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不条理の中を泳ぐ

ここの所、人生の中でかもしれない「もう、終わりにしたい」と思った。
精神的に吐き気が止まらない、吐くものなんてもうないのに吐き続ける。
自身の身に降りかかった出来事が、どれだけ不条理だったのだろうと俯瞰で考えるたびに、見つからない答えに狼狽える。

人生が1回だとしたら、と言うか1回しかない。
そのうちの人生を早い年齢で消化試合の様に生きていくということを選んでいる人も沢山いる。
私は、自他ともに認める負けず嫌いだった。
「負けるなんて、ありえないわ」と思って、何事にも向き合ってきた。
しかし、私が訴訟で勝訴しても紙の上と言う司法上は勝利をしているだけで、内省したときにはただただ、負けこんでいる。
結果論でしかないが、民事の訴訟提起をしたことは現在は無駄であって、
私が持っている判決文はただの紙きれである。そう考えると、
「負けた」と言う次元ではない。

不安で仕方がない、その不安が何なのかもさっぱり分からない。
「よくわからないけれど不安だ」と言う事だけは分かっている。
そして、布団をかぶって過去の事を考える
「努力できた自分、耐えられた自分」は一体どこに消えて行ってしまったのかと。刑事公判が始まったのは事件から約半年後だった。
その時はアドレナリンが出ていたからか、平静を保てた。
しかし、実際に刑事公判が数日(裁判員裁判のため期日が短い)でこの世の地獄のようなものをみてしまったと思った。
私の人生で出会ったことがないパーソナリティを持ち合わせている人間とまともな質疑応答が出来ないのである。
私の中の「常識」と言う物差しで加害者の車に追いつき、運転席側のドアとの間に立ちふさがった時、「常識」で考えれば発進させるわけがないと思ってた。それが一般的な常識と私は思っていた、しかしかがら、加害者は違ったのである、常識であるとかが通用する人間でなかったと。
被害者側からの被告人質問をしても、質問の内容をかえしては来ない。
どの場面でも結論から言えよと思うタイプであるが、加害者が精神疾患を患っている、恐らく境界知能だろうというところを引いてみても、話にならないのだ。

いまでも思い出すのは、期日1日目に被告が刑務官と連れてこられているだろうと気に、手錠を外す冷たい金属の音である。
遮蔽措置を申請していたので、私は加害者の顔をみてはいないが
正直なところ、そのパーテーションを倒して、加害者を殴り倒してやりたいと思うほどであった。実に滑稽な言い訳、さも自分も被害者であるかのような発言に対しても、こちらは「この人はまず、常識がない」と言う引いてみた状態でも、受け入れることは無理であった。話の起承転結が滅茶苦茶で1つも分からない。しかし、加害者は自身の行った犯行でまだ執行猶予がつくであろう発言をされた時、「こいつ、執行猶予が切れてすぐに再犯してるわけで、一回は社会での更生と言うチャンスを与えられたんじゃないか」と思おうと、ふつふつと怒りだけが込み上げてきた。
まず、人に返せないほどの傷を与えた人間が執行猶予と言うことがおかしいのである。しかしながら、全て起訴され、公開の裁判で判決を言い渡される人間を刑務所に収監していたら税金がいくらあっても足りないから、執行猶予が存在している。中には執行猶予判決で「二度としない」と更生する人もいるだろう。だが、多くが再犯してしまう。じゃあ、執行猶予の意味って何だったんだろうと思う。執行猶予で再犯をしないのはひょっとすると、脱税や贈賄などの経済犯であって、他の犯罪の多くは再犯するのではなかろうかと思っている(この部分に関するデータはあとから調べます)。

なぜ、犯罪の罪名にヒエラルキーがあるのかが問題である。
一番上が、殺人や強盗殺人であって、一番下が性犯罪なのだ。
暗数を出しているうちに、加害者も「案外つかまんねえな」と罪を重ねる。
罪を重ねるということは、被害者を増やすことになるということである。
国によっては性犯罪で初犯の場合でも10年以上の懲役や禁固を言い渡されることがある。アメリカにはミーガン法と言うものがあり、性被害に遭った少女の名前からとられ、1994年にアメリカのニュージャージー州で性加害者情報を開示する制度である。日本はいつまでたっても「加害者の人権」と言うものに重きを置いている。2020年に菅元首相が仮釈放中に限り、
性犯罪者にGPSをつけるという施策の話をしていたが、「加害者のプライバシーに鑑み」と言う形で、現実化されていない。
こちらはいつまでもびくびく怯えながら暮らすのである、自身の行いでGPSを装着しなければいけない状態にしたのであれば、一生涯アンクレットをつけるべきである。仮釈放中なんてたかがしれているのだ。

