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人と比べずに生きていくことが難しいこの世の中で。

「人と比べて生きていく」。

おそらく、この生き方から逃れる術はほとんどないでしょう。

山奥や人里離れた場所にあるぽつんと一軒家に住まない限り、私たちは比較をしながら生きていかなければなりません。


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つい最近のお話。

時間を持て余していたので、YouTubeで普段見ないような動画を拝見しておりました。動物が出てくる癒し系動画、化粧品紹介動画、筋トレ・ストレッチ動画などなど。

そんな中で、一般の方のルームツアー及びルーティーン動画は私の心をざわつかせましたね。


ざわざわの正体は嫉妬、そして劣等感です。


・新卒社会人一年目で素敵な都内マンションに住んでいる女性のルームツアー動画(明らかに私より給料が多い)
・アラサー女性が結婚をしてフリーランスになるチケットを手に入れ、見事成功している(金銭的にも、フォロワー数的にも)人のルーティーン動画
・ありのままの日常を出すことで好感度をゲットした人の雑談・Q&A動画

自分と同じ女性なのに、この違いは何なのだろうか、と落ち込みました。

 私と彼女たちの違いは行動力の差だと火を見るよりも明らかなんですけどね。どうしても嫉妬と劣等感はぬぐえませんでした。


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劣等感は自分と他人とを比較することによって生まれる感情ですよね。

では、比較する癖はいつからあったのでしょうか。

思い返すと幼少のころからあった気がします。

例えば、「兄はスポーツがなんでも上手にできるのに、私にはできない」だとか、「他の子みたいに人前で上手にお話できない」だとか。

自分の遅い成長が歯がゆくて、恥ずかしくて、情けなくて。

悔しくて、できないことをできるようになるまで泣きながら頑張っていたなぁと。何度も何度も挑戦していたあの頃は、今よりも真直ぐでカッコいいと思います。

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ここにきて思い浮かぶのが、「劣等感って悪いこと?」、「比較するって悪いこと?」というものです。

冒頭の私を見る限りは、情緒不安定になるため悪いもののように感じられます。

果たして絶対悪なのでしょうか。

答えはNoです。

比較をし、劣等感を抱き、自分が落ち込んで行動できなくなることが悪いことであり、「比較」、「劣等感」そのものは必ずしも自分の敵ではありません

子供の頃を思い出してみてください。

他人と比較することで、自分にはっぱをかけ、できるようになったことはありませんか?逆上がりや持久走のタイム、九九、割り算、歴史の年代を覚えるetc......

そんなに、悪いことじゃないように思えませんか?

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精神が成熟すると、自分と他人とを分けて考えられるようになり、なんでもかんでも嫉妬したり劣等感を抱いたりすることはなくなります

そんな中で、心がざわざわしたり、劣等感を抱いたりするのは、「まだ自分が頑張ってみたい証拠」

割り切れていない、だから心がもやつく。心は素直に表現してくれてるんです。「もうちょっと頑張ってみてよ。何か行動してみてよ」と。


だから、比較も劣等感も自分を動かす切っ掛けでもあるんです。

バトルアニメの「敵のフリをしていたけど実は仲間だった」みたいな、損だけどカッコいい役回りをしてくれてるんです。


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余談。

SNSやYouTubeって、劣等感を抱いて見たくないはずなのに、つい見ちゃいますよね。これって、「他人がどのように過ごしているかを安全な場所から見ていたい」という人間の欲求によるものなんです。

親が近所の人のうわさ話をしているのがかなり嫌いだったのですが、人間の本能的なものであると考えると致し方ないのかなぁ。

でも、悪いうわさ話はしない方が良いですよねぇ。



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