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「趣味は人間観察」と初めて言った人を知ってますか?

マックでコーヒー飲みながら、U-NEXTの映画を観る、という至福の時を過ごしていたら、イヤホン越しに大きな声が聞こえてきた。

セリフと混ざって聞こえてくる、おじいさんの声。

横を見ると、新聞を全開に広げながら株価がどうのと電話してる80前後のおじいさんがいた。ガラケーだった。

おじいさんを挟んで逆っ側にいるお兄さん、とても迷惑そうにじいさんを見ている。気持ちは分かる。新聞はさておき、声がとにかく大きい。

最近はお茶をしていても、マスクをしながらだし、シールドで隔たってるし、飛沫が飛ぶのを恐れてか多くの人がひっそりと話すようになった。

そんな中、ずいぶん自由なじいさんだ。

迷惑かどうかの判断は保留し、U-NEXTもやめて、おじいさんを観察することにした。

新聞を広げながら電話をするのは難しい。
片手で新聞を抑え、片手で電話。株価が載っている箇所を目で追いながらの作業は、なかなかのマルチタスクである。

よく見ると面白い動きだ。
電話に集中すると、新聞がたわんでしまうし、新聞に集中すると会話ができない。

U-NEXTよりも、おじいさんの方がエンターテイメントに思えてくる。

昔は電車の中で新聞を広げるサラリーマンをよく見かけた。多くは折り畳んでスマートに読んでいたが、中には下手くそな人もいた。隣にいると、とにかく、わしゃわしゃうるさい。

歩きタバコなんて当たり前で、前方の喫煙者の副流煙を一手に引き受けながら、歩く羽目になることもしばしばあった。


「趣味は人間観察です」って初めて言ったのは、鈴木蘭々らしい。斬新な視点は、世の中に広く取り入れられて、当時最もありふれた自己紹介となった。

最近、「人間観察」という言葉をあまり聞かなくなった。だいたい人間観察が趣味、というのはイコール無趣味ということだ。最近はちゃんと趣味を持ってる人が増えたということだろう。

また観察するほど、人間が面白くなくなった、という側面もありそうだ。

新聞広げて大声で電話するくらいで、白い目で見られるのだから、つぶさに観察したところで面白い人が見つかる可能性は低い。

多くの人が「人間観察」ではなく「人間監視」をするようになった。電車の中で迂闊に咳もできない。

学生時代、「趣味は人間観察」という人のことがあまり好きではなかった。どうせ鈴木蘭々の二番煎じだということすら知らずに言ってるのだ。

でも人間監視するくらいなら、人間観察してる方がだいぶ平和だ。

今日から、趣味の欄には「人間観察」と書こうと思う。

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