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「高齢者は集団自決せよ」って … すげえこと言うんだなあ

あれはあまりにもインパクトの強すぎる発言だった。かの発言の主、Wikipediaによると1985年生まれの39歳だそうな。いやあ、権威ある大学教授の肩書きを持つ人が、マスメディアを利用して野に放つ言葉ではないわ。

アホか賢者かといった話ではない。ただのアジテーター。本当は無視しておればいいだけのこと。

だめだこりゃ

炎上折り込みずみで発信した以上(切り取りと言われようと)、オフィシャルに謝罪でもしない限りは、炎上を誘発した一番過激なセンテンスこそが彼の永遠のキャッチフレーズ。扇情的なフレーズには破壊力がある。際たるものは「死ね」というたった2語からなるものだが。どうであれ、他者に死ねという物言いは、どれほどの論理的合理性を持ったところで、戦争をふっかけているのと同じ。戦争とは、血も涙もない殺し合いのことだ。言葉が刃になって人を殺すことができる時代。多くは当人の内面を自爆させるように仕向けて、その人を自死へと至らしめるスタイルをとる。間接的だが意図的な殺人行為だ。

強者であれ弱者であれ、戦争を仕掛けられたら、自らの身を守りながら相手を攻撃する以外に方法はなくなってしまう。

時間もとられるし精神的にも疲弊する。でも規模の大小を問わなければ、戦争ってどこでも起こっている。子供たちのいじめだって大人の模倣だ。論破以前に、他人に血と涙を流させてはならない(=それが他人を大事に扱い労わることだ)ことを、子供は学校で学ばなければならないはずなのに。

何度も戦争を仕掛けられた。そのときの私が取った行動は,ひたすら逃げること。逃げてばかりの55年。仕方ない。訴訟を起こそうにも、金も影響力も頭脳も味方も人望もないない尽くしなのだから。
個人レベルでできることは、好戦的な輩と距離を置いて友達にならないことだけだ。さらにいえば、やつの取り巻きや友達にも警戒する。当たり前だろ。

毒親と思っていても、死んでくれとは言ってない


私はこれまでの記事で,毒親というものについて考察を繰り返している。

毒親は捨てよという意見もある。意見としては参考にしておく。
だけど、捨てられますか? 

私には無理だ。

毒親から洗脳を受けたものですから、すでに洗脳された理念から考える頭しか持っていない。そういう頭の使い方しかできない。つまり、親ファーストという出発点からしか行動選択できない自覚はある。この事態はたしかに困ったものだ。バカと呼ぶなら呼べばいい。人間とはよくわからない〝情〟に絆される。よくわからなくったっていいじゃないですか。AIは私をバカと呼ぶだろうけれど。

いや、どれほどであれ、親に「死ね」とか「夫婦で心中せよ」とか言えますか?
そのためのロープや刃物を渡せますか?
愚かと言われようが、やはり「わかり合いたい」と思うのではないだろうか

加えて、ルサンチマン(弱者が敵わない強者に対して内面に抱く「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情)が自爆の増幅回路でしかないことをわかっていても、社会から弱者にさせられてしまうと(だって弱者って自ら好きこのんでなるものではないのだ)ルサンチマンでしか心を昇華させづらくなる。人間の根っこというのがそういうものだと思っている。ちょっとぐらいITが普及したからといって、調子づくではない。原罪という曖昧な言葉で呼ぶしかない後ろめたさ — それを備えているのが社会の中に放り込まれたときの人間だと思う。愚かだって構わんわい。

若い側が超越することは勝手だが,きみが年長者から生まれたことを忘れるな


彼にとって,他人の死というのはエンタテイメントでしかないのだろう。鉄道自殺が起こったとき、その人の自死という悲劇に思いを馳せることなく、その日そのときの「約束の時間を遵守できなかった」些細を怒ることのほうがスタンダードな感性ってことになりつつあるが、冗談ではない。

それと他者はともかく、ご自身の死の取り扱いのほうはどうなんだろうか。

痛みを解消するには,彼を謝らせるしかない。もっとも個人レベルの行動で(犯罪になる暴力行使以外に)断罪はもはや実現することが無理だ。そもそも,この手の人間は自分が謝ること自体を前提していない。本当に謝らない奴が増えた。

うるせえ

それが言えるのは、彼が発信する側で太鼓持ちに持ち上げられているからでしかない。権力をまとっている人のその権力が大好きっていう盲目の人が、山ほどいるわけで。まあ何を言うのも勝手だ。

余計なお世話だ 必要ならひとりで自決するわい


集団自殺を望みし者が、望む理由 — 弱者が(とりわけ群れをなして)破滅していくことの滑稽さが、エンタテイメントとして面白いからなのだろう。

言わんとしている主張は、社会というマクロから個々の国民というミクロを俯瞰するならば、筋だけは通っているのかもしれないが。半ば私自身もそういう気分になりはじめているフシはある。ただ、私は弱者で連むことは望まない。ひとりで自決するわい…と思ってしまう。

実はすごくショックを受けている。

キリンはどういう考えから、このような〝ビールを愛する多くの人々の敵〟になるであろうこの人(美味いはずのビールを不味くしてしまう人)を広告塔として抜擢したのか。あまりにもセンスがない。何より、この人が庶民向けのビールを愛飲するとでも?

アルコール飲料は大好きだし、権力に文句を垂れながらへべれけになることも大好きだ。ただ、悪いけれど飲みながら酔いながら成田のことを連想したくないんだよ。キリンはしばらく飲めんだろうな。悪酔いしそうだもの。

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