海と山④(シイとマント)

儀式の会場に火を灯す銀色の燭台を手入れしている時、ふと自分の手を見下ろしてそれがいつもとちがうと感じられることにシイは気がついた。あたりは騒がしく、年配のシイたちがところどころにコロニーを作るようにして固まり、時折高い声をあげて笑いあっている。音楽ともつかないような音の破片、それから料理をしているのか、火の付く音、硬いものがぶつかり弾けような音、それはたぶん赤ん坊の頃から、かたわらにある温度のようにずっと聞き続けたなつかしい音で、それは家族という心地に似ているのだった。
周りのシイを見てみる。みなふくよかで、風にはためく布のような存在感でうすぐらい電灯に照らされている。もう夕方だった。シイは自分の手も、足も、それからきっとお腹も胸も、もしかすると見たことのないくらい白く、透き通っているような気がした。そこらじゅうに小さな、シイお手製の電灯が灯るなかで、シイは自分の中にあるものの存在に思いを巡らす。それは方位磁石のように、太陽が沈むとき毎日道を迷わない不思議のようにたしかなことを指しているのだ。シイはまるで予感のように、微笑みたくなった。それから、それを誰の目にも触れないよう隠してしまおうと考えた…これは、シイのくせなのか、それとも今浮かんだ考えなのかよくわからない。シイもマントもありかたはほぼけもの同然で、その体をおおうのはおためごかしの布切れくらいである。シイは普段なら個々の違いをさらけ出すことには無頓着だった。マントはそれを嘲りにするのが得意だったし、シイは心底気が付かないように見えた。そんなふうにして外でみた景色を頭に浮かべるのが子どものころからのいつもの夕食の時間帯だった。シイはそこに立てかけてあった鍋の米を蒸らすためのまだ使っていない新しい布切れを自分の身体に巻き付けた。自分の体はもはや周りの人たちとは違いすこしずつ変わってしまっている、自分の近くにいる「誰か、しらないもの」に話しかけられるようにしてそう感じた。
本を読むのは唯一の楽しみで、けれどこのあたりでは刺激のあるものはそうそうなかった。例えば、道具の作り方。料理の作法。儀式のこと、マントやシイの歴史。それを書いている著者はさまざまで、格式張ってないこぼれ話があるものほど、シイの年長者らは進めたがらなかったが、シイはというとそちらの方が面白がった。森へ行ってはそのきれぎれの断片を思い出して、それから自分の好んだものとよく似た、捨てられそうなものばかりを拾い上げてなにかを作ろうとしてみる。こういうことを「ひみつ」というのだとある時知ってから、やっと胸の荷が少なくなったように思った。そうして、ある日マントと出会う。マントは一体何をして過ごしているのだろうと思う。あれから自分はいくつもの新しい歌を歌い、儀式を経て、それから年下のものとも交流した。けれどどれも前年、そのまた前年のものと変わりないことの繰り返しだった。マントもときどき笑った。それはほとんど愉快だったり、親しみだったりするのでなく嘲ってるようにも見えた。けど笑うときこんなに顔の変わる人もいるのかと、シイはマントの顔を見つめて感じていたのである。

シイは、作業へ戻った。その広場に通じる深い洞穴へ差し込んでいた夕日はもう既に沈み、あたりには夏の夜の涼しげな空気がただよい始めた。お祭りの始まる前、いつも気持ちがせわしなくなるのに空の高さは必ずはっきりと感じられた。シイは空気を吸い込む。そうしていろんな事を思い出す。一年前、それからそれよりももっと前のことを。人びとはもう作業を終えたのか、居場所を変えたのか、先ほどの騒がしさはなくなり、今はもっと奥の方から声がしてくる。もうすぐ夕食の時間が近づいて来ているので、子供たちが一人、また一人とシイの一人で作業をする場所をかけぬけていく。銀色の燭台はここら辺の地域で取れるものではなく、それはむかしマントと過ごしていた頃の自分達の遺産でもある。昔はどんな形であったものか分からないものを、自分たちは大事に何度も溶かし、また作り変えてそれを使っている。シイは金属を欲しがった。それを、好んでいた。それは儀式の要所に使われるものに現れていて、首や指に小さな金属の輪っかをはめているものもいる。普段は木や石や土で出来たものの方が多かった。

シイは役割を終えて片付けに取り掛かった。ひとつひとつの食器や道具にうすい使い込まれた布をかけて、自分が飲むぶんだけの水を汲んだ器をトレイに乗せて居住地へと戻った。

