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今後について

今日、心療内科でカウンセリングと診察を受けてきました。
あと、やばい倦怠感と目の奥が痛い熱っぽい(平熱37.3)のため、検査をコロナウイルスの検査を受けてきましたが、陰性でした。

カウンセリングでは、私は加害者の死によって奪われた権利に対して、新あすの会の提議にあるように、加害者が死亡してしまったケースでは救われないというケースの当事者になり、加害者に未来永劫ぶつけようのない怒りを、Twitterなどの媒体を利用し、犯罪被害者の現状と権利拡充について訴えることで健康的な昇華が出来る様な形を自分なりに作りました。
しかしながら、悪意のある人や善意の人の理解がない言葉によって、私の尊厳や健康が奪われてしまったことは事実です。
私は、twitter上で二次加害を生み出すために受ける為に始めたわけは当然なく、しかしながら、事実、二次加害がここのところ頻発しているところを鑑み、使用の形と言うものを心理士と医師に話をさせていただきました。

心理士は「●●さんの行いを完全に辞めてしまうということは、いいと言えないけれども、そこで傷つき怒りを持つならば、離れてしまうということも考える気持ちもわかるし、私も同じ気持ちです。」

と言う感じで続き、結局のところ、加害者の死によって奪われた権利を、未来の人たちが奪われないようにという活動にフェミニストや男性嫌悪、女性嫌悪の人たちが私に関り、私に対しての人権を一切考えない発言を受けるたびに、私自身は加害者の死に加え更なる傷を負うという結果に至っています。

物事は「結果」がいきなり発生することはなく、必ず「過程」が存在しています。しかし、結果だけで評価をし私が行った行動について不知の状態で、自身の苛立ちか満たされない部分か承認欲求か分からないにしても、ネットと言う匿名性に担保された形で言葉を投げるということは、言論の自由が保証されているとは言え、実名を明かし顔を出し私の目の前で同じことが恐らく言えないような言葉を紡ぎ投げつけられることに、私は宥恕できない感情であります。

医師にここまでの一連の流れを相談し、医師から「匿名性のネットの言葉は、信用するに値しない場合があるし、一定の反社会的な人や実社会で通常はスキルなどを生かし、社会に所属することで承認欲求を満たすことがふつうだけども、ネット上では事実だろうが嘘だろうが関係なく、自分の承認欲求を満たすために正義と言う形で傷つける人が一定数存在している。恐らく、そういったパーソナリティ障害の人に当たってしまったのだろうと思う。実生活に支障が出ているので、その媒体を完全に断つか無視を決め込むほかないと思う。●●さんが言葉でどれだけ言い尽くしても、知的に問題があったり、病気とは呼べないけれども自身の正義で傷つける人に理解を期待するだけ、時間の無駄だと思う。それは、●●さんが一番分かっている事だろうしね。まず、まともな社会人であればネットの世界に没入しないし、規範の域を出ない。傷つけている言葉かどうかも分からない人間がSNSを使うことで傷ついている人は、あなた以外にも実際に患者にいるから、問題として高い。」

要するに、「その知識レベルや感覚が似た人同士が引き合うという現象が起きている」と言うように理解したところです。

正直に言いますと、そういった暴力的な言葉をかけたらどうなるかを短期的、中長期的にも想像が出来ない人たちに関わるだけの優しさを私は持ち合わせていません。その人たちの満たされない承認欲求や心の闇に対して全く、同情心などは生まれません。しかし、自分がこう感じるなら私もこう感じるだろうという予測で言われても、何で知らない人間の傷つける言葉からその人の不遇に対して悲しみを私が持たなければいけないのかというところです。私は人を差別的に考えることは殆どありませんし、そのような社会的に満たされないかわいそうな人たちはかわいそうな人たち同士で自助会でも作るなりして暮らされたらいかがでしょうかというところです。ごく普通に、泥臭い努力をして生きている人たちの足を承認欲求などを満たすために引っ張ることは、人の尊厳に触れる部分があるのではないかと思います。

twitter界隈で男女の対立を見ていても、まず未来永劫解決が難しいことを時間をかけていても、肉体的性差などがある限りは完全に分かり合うということは不可能なのに、弱者同士が石を投げ合う構造を見ていると、まずそこの中で納めていただいて、他に持ってこないようにと思います。

想像力の欠如によって、私自身も人を傷つけてきた経験はあり、その都度修正を入れることで、未熟ながらも反芻するなどが出来てはいます。

私は、人に依存されることが極めて嫌いな人間です。人に決断をさせようとする人などがtwitterで私に接触するのは自由ですが、それに応じないと激昂するというのは病理的であるので、専門医に掛かるなりしていただきたい。

事の間違いは私がスペース機能を使ったことだと思います。文章であれば残っていますが、途中から会話に入られた場合、一からの説明は不可能です。
そこを見誤ったところが私のミスであり、また私自身が気分を害されているという認識があるのにも関わらず、トラブルになりたくないから話を聞き続けるなどという回避的な点だと思います。

基本的に人が嫌いなのにも関わらず、ペルソナを被って演じることが日常になっていたこの人生で「拒否」を示すことは殆どありませんでした。嫌な人だなと思ったら、最低限の会話しかしないですし、関わらないでいいのであれば、全く関わらない様にして生きてきました、そして今回大きく自身の問題だなと思ったことは、「何事もロジックで理解してからでないと、感情にスライドできない」と言う癖です。基本的に人の発言を聞いている時など、その人の目線であるとか口調、声色から分析してしまい、自分の中で方程式を作り、その証明を行うという癖が本当に人間らしくない、「冷徹だね」と言われるのも当然だろうと思いますが、ロジック以外の部分は現実世界の私であって、ネットでの自分は全く違うものだったのだなと言う気持ちがあります。ネットは現実との相関性がないかのような錯覚をしてしまっていた部分が私にもありました。ロボットの様な感情しか持ち合わせていない人間かもしれないけれど、当然ながら尊厳があり傷つきます。そして、傷つけてしまった部分は多くあったと思います。しかし、ネットを利用していることは現実でネットを通じて人が存在しているわけです。こういった未熟な人間が、多くの人の往来するプラットフォームを利用する前にしっかりと考えていなかったこと、ご迷惑をおかけした方々に対して、心よりお詫びを申し上げる次第でございます。

今後

不審なアカウントはブロック
パーソナリティに問題があると感じた場合はブロック
おかしな発言をされたらブロック
取捨選択をするという形を冷たいですが取らせていただきます。

最後に、私のことが嫌いにも関わらずいちいちアカウントを作って
正義の様な言葉をかける人生がその方のアイデンティティだとすると、私が言うことは問題かもしれませんが、大変に空虚な人なのだと思っています。
嫌いな人間に執着すること自体が病的であり、生産性のない行動です。
私にどれだけ正義か承認欲求か何か分からないにしても関わることで得られるものは何もないと思います。私もTwitterで嫌いな人は嫌いで見ないですし、私のことが嫌いであるにも関わらず関わる時間を他に充てて、専門家にみてもらうとかした方が良いと思いました。
嫌いな私に近づくということは、精神的な死地に赴くということをよく考えて自身に還元できるような健康的なネットだけで生きない方法を探されてください。

今回、相当に冷徹なことを書いていますが、これが私です。


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