ロールと物語

この記事はクラスター Advent Calendar 2022の25日目です。
昨日は@compileさんの「cluster2022年の加速」でした。

ところで私はEngineering Managerのxyxです。クラスターで正式にEMをやり始めてから1年が経ちました。これが人生で初のマネージャー経験でもあります。

ここ数日はホラクラシーの本を読んでいて、ロールというものについて発見があったので書いてみます。

組織 as a Software

EMになる1~2年ほど前から感じていたことですが、組織の設計とソフトウェアシステムの設計は類似点が多いです。

特に、リモートで仕事していると、そもそもインターネットの上を流れるのはデータなのだからアウトプットはほぼ必ず何らかのデータの形をとります。

データの移動と処理をする組織というものが、Software Engineerにとってソフトウェアシステムの設計をまず第一に想起させるのは必然と言えます。

たとえば、業務Aをやってるひと・業務Bをやってるひとがいて、相互の連携が必要だとします。一人ずつなら個人同士のやり取りで充分です。

これがAは4人、Bは5人、みたいに増えてきたときに、Aという業務はそもそも「並列化」が可能なのか、並列化するために必要な「オーバーヘッド」はどうなるのか?というような問いが生まれます。

さらに、並列化してAをやるチーム、Bをやるチームのようなものを作った場合、その間の「プロトコル」が必要になるでしょう。BのメンバーがAのチームに問い合わせる「インターフェース」もあるかもしれません。それは具体的には、slackでこのグループをメンションしてください、なのかもしれないし、JIRAのチケットなのかもしれない。定例のミーティングに持ち寄るのかもしれません。

あるいは、AとかBでまとまることにあまり美味しさがなく、連携のほうが重要(つまりAとBが「密結合」している)なら、(Aの人, Bの人)のペアをいっぱい作る方が良いのかもしれません。たとえばepicというのは最低でもdaily以上の頻度で情報が同期される、職種混成の一時的な集まりです。

一方で、エンジニア組織には、エンジニアとEMだけからなるチームが複数ある構造も共存しています。

このような構造のバリエーションのどちらがどのようなケースで有効か、という問いはStructure of ArrayとArray of Structureどちらがよいかの議論を連想させます。

ロールの分解による組織の表現

日頃から組織論に関する本はよく読むのですが、ホラクラシーの概念は名前だけ聞いてちゃんと読んでないことに気づき、最近数日読んでいます。
Holacracy: The New Management System for a Rapidly Changing World

今のところ一番の発見はロールという概念で、私は以下のように解釈しました。

  • ロール = (目的, 権限, 責務) である

  • ロールは複数のロールに細分化可能である

  • 組織全体も一つのロールである

非常にシンプルで強力な抽象化だと思います。
目的・権限を100%明文化し、合意された「憲法」によってロール構成とアサイメントを運用する。非常に美しい組織のモデル化です。

一方で、人間の集まりがこれほど美しく記述できてしまうだろうか?という違和感と、わずかの喪失感を抱きました。

ロール(role)とソウル(soul)

ホラクラシーにはロール (role)とソウル(soul)を分けよう、という話が出てきます。

(従来の組織における)人間の階層化は、ロールとソウルを混同している。ソウルを一旦組織から排除し、全てをロールとプロセスで記述し、ソウルはロールを兼任することで、人間としての創造性が発揮されるのだと。

私自身、組織のメンバーであることは何らかのロールプレイをすることであると思っていましたし、今でもそう思っています。とはいえ「ソウルと完全に分離されたロール」という概念には差異を感じます。

権限と情報以外に人の間を流れるもの、感情。
これは日本語だと、役と役割の差だと言えるかも、と思いました。

私が漠然と思い描いていたロールは「役」であって、
ホラクラシーにおけるロールは「役割」なのだと。

役と役割と物語

この世は舞台、人はみな役者。

この言葉を教えてもらったのは10年以上前になりますが、今でもよく思い浮かべる概念です。

役割というのは、何か既知の有限な目的を細かく切り分けた、静的な感じがします。

それに対して、役は登場人物としての感情と意志を持って、たまに勝手に動きだしたりもする。常に最適判断する存在ではなく、よく分からないことをしでかしたりもする。でも最終的に全体と調和した物語を紡ぎだす、そういうものに思えます。

私自身は、価値の源泉は物語であると思っています。それは完全に個人の主観に閉じたものから、貨幣・宗教・国家というような社会ほぼ全体を覆う物語・幻想まで、様々でしょう。

なので、価値と目的は相補的な関係にあり、探求しつつ具体化されていくものであって、目的が先にあってそれを実現することが価値、というような関係ではないと思っています。

人類の物質からの解放という、
特大の、未完成な物語を掲げる組織においては特に。

労働と報酬の交換、目的達成による貢献とプロフェッショナルな喜びの交換。それは我々が生きる「現実」の側面ではあります。

だからこそ、
組織の物語と人生の物語を交差させてもいいな、と思える場所で。
他では得られない価値が得られる場所で、ありつづけますように。

そんなことを考えていました。


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