を打ち音を立て、地をぬらしてその大地を色濃く染めていった。そうして雨はマントの裸足の浅黒い足をも濡らした。足の裏には泥がつき、ちいさな石が足の裏に当たってそのたびにちいさな痛みが走った。日に日にその少女の肌はぶ厚く丈夫になり、色も幼な子だったころとはちがい、浅黒くなってきていた。きっと自分は大人のマントの入り口にいま立っているのだろう。目も口も、それから背格好も、時が経つにつれて嫌が応にも親に似てくる。いのちは自分の意思とはうらはらに、自分の中に確かに息づいている。そのことは自分をよりいっそう苛立たせた。それは幼い頃から何度も味わい尽くした不自由の味だった。与えられた命をまっとうするために、何をすればいいのか、その問いにぶつかると、何もかもをめちゃくちゃにしたい衝動に駆られた。マントは自分は何にも愛されたことがないのだと思う。

マントの少女が自分の寝床についた頃には雨は止み、太陽は沈み空には灰色の雲がぽっかりと幾つか浮かんでいた。マントはしばらく空を見上げ、やけに無防備なままで月を探したが、月は雲に覆い隠されちいさな星がいくつか見えるくらいだった。その頃になると、マントは自分が崖にいるときなぜあれほどまでにあのシイの少年に対して怒りを感じていたのか、不思議に思うまでになっていた。

マントは何も持っていなかった。親も兄弟もそれから家もだ。昔は自分にも兄弟がいたから、若い者を殺すことはどうしても許せなかったが、それにしても、これまで何人ものマントの死を見て、自分がそれに手を下すこともあった。それに対していちいち同情したり、嘆いたりするようなことはなかった。意志の弱い者は死に、強いものだけが生き残るのが当たり前の中で生きてきたのだ。それを後で思い返したり、どんなことなのかを深く考えたりすることなどしなかった。それは固く閉ざされた扉で、二度と開くことを望まないものと信じていた。自分が持っているのはただ1つだけ、自分の中にある剣だけだった。自分は、この胸にある剣を持ち、そのおかげで生きのびたのだし、これからもそうするのだといつも硬く思った。

自分の簡素な寝床でちらちらと揺れるろうそくの火を見ているといろいろな景色が浮かんでは消えていった。そのどれもかさかさに干上がった骨と皮のようにマントには何ももたらさなかった。マントはふと、あの時死なないでいたマントの顔を思い出し、一人で笑った。
やはり自分はそういう世界で生きてきたのだ。そのことが間違えているかどうかなんて知らないが、そのことを自分も、他人も、どうすることもできないことなのだろう。マントは空を見上げたが、月は雲の後ろにちょうど隠れるところだった。今度シイに会ったときはこのことを話してやろう、とふと考える。自分では気づいていなかったが、マントはシイの泣く顔が見たいと考えていた。そうしたときに自分の孤独な体や皮膚や心が、どんな音を立てるのかを知りたかったのだ。

マントは今日も、朝早く目を覚ました。

今日もまた一人子供が死んだようだ。そのことを大人が悪態を吐くのを聞いて知った。盗みを働いたのだという。毎年この季節になると食料の保存が難しくなる。狩猟や農耕の技術がないもの達の生活は苦しくなるから必然的に盗みも増えた。そのことに対して少女は何も感じなかったが、ただ、何故このようなことが起きるのだろうと疑問に思った。そこらじゅうを走り回るマントの子どもと同じ体をもつ、ちいさな死体は木の下に置き去りにされたままで、傍を他のマントが通り過ぎた。それをじっと見るような者はまだ幼いマントだけだった。生と死と、その二つにどんな違いがあるのか分からなかったが、ただ一つ違うことは、その体はもう二度と起き上がらないだろうと誰もが知っているということだった。まだ細く小枝のような足は空を向き、その五本の指はまだ肌色に近く、無邪気なままだった。

自分が子どもだったころ大人からは見向きもされなかったが、それでも子どもたちの繋がりはまだ残っていて、年長者の許可がなければ何かをすることは出来なかった。ましてやまだ初めの通過儀礼も住んでいないような幼な子が盗みで死ぬようなことなど考えられなかった。マントはもう滅びの道へ向かっているのだろうか、とふと考える。どちらにしても自分にはそれほどの関わりもないことだった。

マントは今日も森へ向かって歩いていた。まだ太陽が上がったばかりで、眠っているマントもいるような時間だったが、それでもこの季節だから汗ばむほどに大気は暑かった。




読んでいただきありがとうございます。
これは二、三年前に書いたものでその時点でほぼ出来上がってたものに表現の流れなどおかしなところに修正を加えたもので、とくに登場人物や出来事などは全てモデルのいないフィクションです。

まだ続きます。

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ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。