私は、刑務所の在り方についても大きな歪があるなと思っている。
刑務所ではまず、分類センターというところに行き知能検査などを受けて、
どのような工場がいいのかを2週間ほどだったと記憶しているが行う。
それが終われば、実際に自分の刑期にあう刑務所(初犯や長期、犯罪傾向が進んでいるなどで違うため)ただ単に、刑務所で何をしているのかというと
極めて規則正しい健康的な生活を威圧的な刑務官に従って、右向け右をすれば反射的に右向け右が出来る、刑務所の秩序が守れるような仕組み化がされている。そこに人権が損なわれる部分は多くあると思う。
誰しもが、更生を望んでもまた戻ってこられたら、刑務官も「なんでまた」という気持ちになり、威圧的に抑える他ないという背景も分かる。
しかし、私が悲しいと思うのは、出所した後のフォローは何にもないことだ。作業報奨金をもって出ても、微々たる金額で家を借りるであるとかスーツを購入するなどは不可能である。これが、保護観察だったら保護司に相談を逐一することが出来る。刑期を満了したのだから「更生」したんだろうねという考えがあまりに世論に根付いている。
では、刑期を満了した人がなぜすぐに刑務所に戻ってくるのか。
更生と言う目的を適える場所ではすくなくともない。
伝統工芸品や木工品など、出所してから何の役にも立たなさそうな作業をするよりも、座学でしっかりと手に職を付けたらどうなんだいと思えてしまう。私は、加害者にも当然ながら人権があると思っている。
そういうと、「加害者擁護か」と思われる人もいるかもしれないが、本当に自身が変わりたいと思うきっかけがそこで得られなければ、人はそんな簡単に変わることは出来ないし不可能なのである。
でも、性善説を私は捨てきれなかった。
どんな悪人でも生きなおすことややり直すことは出来るだろうと。

しかし、その考えが甘かった。
絶望と約3650日対峙しているのだ。
したくてしているわけでは当然なく、平穏な平々凡々な日常を返してくださいよと言う気持ちしかない。
死んでないからいいじゃないとかではないのだ、生き地獄と化したこの人生を言ってみれば、すでに死んでいる、死ぬように生きているだけである。
人格自体が歪み、愛であるとか優しさと言うものを私は、事件現場に置いてきてしまっている。

「嗚呼、全部が全部虚構なんだ、人生に意味なんてものはそもそもない。
宇宙レベルで考えれば、私の生きる100年にも満たない年月は本当に一瞬でしかない。その一瞬の為に永遠の様に悩む自分」ということを時々思う。

この世に存在する価値と言うもの、価値を人は追い求めるが実際にはそんなものはなくて、価値じゃなくて価値をつけていないといられないから、
虚構に飾りをたくさんつけている。
その価値が過去の犯罪行為だったりする。
全ては倫理観に掛かっていると思うと、人が介入して如何こうというのは
もう不可能なんじゃないかと思う。
性依存の病院に通うと弁護士が情状が有利になるようにとしているが、
実際、数回だけ通って、通って医師やセラピストと話す中でも
「別に悪いと思ってないし、情状のためだし」と公判が終わったら、
性依存の病院に通わなくなるケースなど山ほどある。
それが倫理観の崩壊でもあると私はとらえている。

被害者はカウンセリングを受ける為に週に1回5000円~8000円の身銭を切って、いつ終わるかもめどがつかない治療に向き合わなければいけない。被害者は好きで被害者でなったのではない、加害者が勝手に起こした犯罪の為に。

昨日医師に、「〇〇さんに言い方は悪いけれど、要するに拷問をずっと受けているようなものなんだよね、加害者は死んで何にもしなくていいけど、〇〇さんは生きているから、そこに向きあわなければいけないって腹も立つよ」と。

本当にそう思った、私の人生を返してくれとか色々なことを思った。

帰りの薬局で薬剤師に「何で最近、具合悪いの?薬が増えてる。」
と言われた時、「加害者が自殺する前は、知ってると思うけども具合はそこまで悪くなかった。だけれど、自分がその死に少しでも関与している、自死に誘わせた一端があると思うと、いくら、加害者の責任とはいえ、受容するのは難しい上に、フラッシュバックの回数が増えたし、うつ状態が悪化しているんです。」と答えた。

薬剤師は「〇〇さんが、加害者が死んだことを考えて一体何になるの?
何で、過去のことをずー--っと考えて、自分から具合悪くしていくの?
一回入院して、薬を全部切るなりしたらいい。」
と言われた。

心の中では「この人は人の立場に立って想像することが難しいのだろう」と
思ったけれど、傷ついていないというと嘘になる。

私は「〇〇さんも、明日は我が身かもしれませんよ」と皮肉をこめていった。しかし、「そうおもって生きてる」と帰ってきた。
本当にそう思って生きている人は、人にそのようなことは言わない。

医療に携わる人からの冷たい言葉は本当に切れ味が高すぎて、
「なんなんだよ」と思えてならない。

自身が選んだ訳ではない不条理で傷けられることは非常に遺憾だ。

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