外は明るい。
もう、日がすっかり落ちているのにそんなふうに感じられた。マントはいつも裸足だったけれど、シイは草履のような薄い布切れを足にまとっていた。それがぺたりぺたりと鳴り、風と土の冷たさを感じられて気持ちがいい。ここは海辺の近くだから、海の匂いがするのはいつものことで、それが自分達固有のものなのか、季節のものなのか、意識することもなくなっていた。
シイが歌を歌うのは日常的なことで、驚くことにその歌にはほとんど意味のあることばが載っていなかった。ほとんどは口から口へ、伝承のように継がれていく。
言葉が載っている歌は、むかしマントがいた時のものと、最近の若いシイが作ったものに多く見られたが、年老いたシイはそんなことも特に気に留めず、目をつぶったままで歌を歌い上げた。シイ自身もそれを真似て、そうすることもあった。歌を作ることもあった。それは料理をつくったり、数を数えたりするのと同じくらい当然のことと感じていた。
シイは海辺で立ち止まった。
明るい海はよろこび、たのしさに満ちているのに、いくら真夏と言えども暗い日の落ちた海を見る時いつでも身震いするような気持ちになる。ずっと見ていたい。でも僕一人では、、、、。真っ暗な海はそこだけ穴が空いているようにも見えて、昼間は見えなかったものがたくさん浮かび上がってくるのだろう気配がする。シイ達は、それに蓋を閉じることができない。ただこちらも、陸の上へと波が引いていくようにして、居住地を移す。あたりはまだ生活の音がするのに、その周辺には誰も居なかった。
シイはずっと昔に、そこで打ち上げられた魚を見たことがあった。魚は、まだ形のあるままで不自然なほど陽を浴びてそこに横たわっていたのだった。それはほとんど、死を意味していて、誰も気に留めたりなんてしなかったけれど、まだ幼かったシイはその魚のそばに立ちすくんでそれをじっと見ていた。朝か夜、ここに打ち上げられたのだろう。傷ついたか、迷い込んだかして。こんなに陽が高ければきっと、昼までに腐ってしまうに違いない。今はこんなに綺麗で、うろこがひとつひとつ光っているのに。時間のことを思うと果てしない感じがした。それから、足の向こうへずっと続いていく海のことについても。魚が海にいるときは、海は魚で、魚は海そのものだったに違いない。呼吸。それから、向かっていく先の意味も、ひとつも知らないのに、疑問も不安もないままでずっと、自分が魚だということにも気がつかない。それは、幸福と似ているだろう、とシイは思う。何の疑問も持たずに泳ぎ回っていた、蜜月のような、あかるい関係。あの時の煌々と日を浴びる魚はどうしてこんなところへ来たのだろう、とシイは考えた。そして、魚の次に手足を投げ出して横たわる自分のこと考えてみた。

まだ腐り切る前の魚のイメージは、家に戻ってからもシイの頭を支配し続けていた。
そうすることのずっと先にはマントがそこに居座っているような気がした。まるで存在するのも苦痛であるようなマントの姿。あの森に居た、マントの黒くて細長い手や足。それが折れ曲がるとき。それと比べると自分の手足は膨張しているかのように見える。そこがもどかしいのだ、と感じた。「もどかしい」?一体、この気持ちの出どころはなんだろう?違和感だ。シイは重ね合わせたいーー魚、それからマント、シイ、それはひとつひとつがあまりに違い過ぎて、自分が何をしたいのか瞬時にわからなくなる。なぜ、魚はわざわざ心地よい海を抜け出して陸へと打ち上がったのだろう。そこに何か意味があると思ったのだろうか。手足が生えたり、翼が生えてきたりするような。
あるいは、イメージ。魚はきっと、ひとつのイメージに囚われてそこへ打ち上がったに違いない、とシイは考えた。頭にはっきりと浮かぶ、その魚のイメージをシイが選び、考えさせられていること同じことだろう。シイは、いつのまにか泣いていた。シイはさっきからずっと、マントの事ばかりを考えていた。シイは自分のまとった布切れに触れてみる。(こころは膨張している)と思った。景色を包む、光のように。それから、陸を飲み込もうとする、海自身のように。魚は死んでいた。けどそれを、怖いとは思えなかった。そのときのシイは自分はできることなら、それが朽ちて土に還っていくまで目を閉じないでずっと、見続けていたいと感じていた。野菜をたべ、魚をたべ、肉を食べているわたし達と、同じように生きていた魚がどんなふうに朽ちて最後それがシイをどんな気持ちにさせるのか知りたかった。そしてそれが一通り終わり、動かないでいたためすっかり痛くなってしまった膝を伸ばして立ち上がる頃、自分は、以前とはどこかが変わってしまうのだろうか。

もう魚のことを考えつくしたシイの頭の中で砂の上で眠っているようになっているのは一人のシイだった。シイは目を閉じ、手足を投げ出してそこに横たわっている。海は波を押し寄せ、また引いていく。陽は高くのぼり、けれどまだ生きているシイはなかなか腐らない。けど砂も水も、それ自身の成り立ちを完成させるように、異物であるシイを飲み込もうとする。シイはそれを心地よく感じ、声を出さずに身を隠すように、そこにいる誰からも気づかれないまま息を潜めそのままの手や足の感触に集中してみる。それは歌を歌うよりもずっと心地がよいはずだった。息を止める。そうしてシイは「何か」になる。追いかけられている。水に、気配に、海、すべての繋がる強固なものに還ろうとする営みに。生きている。窮屈な場所にいる心臓が、ああっと声を上げて、その命のなめらかな感触に鳥肌が立ちそうになる。
けれど、シイの頭は覚めているのである。

ああ、いつも自分を動かしているのは興味ばかりだ。とシイは思う。そして小さく一人で笑った。





こちら、数年前に書いたものを掘り起こしてみました。稚拙な作品ですが、、ちょっとだけ編集もしました。

ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。