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翻訳という仕事:自国の言葉で読むということ

D.A.ノーマンとは

D.A.ノーマンは、米国の認知科学者・認知工学者です。ユーザ中心デザイン/人間中心デザインの提唱者であり、ユーザビリティやデザインの世界を作り上げてきた人物のひとりです。

私はこれまでD.A.ノーマンのいくつかの著作の邦訳に携わっています。

D.A.ノーマンの近著についても、現在、鋭意翻訳を進めているところです(2023.6月現在)

翻訳という仕事への思い

翻訳という仕事は、単純にいえば、外国語で書かれたものを、母国語(日本語)に置き換えるというものでしょう。

いまの時代、多くの情報が即座にインターネット上で共有され、すぐに誰かが要約して概要を伝えてくれます。ただ、そうした「要するに…ということだよね」という情報だけを読み取っていても、新しい世界の全貌・本質を理解することにはならないと思います。

ある外国語のネイティブであれば、その外国語で書かれた新たな概念、その人間が考えた思想を直接読むことができるでしょう。でも、言語の壁というものは、それなりに大きいものだと思います。ある重要な考え方が特定の外国語ネイティブでないばかりに十分に吸収できないのだとしたら、それはその国民にとって大きな不利益となります。

私は日本という国が好きです。日本人という人種も好きです。日本人がもっとグローバルな世界で仕事をしていく…そのために役立ちたいと思っています。翻訳もそのひとつの仕事です。

翻訳は原著者との協働作業

「翻訳」という作業の一般的なイメージとしては、すでに出版された本が目の前にあってそれを逐次翻訳するものでしょう。出版後しばらくして「売れた」タイプの本はこれに当てはまります。

翻訳作業において一般的にイメージされるもうひとつの形は、これから出版される本の最終的な原文の電子ファイルが事前に送られてきて、それを逐次翻訳する、というものでしょう。自分自身はこのタイプは経験がありません。きっと「世界同時出版」のようなネタバレが致命的な本などはこれに当てはまるのだと思います。

自分が関わる翻訳のプロセスでは、最終的に出版される原文の電子ファイルが共有されるということはありません。まず、出版社間での契約後に初期のドラフト版を著者と出版社から共有してもらい、ひとまずそのドラフトで粗訳を進めます。その段階で原文の内容の誤りや違和感のある箇所を著者にフィードバックします。

しばらく経つと原文のProofチェック版が共有されます。この版ではドラフトとおおまかに同じ構成の部分もありますし、ばっさりカットされたり、ごっそり内容が加筆されたり様々です。この差分を見ていく作業はとても厄介です。コンピュータのツールを使って比較して、版の間での整合を目で追うという機械的な作業となります。

Proof版が出てから作業すればいいのでは?確かにその方が効率としてはいいのかもしれません。が、それでは原文ドラフトに誤りがあったり、日本として文化的に許容しにくい書きぶりや誤解があるときに著者にフィードバックできません。他者の著作なのだからフィードバックなどしなくていい、という考え方もありますが、翻訳という作業は原著者との協働作業とも言えるのです。

実際に原文の本が出版される段階になっても、その最終的な電子ファイルは共有されることはありません。したがって、一つ前のProof版と最終的な出版物との差分については、音声読み上げソフトなどを使ってProof版を読み上げて、出版された紙の本を目で追って比較するといったこれも機械的な作業となります。

翻訳の未来:AI技術の進展

AI技術がいまの形で進展していけば、翻訳作業はなくなっていくのかもしれません。

しかし、翻訳に携わる人間としてはどこかで自国の文化にとってメリットのある形に仕向けたいという気持ちも働きます。小さな島国日本ではありますが、日本にとって良い形で知識を浸透したいという思いがあります。

そのためには、単純に言語を置き換えて日本に「輸入する」だけではなく、日本人が「世界をみる」ひとつの手がかりとして、より能動的なかたちでの翻訳をしたいと思っています。

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