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社会の底の方より

スクールカースト底辺出身、ソーシャルカーストわりと下の方にで常時どろどろしている者です、どうも。

少しずつ春が近づいていますね。横断歩道の白線や町に溢れる明るい色彩が眼に刺さる季節がやってくるけど、生まれつき生きるのが下手くそな皆様どうにか一緒に耐えようね。社会がみんなを嫌っても私はみんなが大好きよ。

まあそれは置いといてですね、此の所昔の嫌なことばかり思い出して、自分がどんどんダメなやつになっているのがわかるんですよ。いや、昔からもうずっとダメな奴だったって言われたらぐぅの根も出ませんけれど。あまりに昔を思い出すから、ちょっと昔のことを書こうと思います。

母の膣から脱出したころの話。あまりに寝返りをうつのが遅く心配した母親がお医者に相談しに言った結果、お医者様の出した答えは

「どこも悪くない、この子はやる気がないだけです。」

重い腰を上げて自発的に動くようになった頃には、とてつもない凶暴性を発揮し、おんぶしてくれる人を血が出るまで引っ掻いてケタケタ笑ったらしい。悪魔の子供か。

その後の幼稚園、小学校、中学校の頃は記憶がない。唯一記憶にあるのは、幼い妹二人と毛布に包まって暴れる父親とヒステリックな母親を見ていたこと。あとは、一貫して宿題を出さないという謎すぎるポリシーを貫いたこと。一言で言えばアホの子だった、あと凶暴性もそのまんまだったな。

その後高校はまぐれで、地元ではまあまあ頭がいいと言われる高校に受かってしまい、補習地獄の3年間を過ごし、ついでに話したくない諸々の事情と生来の社会不適合な性格により、高校生にして無事完全な依存症患者に仕上がりまして。

その後の紆余曲折を経て、今に至るわけなんですけど。

数年前全ての睡眠薬、安定剤、抗精神病薬、某咳止め薬を衝動的に全てゴミ箱に放り投げ、その後1年間完璧なシラフで過ごしていたこともある。

何もかもをゴミ箱に投げ捨てるまで、2年間ほど極度の貧血状態の体にあらゆる錠剤を突っ込んでいたため昼夜問わず夢の中にいた廃人が、離脱症状も乗り越え1年間、きちんと正社員で働いてたんですよ。動機はただ親に褒められたいだけだったんですけど。

まあ、こんな人間がシラフで仕事なんて出来るはずもないわけで。的外れな気遣いをしすぎたあまり、たったの1年で胃に穴をぶちあけ、しばらくはゲロ吐きながら仕事をし、このままじゃ死ぬと悟って退職し、現在はただのフリーターなわけです。

こうして過去のもろもろを書くとね、不幸自慢かと思われるかもしれないんだけれど違うのよ。

確かに色々あった、家庭もその他も色々あったけれど、どんな環境下であれ強く生きている人はいるわけだからね。現状私がこうなったのは誰のせいでもない、強いて言えば私のせいで、私が私に生まれたことが全ての苦しみの元凶ってこと。

もしかしたら私がこういう風に生まれついていなければ、両親もおかしくならなかったのかもしれないし、妹も苦しまなかったかもしれない。

生まれて来なければよかったとも、思わないでもない。思わないでもないけれど、生まれてくるべきでなかったというよりは、生まれる土台を間違えた気がして、親にもずっと申し訳なく思ってる。

そうして現在、ここ数ヶ月の現状、何もかも私が悪い気がするんだ。フラッシュバックする過去も、家庭環境、この世のありとあらゆる悲しみが私のせいな気がするんだ。思い込みなのはわかっているし、同情も、君のせいじゃないよって言葉も欲しくはない。

ただ現状で頑張るより現状から離れないとなあっていう決意表明みたいなもの。

今が続くと自分への怒りで近しい人に八つ当たりするゴミになる、ていうかなってる。傷つけたくない人達を傷つけ続けてしまうことも、衝動的にさようならしないように踏みとどまるのもそろそろ限界だからね。

シラフで生きることを望まれても生まれながらにして無理だし、合わないけれど大事な人達、誰にも迷惑かからないところまで逃げて、そこでしばらく命を削って絵を描きたいんだ。

きっと多分生き延びるけど、もし仮に野垂れ死んだら、夢が叶ったんだなって笑ってね。葬式の代わりに宴会してくれ、らもさんのいいんだせを流しながら思う存分騒いでおくれ。

#日記 #精神障害 #依存症 #生きづらい皆様逃げてもいいから笑える場所まで行こうね


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