青色アクエリアスと小さなアルデバラン3

③夢の中の男女

(アルデバランの場合)
目の前から、一人の男が歩いてきた。
男は、普通の背くらいで、若い男だった。
とくに特徴のない見た目だったけれど何か、歩き方が若い馬みたいだった。
わたしは、「あっ」と思った。
わたしは、つい自分の父親を思い出した。わたしの父親は、わたしが小さい頃からずっと、毎日ポロシャツを着ていた。お母さんが買ってきたノーブランドの紺色のやつで、わたしと姉とそれを見て、いつもくすくすわらっていた。

別に父親が嫌いだったとかじゃない。むしろ好きだったから、姉とわたしでいつもそうやってこっそりと父親のことを話すのだった。
でも、多分それを冗談には出来ない父親を、そういうかたくなさが本当はわたしは怖くて、だからその時その男を見てその父のポロシャツのことをわたしは思い出した。

男は、多分その、大きな目には母の死と、姉の血と、壊して来た墓石と、病気の兄を焼き付けて来た男は、わたしの前に来て、「おい、ぶす」と言った。それで、びっくりしているわたしの顔をじいっと吟味したあとで男はまた、後ろを向いて歩いて行った。

わたしはその日の夜、ベッドの中で自分が死ぬ夢を見た。

たくさん虫がいる、気持ちの悪さの中にいて、助けも求めない。わたしは気持ち悪さを感じ取るだけの感覚器みたいになって、脳みそはそれを見下ろす冷たい神のように動いていた。それから知らない男の人と話す夢を見た。わたし達はすごく近くにいるみたいで、友人みたいに親しいつもりで話していた。けど、目が覚めたらその人はわたしの近くにも、世界中のどこにも未だ居なかったのだ。最後までわたしに付きまとってくるのはあの、街で見た若い男が言う言葉だけだった。「死、死、死、死、死、死、君は死ぬ、君は死ぬ、君は死ぬ、君は死ぬ」わたしはその意味を考えようと、ベッドの上でしていて、頭の中にいるその男は世の中の男達とどこか少し似ていた。それは、死刑囚の目にも、それから殺人をおこなう前の若者の目にも似ていた。
だからわたしが感じていたのは、怖いという気持ちと、ただただ、帰る家が分からないのに時間の方が伸びきってしまったような仔犬にするような、本当は父にわたしが向けていたような、憐れみの感情だった。


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(アクエリアスの場合)
僕は、去年の夏休み、橋の上から川の水の中に飛び込んだ時のことを思い出していた。あのとき、僕はぎすぎすに痩せていて、醜いくらいの風貌をしていた。
僕は、毎日何もすることがなくて何も持たずに、頭から冷たい水の中に飛び込んだ。あの時ほど自分が生きているって感じたことはない。

いつもとは違う格好で、真っ逆さまになって地上に近づいていく間じゅう、僕の世界にあるのは頭上の裏側にあるだろう太陽と僕自身だけだった。それから、音だけになって僕自身はばらばらに砕けてしまう。
何度も繰り返すうちに今度、僕はまとわりつく水の感触に夢中になった。僕はいっぴきのなまずみたいになって、その感覚を何度も味わった。

なんて気持ちが悪いんだろう。

あらゆる景色は生きていて、ほとばしるくらいにあつい。それは、僕が感覚器に生まれついたからだった。僕はその瞬間そういうものたらしめるこの世を憎んでいた。人間は、骨と皮。ぎらぎらとなにかを追い求める、抜け殻。憎むことを誰もが否定するが、本当ならそうすることでしか自分の輪郭を感じることなんて出来ない、と僕は感じていた。まとわりついてくるものを最後には削ぎ落としてしまいたがる感覚、それは神経が体を支配する、嫌悪感ゆえで、その病魔が人間をのっとると、何者とも相入れなくなる。自分自身でさえもだ。
けどそんな風になっていても僕はまだ、世界が僕を認める声を出すのを聞き逃さなかった。あの夏じゅうやることといえばなにも食べる気がしなくって、沢山の薬を飲んで、自分の生きているっていうばかみたいな感触だけを、日陰の湿地の感触を辿るみたいにしていくことで、そうやって骨と皮だけで生きているような人間を、例えばまともな仕組みの中でだれも目に入れるようなことはしなくて、そのせいでやる事は、もう意味を与えるのが自身のみになる。それは繰り返された。
僕が、生きていてもいいよと、世界から言ってもらえるまで。自分自身でその感触を、たしかに得られるまで。それはいったい、いつ終わるんだろうか。僕は愚かなことに、僕ひとりでそれをちゃんと構築出来ると考えていた。夏の、森の、川の中の、たった一人の僕が。そういう僕の一人だけの願望が募るほどに川での水遊びは繰り返されて、次第に僕の頭が取り憑かれていったのは一人の女性の姿で、僕は、その人の顔や考え、育ち方まで考えて、たしかな感触になることを必要としていた。それは、あなたでもあの人でもない。単なる僕の願望でしかない女性は、この世には存在していなくて、でもそのことに僕はずっと気付けなかった。

人間の幸福感は、自分でいることを忘れられる体の機能によるものだ。忘却、喧騒、ルーティーン、それがなければ自分自身で似たようなものに埋もれるようになる。

あの頃の感覚を、今でもたまに思い出すことがある。たった一つの予感と、それから自分の生きるためあがくような愛情。「生きたい」と心の底では望んでいることの滑稽さよ。僕らは日々それを何かに映し出しては笑いあっているが、本当には自分がそう願うからこそ悲しいのであって、実際にうすぎたない手でそれを携えて、会ったこともない女性の玄関を時々ノックしに行ってしまうことだって本当にあるのだ。僕の現し身はだから「ほんものの」女性を求めていて、たしかにそれがあの夏に何かの感触に触れた、ような気がした。それが確かに、僕の中に僕自身を燃やし尽くしてしまいそうなくらいにあった。けど、今僕の手の中にあるのなんて、あの時の真似事と、残響でしかないように思える。そもそも僕はいま、それ程までに生きたいと願ってるのだろうか?もしかしてこの生活さえも、惰性でしかないのだろうか?僕の生活、それも一人の女性が惰性を願った事による収束でしかないのかもしれない。

僕があの夏会っていたのは、一体誰だったんだろうか。
それなりのもので満たされるようになった僕はけど、今でも憧れてしまうのだ。ぎりぎりと音を出すばかりで、意味をなさないようなそういう生き方を。僕を受け入れてくれる、その女性の姿に。

本物の自分自身の幸福、それから在り方っていうものは、この世の中にいる人間全てのことを殺してしまいたいくらい憎んでいたあの夏にしかなかったんだろうか。


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ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。