北京──34年目の初夏
北京、天安門広場。中国の歴史の栄枯盛衰を見守ってきたこの広場は34年前の6月4日、中国史にとって一番のタブーとなる殺戮の舞台になった。
発端は胡耀邦総書記の急死に伴う名誉回復運動だった。名誉回復運動は多くの学生運動家に火を付け、学生内部での対立を産み出しながら、中国の民主化を求める大きな潮流へと変容していく(この辺りは安田峰俊氏の『八九六四』に詳しい)。
中国の中央指導部はこの運動を、天安門広場とその周辺に対する人民解放軍の投入という形で幕引きを図った。中国はこれをもって、経済の急速な発展と国富拡大を引き換えに、社会変革、とりわけ民主要求を封じ込めるという方針を改めて示した。
政治の嵐が吹き荒れてから34年。国外ではこのいわゆる"天安門事件"を追悼し、中国の民主化を求めるデモ活動などが行われているが、この事件のイコンたる天安門はどうだったのか。
11時過ぎに天安門最寄りの天安門西駅を降りると、いつもと違い、他国要人でも来るかの如く身分確認の検問が置かれていた。とは言え処理が面倒くさいのか外国人はパスポートを一瞥されただけで通される。
しかし大陸式服務の身分証検査は天安門広場に行くと一気に変わる。駅を出たところの検査、入り口の検査、手荷物検査のタイミングで毎回パスポートを確認されては写真を取られ、中国での所属を聞かれる。また天安門に来た目的も聞かれるが、幸いにも今年は日曜日で、多くの中国人が純粋な観光目的で来ているので、自身も観光を主張し(そりゃまあ観光ではある)、無事に広場に入る事ができた。
曇りなき青空を称える天安門には、当時と全く同じ笑みの肖像画が掛けられ、かつての出来事を忘却した国家らしく、多くの観光客が何も知らずに楽しんでいた。
しかし、歴史を忘却した者は必ず負の歴史を繰り返す。天安門は変らぬ姿で34回目の初夏を迎える。
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