(詩)みずのような世界

真っ昼間から、わたしは目を閉じる。そうすると、何も見えなくなった。この場所には人がある程度いるのに、皆音を出さないのが秩序だと感じているので、それこそ布が擦れる音しか聞こえて来ない。例えば、聴覚、それから視覚がまったく塞がれてしまったとき、わたしは空間を把握できなくなった。視覚というのはもう人格と思考と絡みついていたのだ。ものが落ちる、と思うとわたし達は慌てて手を差し出す。けど、それも重力と視覚が失われて仕舞えば単なる「音」の発現でしかなくなる。………

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視覚があるとき、かっこたる「わたし」がそこに居たと思っていたのに、もう何も、見えなくなった。目を閉じると、何か見える時もある。過去に会った人。それから、通ったことのある道。建物。自分の居場所。何度も目にしたもの。けど、目を閉じた時の景色では、そのかっこたる線をどうしても追えない…わたしは、うやむやになっていく線をどうしても暗闇に見出したい。記憶…それは頭の中にあるのだと思った。
しばらくすると見たことのないものが突然はっきりとしたポラロイドのように浮かび上がって、「わたし」はそれを驚きながら見続けていた。一瞬でそれは消えてしまうのに、こんなに鮮明に。記憶、でもない。残像、でもない。じゃあ、これはなに?ーーー遊びだ。そう思った。遊び、ていうのは、誰かから声がかかると消えてしまう偶像を追うこと、だとわたしは過去、公園で夕暮れになるまでずっと一人でいた時のことを思い出した。だから、はっきりとした意識をもったとたんになにも浮かばなくなった。視界がなくなれば、世界はこんなに曖昧。今まで、かっこたるわたしがいるんだと思っていたのに、わたしはもう、世界をすこしも把握できなくなった。

わたしは、視界のない世界を水中にいる時とそっくりだと思う。これまで、見ている先に感じた景色が広がっていて、知っていることが当然起こるのが当たり前で、それは毎日の繰り返し、ニュース、あたりまえ、わたしの友人、本、そういうことと繋がってたから、わたしは手と足でそれを単に押し当ててクイズに答えるような感覚でいた、のに、今は、世界は全て海水に覆われたようになっていて、わたしはそこに溺れているひとつのちっぽけな草きれと変わりない…。なにが起きてるのかもわからない。こんなに、誰も彼も、音もものも未来も、わたしの周りから押し寄せてくるなんて、知らなかった。この先どうなるのかもわからない、周りの物事は全て並列に並べられて、わたしはそれを無我夢中で、あるいは時に無感情でただ、ただ選り分けていく。無秩序な空間を、ただ、泳ぎ方だけ習得していく生き物のように。わたしは声をあげない。ある時、つかれきったわたしはすべてをわたしだと思う。人の声、それから音、ひかり、もの、なにかが飛び立つ音、それと自分を区別しなくなる。わたしは意思を失う。すべてを許すようになれば、きっとそうなる。


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ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。